宇宙拳人コズマ 対 銀河帝王サタンゴルデス-3

 日曜日――――


 撮影スタジオの控え室で、おとこは黙念と座り込んでいた。

 宇宙拳人コズマ――風祭豪史。

 身につけているのは、首から下のスーツだけだ。

 ヒーローのシンボルである仮面は、風祭の腕の中に置かれている。

 首だけのコズマと、顔だけが生身の風祭が見つめ合っているような構図であった。


とも今回かぎりか……)


 風祭は心のなかで呟くと、仮面を軽く指で小突く。

 マスクはなにも答えない。

 ただ、繊維強化FRプラスチックPの軽く乾いた音が響いただけだ。

 

 最終回の収録が終われば、もはや風祭がコズマになることは永遠にない。

 勝ち負けはおろか、おのれの生死にさえ確信を持てない状況。

 そんななかでも、ことだけは確実なのだ。


 勝とうと敗けようと、生きようと死のうと、もとの風祭豪史にもどる……。

 ただ、それだけのことなのだ。

 

 控え室のドアがノックされたのはそのときだった。

 風祭が「どうぞ」と応じたのと、ドアが開いたのは同時だった。

 部屋に入ってきたのは、上等なしつらえのスーツに身を包んだひとりの男だ。


「本番前に喉が渇いてるんじゃないかと思ってな」


 言って、橘川は細長いオレンジジュースの缶をテーブルに置く。

 スタジオ内の自動販売機で買ってきたばかりなのだろう。スチール缶の表面は、うっすらと露に濡れている。


「気を遣わせてすみませんね、先輩」

「たいしたことじゃない。それより、準備のほうは順調か?」

「まあ、ぼちぼちってところです」


 風祭はプルタブを切り離すと、缶の中身を一気に飲み干す。


「この一週間、やるだけのことはやりましたよ。なにしろ、相手はあの叢雨覚龍斎ですからね」

「勝算はあるのか」

「十中八九までは俺の敗けですよ」


 こともなげに言った風祭に、橘川はおもわず表情をこわばらせる。

 そんな橘川に、風祭はふっと相好を崩す。


「そう深刻な顔をしないでくださいよ。言い換えれば、九十九パーセントは敗けるかもしれないが、百パーセント敗けると決まったわけじゃないってことだ」

「しかし……」

「じっさいのところ、俺の力で叢雨覚龍斎に勝てる可能性はそんなところですからね。ひとつ希望があるとすれば、奴も不死身の超人じゃないというところです。どこかにかならず弱点がある。俺が一パーセントの勝機を見つけられるように、どうか祈っててください」


 それだけ言うと、風祭はマスクを抱えて席を立った。

 本番前のウォーミングアップに取り掛かろうというのだ。

 すでに放送開始時刻までは一時間を切っている。


「なあ、風祭。おまえさえよければ、この番組が終わったら……」

「先輩。いまは勘弁してもらえますか」


 風祭の言葉には、有無を言わさない迫力が宿っていた。


「あれこれと将来さきのことを考えるのは、闘いにケリがついてからでも遅くないでしょう」

「……」

「せめていまだけは、風祭豪史ではなく、宇宙拳人コズマでいさせてください」


 橘川はそれきり口を閉ざした。

 なにを言ったところで、もはや風祭の耳には届くまい。

 人間・風祭豪史はどこにもいない。

 いま橘川のまえに立っているのは、正義の超人・宇宙拳人コズマなのだから。

 コズマにとっては、正真正銘、これが最後の闘いなのだ。


「いまさら”無理をするな”だの”無事に戻れ”とは言わない。……勝ってこいよ、宇宙拳人コズマ」


 マスクを被った風祭――コズマは、橘川に背を向けたまま、だまって右手の親指を立てる。

 

――行ってきます。


 コズマの背中が語りかける無言のメッセージに、橘川はただ力強くうなずくことしかできなかった。


***


 異様な雰囲気がスタジオを覆っていた。


 カメラも照明器具も、セットの背景に張られたホリゾント(青空を模した布の幕)も、これまでの撮影となんら変わるところはない。

 低予算番組である『コズマ』は、最終回だからといって特別なセットを組むようなこともないのだ。

 にもかかわらず、現場のスタッフたちはみなひどく緊張し、殺気立ってさえいる。

 彼ら自身がそうしているというよりは、と言ったほうがただしいかもしれない。


 恐怖、焦燥、苛立ち、一挙一動を監視されているような息苦しさ……。

 くろぐろとした負の気が、スタジオの片隅から流れてきている。

 より正確にいえば、そこにたたずむ異形の怪人から発散されているのだ。


 怪人――

 そのおとこを表現するのに、それいじょうふさわしい言葉はあるまい。 

 身長二メートル、体重一五◯キロちかい堂々たる巨体の持ち主である。

 途方もない筋肉の質量――その内に秘められたすさまじい暴力は、ただ立っているだけで、周囲の人間を恐怖させずにはおかない。

 その巨体を、さらにもう一回り大きく見せているものがある。


 甲冑よろいである。

 漢は、その全身に重厚な甲冑をまとっているのである。 

 その外観は、しかし、いわゆる鎧武者のそれとはおおきく趣を異にしている。

 兜の鍬形や籠手は日本の鎧に似ているが、ところどころに西洋の騎士が着用する金属鎧のデザインが取り入れられているのだ。

 南蛮胴。

 戦国時代後期にかけて、ヨーロッパの影響を受けて作られた和洋折衷の甲冑である。

 兜と胴はつやのある黒、手足の先は緋色に塗られている。

 面頬の代わりに顔面をすっぽりと覆っているのは、するどい牙をむき出しにした悪鬼の面であった。


「ほお、なかなかぴったりくるじゃねえか」


 鬼面の奥から太い声が洩れた。

 叢雨覚龍斎。

 銀河帝王サタンゴルデスに扮しているのは、まぎれもなく叢雨流総帥その人であった。


「こいつを仕立てた職人は、ふつうの人間は着ただけで一歩も動けねえと吐かしやがったがよ――――」


 覚龍斎――サタンゴルテスは、くつくつと哄笑する。


 甲冑をまとった巨体が躍動したのは次の瞬間だ。

 本人の体重プラス甲冑の総重量は、およそ二◯◯キロちかくになる。

 言ってみれば、身体じゅうに重石をくくりつけているようなものである。

 たしょう鍛えている人間でも、歩くことはおろか、その場に立っていることさえむずかしい。


 それを――――

 叢雨覚龍斎扮するサタンゴルテスは、まるで重さなどないかのように身軽に動き回っている。

 片手だけで逆立ちをし、空中にふわりと浮いてみごとな回し蹴りさえ決めてみせる。


 異常な光景であった。

 なにより、異常な人間であった。

 そういう敵と、コズマは闘うことになる。


「年寄りの冷や水って知ってるかい――――」


 ふいに声をかけられて、サタンゴルテスはセットの一角へ顔を向ける。

 はたして、そこに立っていたのは、宇宙拳人コズマだ。

 

「準備運動も結構だが、本番前に怪我でもされちゃ面白くねえ」

「心配は無用だよ、風祭くん。……いや、宇宙拳人コズマ」

「いいかげん、その気取った言い方もやめてもらいたいもんだな」


 サタンゴルテスは愉快げな笑い声を上げる。

 それもつかのま、コズマの背中をぞわりとしたものが駆け抜けていった。


 見えたからだ。

 唇を歪め、邪悪な笑みを浮かべた怪物の顔が、だ。


「これから全国の視聴者の目の前でおめえを殺すぜ、コズマ」

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