宇宙拳人コズマ 対 銀河帝王サタンゴルテス-2

 叢雨覚龍斎――――

 

 巨大なおとこがそう名乗った瞬間、あたりの空気はにわかに刃のするどさを帯びた。

 否。その名を口にするまでもなく、最初から分かりきっていたのだ。

 ただそこにたたずんでいるだけで、これほど圧倒的な力を感じさせる存在は、この世に叢雨覚龍斎だけなのだから。


 風祭は長椅子からほんのすこし腰を浮かす。

 じっさいには、両足の力だけで立っている状態である。

 とっさに身体を動かすための準備であることは言うまでもない。


 風祭は、あえて覚龍斎をようにしている。

 傍目にはいまにも眠りに落ちそうな、あるいは酒に酔っているような、焦点のあわないとろんとした眼であった。

 剣の達人は、立ち合いにおいてしばしばこのような目線を”つくる”。

 対手あいてにこちらの視線を、引いては視線から導き出される次の行動を読ませないためだ。

 武術家同士の闘いにおいても有用なテクニックであった。


 とにかく、用心してしすぎるということはない。

 目の前の巨漢は、ただの人間ではないのだ。

 いつ拳が、蹴りが、風祭めがけて飛んでくるかわからない。

 寸毫ほどの殺気も感じさせず、人間ひとりを始末する程度は難なくやってのけるだろう。


 それでも、けっして武器は使わないだろうという確信はあった。

 べつに一流の総帥としての倫理観モラルに期待したわけではない。

 使う必要がないからだ。

 いかなる武器――銃でさえも、この男にとっては不必要どころか、かえってにちがいない。

 身に寸鉄も帯びない、まったくの徒手空拳……。

 すくなくとも、この男にかぎっては、百の武器を携えているよりそのほうがずっとおそろしいのである。

 

「宇宙拳人コズマだろう?」


 言って、覚龍斎はにんまりと相好を崩した。

 邪気と無邪気とがないまぜになった笑顔であった。


風祭かざまつり豪史たけし。――――俺が、コズマだ」

「会えて光栄だ。もっとも、これが初対面じゃないがね」


 ふと、笑顔の奥にが宿った。

 

「むかし、黄瀬川のところにいただろう」

「……」

「黄瀬川が破門されたことに納得できず、私に闇討ちを仕掛けてきた……」


 覚龍斎はまるで懐かしい思い出話でもするように、滔々と言葉を継いでいく。


「そして、こっぴどく敗けた。私に手も足も出なかったなあ、君」

「あのときから変わっていないとでも?」

「どこでどんなふうに生きてきたかしらないが、見違えるほどいい武術家おとこになった。果物でいえば、ちょうど食べごろだな」


 覚龍斎は、短く太い舌で、分厚い唇をひと舐めする。

 獲物をまえにしたライオンでも、ここまで強烈な”欲”をむき出しにするものか。

 そんな覚龍斎と相対して怯まない風祭もまた、もう一頭の猛獣にほかならなかった。


「病院の中で立ち話もなんだ。風祭くん、すこし外を歩きながら話をしようじゃないか――――」


***


「黒衛はね、私の息子なんだよ――――」


 歩きながら、覚龍斎はまるで世間話でもするみたいな調子で言った。


 病院のすぐ隣りにある市民公園。

 噴水と芝生を囲むように造成された、楕円形の遊歩道である。

 その道の途上に、風祭と覚龍斎はいた。

 どちらが先でも後でもなく、つかず離れずの距離を保ったまま、あてもなくそぞろ歩きをしているのである。

 街灯の薄明かりの下、二人のおとこは、遊歩道をもう何周もしているのだった。


「あれは二十年ばかりまえ、当時囲っていた妾のひとりに産ませた子だ。だから、ほんとうの名前は、叢雨京志郎ということになる。ちょうどそのころ、清の皇帝のボディガードをしていた一族の末裔が香港にいるという噂を聞いてね。まだ物心がつかないうちに、拳法の修行に出したというわけだ」

「その息子は、あんたを殺したいと言っていたぜ」

「私がそう仕向けたからさ」


 覚龍斎は例のごとく、ひどくあっけらかんと言ってのけた。

 

「一族の最後の生き残りだった衛という男には、息子を一人前の拳士として鍛え上げ、頃合いになったら殺すよう頼んでいたのだよ。もちろん、それであっさり死ぬような凡骨なら、どのみち生きていても仕方がないというわけだ」

「……」

「だが、衛はそれを拒んだ。それどころか、私に闘いを挑んできた……」


 く、く、く――と、大樹の枝が揺れるような音が響いた。

 覚龍斎が肩を揺すって嗤っているのだ。


「どうなったかは君も知ってのとおりだ。育ての親であり、拳法の師匠でもある衛を殺されて、あれは私にすさまじい憎しみを抱くようになった。そして、憎しみが育てば育つほど、あれの拳も冴えわたっていった……」

「妾の子でも、血を分けた息子だろう。父親のやることとはおもえん」

ならそのとおりだ。だが、武術家はちがう。武術家の目標は、比類なき武のいただきに至ること。そのために必要ならば、憎悪だろうとなんだろうと利用するまでのことだ」


 覚龍斎の言葉には、人を殺めた罪悪感も、息子の人生を歪めたことへの悔悟もない。


 ただ、強くなる。

 そのためなら、どんなことをしても許される。

 それはあまりにも純粋で無垢、だからこそ邪悪な動機だった。

 

 覚龍斎がふと足を止めたのはそのときだった。


「どうだい、風祭くん……」


 覚龍斎は顔だけで風祭のほうを振り返ると、しずかな声で言った。

 

「私の息子にならないか」

「どういうことだ」

「そのままの意味さ。君は叢雨流のどの門弟より強い。息子よりもだ」

「俺に叢雨流の跡継ぎになれ――と?」

「私も永遠に生きられるわけじゃない。叶うなら百歳まででも現役でいたいが、思うようにゆかぬのが人生だ」


 覚龍斎は自嘲するみたいに笑う。


「君がひとことイエスといえば、私の持っているすべてが手に入る。三万人の門下生、日本全国の道場から納められる莫大な金、そして政財界やマスコミとの太いパイプ……。ゆくゆくは日本の黒幕フィクサーとして、世の中を思うままに動かすことも夢じゃあない」

「なぜ叢雨流を抜けた俺にそんな話を?」

「支配者に必要な資質はただひとつ、強さだ。叢雨流であろうとなかろうと、まして血の繋がりなど関係ない。私の次に強い者にのみ、私がこの拳で築き上げたすべてを継承する権利がある」


 どちらともなく、二人は歩みを止めていた。

 鉛のような沈黙が一帯を包んでいく。


 さきに口を開いたのは風祭だった。


「あいにくだが、おことわりだ」

「ほう?」

「あんたは”自分の次に強い者”にすべてを譲りたいと、たしかにそう言ったな」

「いかにもそのとおりだ」


 風祭は覚龍斎の眼をまっすぐに見据える。

 その蒼い瞳に燃えるのは、かつてないほどの闘志。そして怒りだった。


「次の日曜日、俺は、宇宙拳人コズマとしてあんたを倒す。そして、俺のほうが強いことを証明する。――――強さ以外には価値がないというその腐りきった根性、叩き直してやるぜ」

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