幽霊

時刻は深夜2時くらいのこと。


俺は何かの気配で目が覚めた。


ついに来たか…。


幸いにも金縛りは無かったから、本当に無害なのかもしれない——などと思いつつ、気配の先、窓際に目を向ける。


するとそこには、明らかにこの世のものではない存在があった。


病気的なほどの白い肌。

日常ではほとんど目にすることのない、無地の白い着物。

そして、水のように透き通り、月夜に照らされる中明滅する全身。

佇む姿は、やはり女性のようだ。


…ほ、本物の幽霊、なのか?


そう思うと、背中に冷たい汗がどっと噴出し、流れていくのがわかる。


その幽霊は、確かに窓の外を眺めているだけで、俺には何もしてこない。


…この幽霊、何の理由で満月の夜にここに現れるんだ?


幽霊の湧く理由は様々だが、その多くは生前の強い〈想い〉が原因だ。それが無くなれば、自然と成仏するものなのだ。

まぁ、中には恨みや憎しみなど、負の感情がずっと残っていて、不特定多数の人々に迷惑をかける奴もいるが、そういう連中は、退魔の力で強制的に退場してもらうが。


ひとまず、この幽霊は悪意が無さそうだ。となると、現れる原因を知らねばなるまい。


そっとベッドから起き上がり、〈竜の眼〉を使う。この前の一瞬ではなく、じっくりと時間をかけて。


「…石田けい、さん。昔、この土地で起きた火災事故で死亡。享年23歳。事故は婚約者と会う前日の、満月が美しい夜のことだった…か」


愛する人と会う前日か。そりゃあ、心残りができるわけだよ。


俺の言葉に反応したのか、女性の幽霊はこちらを向く。


『あなた、私のことを知ってるの?』


幽霊の顔は前髪で隠れていたが、綺麗な輪郭をしていた。声も透き通っていたので、きっと、生前はかなり美人だったのだろう。


「いえ、全く知りません。ただ見えた、というだけで」

『異能の持ち主だったのですね。でしたら、折入ってお願いがあります』


幽霊はすーっと床を滑るように、俺に近づいてくる。な、なんか、距離が近くなるにつれて、妙なプレッシャーをビリビリ感じるんですけど!?


『私を、婚約者のもとへ連れて行ってくださいませんか?』


まさかのお願いパターン?!え、こんな時間帯に外出?!いやいや、無いわー。


「そんなの、勝手に一人で行ってくださいよ…。俺はまだ寝足りないんで」


『見ての通り、私は地縛霊。事故の影響で、この部屋から一人では出られないのです。外へ出るには、私を知覚した誰かが先導する必要があるのですが、未だにそんな方はいらっしゃいませんでした』


「そりゃあ、そうですよ。誰でも、幽霊と関わりは持ちたくありませんから」


『…そうですよね』


あら?なんかショックを受けているぞ?幽霊もガッカリするんだ。でも、そんな態度をとられると、俺の良心が痛むな…。


仕方ない。


「…わかりました。俺が連れて行ってあげます」

『えっ…ホントですか…?』


あ、何だか喜んでいるみたいだぞ。


「ええ。で、その婚約者に会えたら、成仏してくれますか?」

『もちろんです。そのために、こうして出てきているのですから』


よし、それなら、俺にとっても今後安心して眠れるというメリットになるぞ!


「じゃあ、早速行きましょう。どこにいるかの見当はついているんですか?」

『はい。私が道案内します』


———————————————————————


カーメラッドを出ると、ちょうど飲み会から帰ってきたところの美咲さんとすれ違った。


「あら〜?これからどこに出かけるのかな〜♪」


相変わらず、赤い顔で酒臭いです、美咲さん。


ん?美咲さんにはあの幽霊が見えてなかったのか?


「ええ。ちょっとある人に会いに。美咲さんも一緒に行きますか?」

「へぇ〜♪で、誰に会いに行くのかな〜?」


軽いノリだが、ニヤリとしている表情がバレバレですよ…。


「ああ、向こうの、あの人の婚約者ですよ」


俺が視線を、先導する幽霊——石田さんに向けた。


「えっ…!?あれって、まさか…」


美咲さんの赤い顔は一気に青ざめ、固まった。


「あ、美咲さんもご存知だったんですね。カーメラッドに現れる幽霊ですよ」


「ど、どうしてあの幽霊が…?あなた、普段の生活態度が悪いから取り憑かれたの?」


「んなわけないでしょう!あの幽霊から話を聞いて、成仏の手助けをしたいと思っただけです!」


「成仏の手助け…?」


美咲さんの青い顔が、除々に普段の悪戯っぽいものになる。


「面白そうね?じゃあ、ついていくわ♪」


結局ついてくるのか…。まあ、別にいいけど。


『どうかされたのですか?』


と石田さんがこちらを振り向く。


「いや、なんでもないです。案内を頼みます」

『そうですか?では参りましょう』


———————————————————————


歩くこと、約1時間。ようやく石田さんが止まった。


『着きました。ここです』


えっ、ここって…。墓場じゃん!?しかも、深夜だから妙な気配がプンプンしている気がするんですけど!!


石田さんはある苔生したお墓の前に進み、手を合わせた。


「もしかして、このお墓が…?」

『はい。彼は昔、一人の戦士として、化け物との戦いに向かいました。今でいう、【魔獣】の討伐隊です』


【魔獣】だって?!そんな化け物に立ち向かったのか。


「あれは普通の人間では、全く歯が立たないはず。それなのに、どうして…」

『〈想い〉の力です』

「「〈想い〉の力…?」」


俺と美咲さんの言葉が被った。


『はい。彼は、私を失ったことで、これ以上悲しい思いをする人々を増やしたくない、世界を守りたい、と強く思ったのでしょう。その力で、魔獣に立ち向かっていった。それでも、結局敗れ、戦死しました』


一般人が、〈想い〉だけで魔獣に立ち向かう。それが如何に凄いことか、俺にはよく分かった。


『その知らせを風の噂で耳にしたので、せめてお墓参りだけでもして、彼を安心させたかった。その〈想い〉が、私を幽霊として存在させ続けたのです。それが叶った今、もう私の幽霊としての存在意義が無くなりました』


石田さんの全身が、光を発し始めた。

同時に、目の前のお墓の前に別の光が集まり、白銀鎧を纏った男性の姿を形作ったではないか!あっ、めっちゃ整った顔立ちしてやがる!


そのイケメン幽霊は、俺に笑顔で語りかけてきた。


『恩に着る、異能の騎士よ』


は?異能の騎士って…。俺ですか!?

そう思ったら、イケメン幽霊は軽く頷く。


『そなたの活躍で、愛する婚約者と再び会う事が出来た』


あれ、いつの間にか石田さんとイケメン幽霊が手を繋いでいるぞ?


『ありがとうございます。あなたのおかげで、ようやく私も安らぎを得られました』


と笑顔の石田さん。あ、前髪で隠れていた顔が見えた!うわ、やっぱ思った通りの大美人だったじゃねーか!!


『君はきっと、今後も誰かを救っていくのだろう。その中で、傷つくことも多々あるかもしれない。それ以上に、己の存在までも奪われてしまう場面に遭遇するかもしれない』


イケメン幽霊の言葉が、不思議と俺の心に染み渡ってくる。


——ああ、もしかしたら、これは俺にとってなのかもしれない。


『種はもう蒔かれている。芽吹くかどうかは君次第だ。君にとって命と同等とも言える大切な存在——〈絆の巫女〉は、すぐ傍まで来ているのかもしれないよ。では…さらばだ』


二人の幽霊の姿が眩い光となって、消えていく。


…うん、ちゃんと成仏したようだな。きっと、二人はあの世で幸せになることだろう。

〈絆の巫女〉という言葉が気にはなるが、きっとそのうち分かる時が来るはず——それだけは何故か確信が持てた。


あの光の浄化効果なのか、来た時の妙な気配がなくなり、ただ静寂が広がっていた。


残されたのは、俺と美咲さん。


お互いに目が合うと、何となく同じことを考えているんだろうなぁ、とわかった。


「…帰りましょうか」

「そうね」

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