最終話「宇宙拳人コズマ 対 銀河帝王サタンゴルデス」

宇宙拳人コズマ 対 銀河帝王サタンゴルデス-1

 薄暗い院内に、薬品の匂いが充ちていた。


 日陽テレビからほどちかい場所にある大学病院である。

 時刻は、いましがた午前二時を回ったところ。

 人気ひとけのない廊下には、見舞客のためだろう長椅子がいくつか置かれている。

 そのひとつに、長身をかがめるようにして座るおとこがいた。


 風祭かざまつり豪史たけし


 宇宙拳人コズマの収録があと、風祭は自分の怪我の手当てもそこそこに、この病院に駆けつけた。

 目的はひとつだ。ブラックコズマ――黒衛京志郎の安否を確認するためである。

 黒衛が自分の肉体に過剰な負荷をかけ、限界を超えた勁を練っていたことは、彼と闘っていたコズマ――風祭がだれよりもよく理解している。

 もし”つむじ蹴り”が決まっていなければ、あるいはコズマを倒したあとで、ブラックコズマも死んでいたかもしれないのだ。


 ヒーローと、そのライバルが、番組のなかでともに命を落とす……。

 特撮番組としては、ぜったいにあってはならない事故である。

 

 風祭は、特撮にも、『宇宙拳人コズマ』という作品にもさほどの思い入れはない。

 叢雨流の門下生とルール無用の真剣勝負ガチンコがやれるという一点のみに惹かれて、橘川の誘いに乗ったのである。

 それが、どうか。

 回を重ね、強敵との闘いを乗り越えるたびに、風祭の心境にはたしかな変化が生じていた。


 ヒーロー。

 いまの俺は、まぎれもなくヒーローなのだ。

 そんな自負が、いつからか、ふつふつと心の片隅に芽吹いたのである。

 たとえ虚構フィクションの存在だとしても、ヒーローにはかくあるべしという理想がある。

 ただ、強ければいいというものではない。

 どんなことをしても、勝てばいいというものではない。

 優しさと、なにより愛がなければ、ヒーローには値しないのだ。


 ふりかえってみれば、幼いころの風祭には、あこがれるようなヒーローはいなかった。

 同世代の子どもたちが紙芝居や貸本漫画のキャラクター、プロレスラーや大相撲の力士に夢中になっていたときも、風祭はただ疎外感を感じるばかりだった。

 アメリカ兵と日本人の混血である風祭の居場所は、虚構フィクションの世界にすらなかったのである。

 自分には、日本人のヒーローに成敗される役どころがおにあいだ。


 だったら、俺は悪役でいい。

 人から嫌われ憎まれ、だれからも愛されない悪役でかまわない。

 そういう屈折した思いを抱いて、ともすれば刹那的で自暴自棄な生き方をしてきた。

 そうだ。『宇宙拳人コズマ』に出会うまでは。


「コズマ……か」


 そのコズマも、あと一回――最終話を残すばかりとなった。

 番組がどういう結末を迎えるのかは、だれにもわからない。

 ひとつだけわかっているのは、風祭がコズマになれるのはこれで最後ということだけだ。

 そもそも、役者でもスタントマンでもない風祭が、テレビ番組のヒーローを演じていること自体がありえないのである。

 ヒーローを演じる機会は、もう二度とないだろう。

 橘川に頼めば、日陽テレビ系列の子会社にもぐりこむことはできるかもしれない。

 橘川は見た目にたがわず義理堅い男だ。荒みきっていた学生時代も、二学年上の先輩だった彼だけは、自分をひとりの人間として扱ってくれた。

 こちらから言い出さなくても、いままでどおり歓楽街の用心棒にもどれとは口が裂けても言うまい。

 それがわかっているからこそ、かえって心苦しかった。

 

 風祭は、ちらと横目で傍らの部屋を見やる。

 ドアには「手術中」と赤文字で染め抜かれたプレートが打たれている。


 医師が語った黒衛の容態は、風祭が想像していたよりもずっと悪かった。

 胃と脾臓が破裂し、肝臓にもおおきな裂傷がある。

 さらには、折れた肋骨が右肺に深く突き刺さっているという。

 その場で死ななかったのが奇跡とは、けっしておおげさな表現ではないだろう。

 内功によって出血を抑え、さらに調息法(呼吸法)で最低限の呼吸を保つことができた黒衛だからこそ、そのような状態でも生き延びることができたのだ。


 手術が始まってから、すでに五時間が経過している。

 そのあいだ、見舞いにやってきたのは風祭だけだ。

 叢雨流の人間には、黒衛の安否を気遣う者はいないということである。

  

「む……」


 昼間の闘いの疲れがいまになってできたのだろう。

 軽いめまいをおぼえた風祭は、長椅子の背にもたれかかろうとする。


 異様な殺気を感じたのはその瞬間だった。

 全身の毛穴という毛穴がきゅっとすぼまり、うぶ毛の一本一本までがそそけ立つ。

 やや遅れて、皮膚の下をぞわぞわとなにかが這う感触があった。

 寒気などという生やさしいものではない。

 神経を流れる微弱な生体電流が、はっきりそれと理解できるほど強くなっているのだ。

 ただちに臨戦態勢に入れ――と、本能がそう命じているのである。

 風祭だから、ここまで事態を分析することができている。

 ふつうの人間には、わけもわからぬまま、とつぜん切迫した死の恐怖に襲われたとしか感じられないだろう。


 足音が聞こえてきたのは、それから数秒と経たないうちだった。

 一人。かなり体重がある男だ。靴は革靴のようだが、リノリウム床を叩く音は、ふつうの革靴のそれとはあきらかに異なっている。

 おそらくはソールにビブラム素材を使っているのだろう。

 欧米で登山靴や建設労働者用のワーキング・シューズに使われる、耐久性と防滑性にすぐれたゴムのことだ。

 すくなくとも、大都会・東京のど真ん中で履く靴ではない。


 風祭はじっと廊下の曲がり角を凝視している。

 足音はすこしずつ、しかし確実にこちらに近づいてきている。

 はたして、がぬうっと姿を現したのは、それからまもなくだった。


 おそろしくおおきなおとこだった。

 巨きいだけではない。

 太いのだ。

 腕が太い。

 脚が太い。

 首も太い。

 人体にあるべきくびれが、男にはまるで存在していなかった。

 大樹の幹と、ごつごつとしたいわおを無造作に組み合わせたような、およそ人間離れした風貌。

 上等なダンヒルのダブル・スーツごしでも、盛り上がった筋肉ははっきりと見て取れる。


 なにより凄まじいのは、その指だ。

 十指すべて爪がない。正確には、爪のまわりの皮膚が肥厚しすぎたことで、爪が皮膚のなかに完全に埋もれてしまっているのである。

 そして指先はといえば、金槌の頭みたいに真っ平らになっている。

 貫手の形で巻藁や砂利を突くのは、空手の基礎的な訓練のひとつである。

 しかし、それを何十万、いや何百万回繰り返せば、このような異常な指が出来上がるのか。


「これはこれは、先客がいたとは。黒衛もなかなか隅に置けないじゃねえか」


 男はソフト帽を取ると、風祭にむかって目礼する。

 目を細め、口角を吊り上げた笑顔であった。

 なんの飾り気もない、赤子のように無垢な笑顔だ。

 しかし、これほど人の心を凍りつかせる笑顔が、はたしてこの世に存在するものか。


「叢雨辰次郎――――叢雨覚龍斎と、世間ではそう呼ばれておるがね」

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