宇宙拳人コズマ 対 銀河帝王サタンゴルデス-4

 午後四時十五分――


 放送開始を告げる『宇宙拳人コズマ』のテーマソングがスタジオに流れはじめた。

 勇壮にヒーローを讃える主題歌は、しかし、今日ばかりはやけに暗く鬱々として聴こえる。


 曲そのものは、なにも変わっていない。

 それも当然だ。初回放送から、主題歌の音源はおなじテイクを使っているのである。

 にもかかわらず、現場のスタッフたちには、どうしても先週までとはおなじ楽曲には聴こえなかったのだった。


 考えられる可能性はひとつ。

 きょうこの場にサタンゴルデスがいるからだ。

 黒と赤の甲冑に巨躯を包んだおとこは、ただそこに存在するだけで、周囲にすさまじいプレッシャーを与えずにはおかない。

 それは差し迫った死の恐怖であり、やがて訪れる流血の惨事への予感でもある。

 コズマがまもなく殺されることをそれとなく察したスタッフたちは、無意識のうちに主題歌を「宇宙拳人コズマの葬送曲」として聴いていたということになろう。


 その身体に帯びた圧倒的な暴力によって、人間の認識、ひいては現実そのものを改変する……。

 それこそが叢雨流総帥・叢雨覚龍斎の強さの真髄であり、この男が日本武術界を支配するに至った理由でもあるのだ。

 

 むろん、なにごとにも例外はある。

 宇宙拳人コズマ――風祭豪史は、高らかに奏でられるおのれの葬送曲のなかで、あくまで平常心を保っている。

 銀河帝王サタンゴルデス――覚龍斎との闘いにおいて、動揺は敗北と同義である。

 かつてない強敵と対峙しながら、コズマの心は凪いだ海面うなものように穏やかだった。

 死を覚悟し、もうどうとでもなれと捨て鉢になったわけではない。

 でなければ、まともに闘うことさえできない相手と理解しているからだ。

 闘いの世界には、勝敗や生死への執着をことごとく捨て去らなければ、立つことさえ許されないリングがある。

 コズマが立っているのは、まさにそんな場所にほかならなかった。


「どこからでも来るがいいぜ。先手は譲ってやるよ」


 サタンゴルデスの鬼面から太い声が洩れた。

 闘いの場において、わざわざ相手に先制攻撃を許すメリットはすくない。

 後の先、いわゆるカウンターで反撃を仕掛けるか、あるいは掴み技で倒しにかかるか……。

 いずれにせよ、自分のペースに引き込むための策略と考えるのが自然であった。


「心配するない。投げだの掴みだのセコい技でおめえをどうこうする気はねえさ。一発、どんと打ってこいや」

「後悔してもしらないぜ」

「おもしれえ。――――させてみろよ、コズマ」


 サタンゴルデスが言い終わるまえに、コズマは跳んでいた。

 おそろしく低い跳躍。傍目には、ほとんど地面を這っているようにみえただろう。

 と、コズマの身体が超低空でおおきく旋回した。

 地面につけた右手を軸として、自分の身体を独楽こまみたいに回転させたのだ。


 叢雨流の蹴り技のひとつ――”おろし”。

 一般的なローキックよりもさらに低い位置に、より強力な一撃を見舞う足技である。

 対手あいての足首やふくらはぎ、向脛といった弱点を攻めるのに、ふつうのローキックでは打点が高くなりすぎる。対手にとっては見切りやすい攻撃であるということだ。

 いっぽう、姿勢を極限まで低くした状態からはなつ”颪”は、打点を下げながら、その破壊力は回し蹴りのそれに匹敵する。

 まともに命中すれば、まず足首や脛の骨折はまぬがれない。

 それも、ヒビが入るといった生やさしいものではなく、折れた骨が皮膚を突き破って体外に飛び出す複雑骨折である。

 さしもの覚龍斎といえども、片足をそこまで壊されては、みずからの体重を支えきれなくなる。


「”颪”か。いいねえ――――」


 サタンゴルデスは、ほおと感心したようにため息を洩らす。

 これほどみごとな颪を使う人間は、いままで指導してきた門弟たちのなかにもいなかった。

 闘いのなかでそれを見せられたとあっては、うれしくなってしまうのも当然だった。

 たとえそれが自分を壊すために放たれた技であったとしても、である。


「だがよう、ひとつ忘れちゃいねえかい。……叢雨流ってのは、俺が作ったから叢雨流というんだぜ」


 サタンゴルデスの両足がふわりと地面を離れた。

 総重量二◯◯キロちかい巨躯は、まるで紙風船みたいにかるがると舞い上がる。

 プロレスラーの重量感あふれるジャンプとはまるでちがう、どこまでも軽やかな跳躍。

 ちょうど颪を仕掛けてきたコズマをまたぐような格好になった。


「おおい、まだくたばってくれるなよ」


 ふわりと軽く浮いていたサタンゴルデスの身体が、コズマめがけて急降下したのは次の瞬間だった。

 むろん、じっさいに落下速度や落下の軌道を変えたのではない。

 さしもの叢雨覚龍斎といえども、万有引力の法則に逆らうことまではできない。

 ただ、身体全体をぽんと宙に投げ出すような跳躍をおこなうことで、見るものの視覚をあざむいたというだけだ。

 サタンゴルデスにしてみれば、急角度で落ちていくことは最初から織り込み済みだったのだ。

 ほんらいなら颪が完全に決まっていただろう瞬間――技を空振りし、最も隙が大きくなるその瞬間を狙って、上空から攻撃を仕掛けるためである。


「ごおっ!!」


 裂帛の気合とともに、サタンゴルデスの身体が横に回転した。

 落下しながら身体を旋回させ、遠心力のついた拳と蹴りをコズマに見舞おうというのだ。

 ”飛び颪”。

 名前はあくまで仮のものだ。

 叢雨流では、正式な技とは認められていない。

 だが、叢雨覚龍斎がやったなら、それはまぎれもなく叢雨流なのだ。

 

「ぐっ……!!」


 間一髪、コズマはバク転でサタンゴルデスの攻撃をやりすごす。

 もし直撃していれば、首の骨がへし折れていたかもしれない。

 そういう攻撃であった。

 殺意を隠すつもりもないらしい。

 闘いが始まるまえに宣言したとおり、サタンゴルデスは、全国の視聴者のまえでコズマを殺すつもりなのだ。


「安心するのはまだ早いぜ」


 声はコズマの背後から聞こえた。

 ひどく愉しげな声であった。

 とっさに間合いを取ろうとしたときには、すでにコズマの身体はサタンゴルデスの腕の中にある。

 いつのまに背後を取られたのか!?

 疑問は尽きないが、いまはともかく背後からホールドされた状態から脱出しなければならない。


「じたばたしなくても、お望みどおり放してやる。――――ほうれ」


 コズマの身体を押さえつけていた巨大な力が消失した。

 サタンゴルデスが拘束を解いたのだ。

 むろん、ただ解放するはずもない。

 サタンゴルデスはコズマを抱えあげると、セットの壁にむかって力まかせに投げたのである。

 スタジオ内に悲鳴が響きわたった。

 回転しながら飛んだコズマは、ホリゾントを突き破り、セット外へ出てしまったのだ。

 コズマが墜落したのは、セットを組み立てるさいに余ったベニヤ板や鉄パイプが仮置きされている一角である。

 盛大な破壊音を立てて突っ込んだコズマは、受け身を取っていたとはいえ、そのダメージはけっして軽いものではない。

 スタッフたちはあわててコズマを抱き起こそうとするが、コズマはその手を振り払う。

 壊れたセットごしに、サタンゴルデスがゆっくりとこちらにむかってきているのがみえたためだ。


「正義のヒーローはこんなもんじゃねえだろう。立てよ、コズマ。もっともっと愉しもうじゃねえか」

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