宇宙拳人コズマ 対 暗黒拳人ブラックコズマ-8(終)
コズマとブラックコズマが同時に拳を突き出したとき、それはふいに出現した。
肉眼で見ることはできない。
手を伸ばして触れることも、やはり不可能だ。
カメラにも映らず、どんな測定装置をもってしても観測することはかなわない。
それでも、それは、たしかにそこに存在しているのだ。
極限まで凝縮された勁力――――。
あるいは、”気の塊”と言うこともできるだろう。
さながら磁石のエス極とエヌ極のように、はげしく反発しあいながら、それはコズマとブラックコズマのあいだに浮かんでいる。
いずれにせよ、人間には見えず、触れられず、科学的・物理的にはこの世に存在しないものである。
それを裏付けるように、スタジオにいる人間の誰ひとりとして、それに気づいてはいないのだ。
ただコズマとブラックコズマだけには、互いの放った勁力がはっきりと認識できる。
たんなる幻覚と言ってしまえばそれまでだ。
試合や喧嘩の極度の興奮のなかで、当事者たちが一種のトランス状態に陥ることはめずらしくない。
過剰に分泌されたドパミンやノルアドレナリンなどの脳内麻薬は、痛みを麻痺させ闘争心を煽るだけでなく、しばしばありもしないものを見せることがある。
そうだとしても、二人が同時にまったくおなじ幻覚を見るということは、内功の
コズマとブラックコズマは、組み合った体勢のまま、
ふくれあがった気の半分は、自分の体内で練り上げた勁力だ。そこに対手の勁力が加わることで、一人ではぜったいに出せない巨大な力へと成長している。
二人分の勁力をまともに喰らえばどうなるか。
これほどの威力になると、もはや化勁で防ぎきることはできない。
もともと半分は自分の力とはいえ、いったん攻撃のために練った勁は、自分自身にも害をなす。
まともに喰らえば致命的なダメージはまぬがれないだろう。
闘いは、そこで終わりだ。
「ぬう……ぐくっ……」
ブラックコズマのマスクから、呻吟するような声が洩れた。
黒いスーツが、ゆっくりと前進する。
勁力の渦のなかに踏み込んでいこうというのだ。
危険はむろん承知の上である。
肉体が耐えきれるという保証は、どこにもない。
強すぎる勁力に全身の心気のめぐりを乱されれば、廃人と化すおそれもある。
それでも、やめるわけにはいかなかった。
どんな犠牲を払ってでも、
叢雨覚龍斎と闘うために。
日本で過ごした五年あまりの歳月は、そのためだけにあったのだから。
ここで投げ出せば、黒衛はおのれの全存在をみずから否定することになる。
「去死吧(死ねッ)!!」
ブラックコズマが必殺の零勁を繰り出そうとした、まさにその瞬間だった。
「――――!?」
コズマから放たれていた勁力が、まるで幻みたいに消滅したのである。
拮抗する巨大な力のいっぽうが消滅すれば、もういっぽうも当然影響を受ける。
コズマに対抗するため、限界を超えて練り上げたブラックコズマの勁力は、あまりにも強くなりすぎたのだ。
――しまった!!
ブラックコズマ――黒衛の背筋を冷たいものが走った。
身体に溜まった巨大な勁を逃さなければならない。
このままでは、自分自身で練った勁に、身体の内側から破壊されてしまう。
調息(呼吸法)では、とても間に合わない。
ぶつけるしかない。
目の前の敵に。
コズマに。
そうすれば、勝てる。
そうするしか、生き残る術はない。
「ぐっうう……おおおおおお!!」
ブラックコズマのマスクから、獣じみた咆哮がほとばしりでた。
自分の意志でそうしたのではない。
ほとんど無意識に、衝動のままに上げた雄叫びであった。
全身の血が沸騰している。蛇みたいなものが皮膚の下をはいずりまわる。
限界を超えて練り上げた勁が、すでに肉体を蝕みはじめているのだ。
「しゃッ!!」
刃のような呼気とともに、ブラックコズマの右手が伸びた。
詠春拳やジークンドーの手刀に似たそれは、しかし、たんなる突き技ではない。
指先のごくちいさな一点に全身の勁を集中し、標的の貫通を目的とした刺突技なのである。
その威力は、自動車のドア程度であれば難なくぶちぬくことができる。
いわんや人間をや、だ。
身体であればどこに当たっても致命傷、顔なら脳髄を破壊して即死させることができる。
ブラックコズマが繰り出したのは、正真正銘の殺人拳にほかならなかった。
「物騒な技を使いやがるな」
コズマはこともなげに言うと、ゆるく両足を開いて立つ。
逃げるつもりはないということだ。
真っ向から、ブラックコズマの刺突を受け止めようというのである。
すでにコズマの勁力は消滅している。
守りの発勁を使って防御することもできない。
体捌きだけでかわせるほどなまぬるい技でないことも、むろん承知している。
両者の間合いが近づくにつれて、時間はにわかに粘性を帯びた。
空気はなかば固体となって四肢にからみつき、マスクごしの狭い視界は、かつてないほど明瞭に澄み渡っている。
現実世界の物理法則が変わったのではない。
極限の集中によって、コズマとブラックコズマの感覚が加速しているのである。
互いの動きはまるでコマ送りを見るかのようだ。
拳に引き裂かれた空気の流れさえも、はっきりと見て取れる。
永遠のような一瞬。
それにも、やがて、終わりは訪れる。
「――――」
ブラックコズマの貫手がコズマのマスクに触れた。
全身の勁力の吐出口と化した指先は、なんの抵抗もなくマスクに潜り込んでいく。
やわらかい豆腐に箸を突き立てるようなものだ。マスクの奥にある風祭の頭蓋骨、そして脳髄も、同様に破壊される。――――そのはずであった。
凍りついたような時間のなかで、ブラックコズマはたしかに見た。
コズマが頭部を――全身をゆるく右回りに回転させるのを。
貫手がマスクの表面に潜った、まさにその一瞬を逃さず、コズマはいちかばちかの賭けに出たのだ。
自分の身体を回すことで、貫手の威力を相殺――というよりは、あらぬ方向へ逃がそうというのである。
人体のなかで、頭蓋骨はもっとも硬く、そして丸い。
戦争中、ヘルメットに当たった銃弾が頭蓋骨のカーヴに沿って内部を一周し、撃たれた兵は無傷だったという逸話がいくつもあるほどなのだ。
コズマは、みずからの頭蓋骨と、第二の頭蓋骨であるマスクを利用して、それを擬似的に再現しようというのである。
失敗すれば、当然死ぬことになる。
およそ正気の沙汰とはおもえぬ博奕であった。
「叢雨流”
貫手がマスクを一周したのを見計らって、コズマはさらに身体を半回転させる。
びゅっ、と風を裂く音がした。
コズマの中段蹴りが、ブラックコズマの腹に吸い込まれていく。
左脚を軸に、背骨と体幹筋に溜め込んだすべての力を叩きつける必殺の蹴りである。
「ぐううっ」
ブラックコズマは吹き飛びざま、湿った声を洩らした。
見れば、黒いマスクと黒いスーツに、斑斑と紅いものが散っている。
血だ。
おそらく胃か食道が裂けたのだろう。
こうなっては、いかに達人でも立ち上がることはできない。
ブラックコズマは地面に伏したまま、聞き取れない声でなにかを呟いている。
それはコズマへの呪詛ではない。
不甲斐ない自分への叱責と、仇討ちができなくなったことへの悔恨の念を、血とともに吐き出しているのだ。
「悪く思うなよ。あんたとの闘い、楽しかったぜ」
言って、コズマはブラックコズマに背を向ける。
そして、番組終了を告げるテーマソングが流れるなか、
「心配するな。……叢雨覚龍斎は、俺が倒す」
低い声で、しかしはっきりとそう言ったのだった。
【第六話 終】
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