宇宙拳人コズマ 対 暗黒拳人ブラックコズマ-6

「楽しくなってきたぜ――――」


 すばやく体勢を立て直しつつ、コズマはひとりごちた。

 その声音は、わずかに湿り気を帯びている。

 ブラックコズマの”零勁れいけい”が内臓にまで浸透し、胃や気管から出血しているのだ。

 常人であれば、とうに血反吐を吐いて失神しているはずであった。


 あらためてブラックコズマと向かい合ったコズマは、手首をくいと曲げ、さしまねくような仕草をしてみせる。


「さあ、続きをやろうぜ。まさか、あれで終わりじゃないよな」

「今度こそ死にますよ」

「やってみなけりゃわからんさ」


 ブラックコズマのマスクから、細く長いため息が洩れた。

 否。ため息のように聞こえるそれは、内家拳の調息法(呼吸法)だ。

 特殊な呼吸によって体内にくまなく気血をめぐらせ、勁力に変換するのである。


 そのような状態から放たれる拳や蹴りは、たんに手足の末端を対手あいてに叩きつけるのとはまったく性質を異にする。

 いってみれば、勁力をたくわえた身体は水で充たされた巨大な瓶、手足はそこから伸びたいくつかの蛇口だ。

 どの蛇口をひねったとしても、水瓶に溜めこまれた水が流れ出てくるのはおなじである。

 すなわち、ということだ。


 物理的な力(拙力)に比重を置く外家拳であれば、事前の姿勢や予備動作から技の威力を推測することもできる。

 不安定な姿勢、ちいさな予備動作から強力な技を打つことは、物理的に不可能だからだ。

 いっぽう内家拳の場合は、見かけからは威力の強弱さえ判然としない。

 これほど武術家泣かせの流派もないだろう。

 なにしろ、次に来るのが一撃必殺の威力をもつ絶招(奥義)なのか、あえて受けることでを狙うべき小技なのか、実際に技を喰らうまで判断がつかないのだ。

 それは同時に、技の威力がわかったときには、もはや打つ手はないということでもある。


 もしブラックコズマが限界まで勁を練り、必殺の威力をこめた一撃を繰り出したなら、その時点ですべては終わるのだ。


「――――」


 音もなく黒い影が奔った。

 膝抜きによって重心を下げたブラックコズマが、そのまま突進に移ったのだ。

 頭の高さは、コズマの膝とほとんど変わらない。

 まさしく黒豹のごとき疾走であった。

 

「しゃっ!!」


 地面すれすれを這っていたブラックコズマの身体が浮き上がった。

 するどい軌道を描いて跳躍した黒いシルエットは、しかし、人間のそれとはあきらかに異なっている。

 上半身と下半身の位置がすっかり入れ替わっているのだ。

 ブラックコズマはすばやく空中で前転し、頭と両腕で全身を支える三点倒立の姿勢を取ったのである。

 重心を強固に支える三点倒立は、いうなればロケットの発射台カタパルトだ。

 打ち出すのはむろん自分自身の身体である。


 鍛えぬかれた身体能力フィジカルにものを言わせた、アクロバティックな飛び蹴り。

 言うまでもなく、それはほんらい外家拳が得意とする領域である。

 発勁による強烈な先入観を対手あいてに植え付けたうえで、外家の技で奇襲を仕掛ける……。

 すべてはブラックコズマが巧妙に仕掛けた詭計であった。


「ちいっ――――」


 後退が間に合わないと判断したコズマは、その場で上半身をおおきくのけぞらせる。

 スウェーバック。

 避けきれなかった場合に備えてか、両腕は胸の前で交差させている。


 はたして、ブラックコズマの飛び蹴り――というよりは、身体そのものを弾丸に変えた一撃は、コズマの下顎すれすれをかすめていった。

 

「おうっ」


 コズマが短く叫んだのと、その両手がブラックコズマの身体に伸びたのは同時だった。

 

 いったん飛び上がってしまえば、もはや空中で姿勢を転換することはかなわない。

 それは武術の素人でも、体術を極めた達人でも同じことだ。

 コズマがすんでのところで蹴りを交わしたことで、ブラックコズマは攻勢から一転、絶体絶命の窮地に陥ったのである。

 

 このまま関節を取られるか、あるいは寝技に持ち込まれるか……。

 いずれにせよ、攻撃の主導権はコズマに移る。

 零勁を使われるまえに関節を壊すのは、コズマにとっては造作もないことだ。

 骨折や靭帯断裂まではいかずとも、四肢の関節を外し、あるいは靭帯を伸ばすことで、発勁は使えなくなる。

 闘いの趨勢は一気にコズマの側にかたむく。――そのはずだった。


「ぬうっ!?」


 両のかいなでしっかと捉えたはずのブラックコズマの身体は、なんの手応えもないまま、コズマの手をすり抜けていった。

 

(バカな――――)


 コズマ――風祭が狼狽したのも無理はない。

 絶好の間合いだった。

 そのうえで、確実に手足のどこかを取れるタイミングを見計らったのだ。

 万が一にも捉えそこねることはありえない。

 だが、現実に、コズマはブラックコズマを捕捉できなかったのである

 

 倒立の姿勢で着地したブラックコズマは、はやくも立ち上がっている。


「”発勁は攻撃だけに使うもの”――そんな先入観を抱いていませんか?」

「まるで違う使い方があるような口ぶりだな」

「ええ。……ありますとも」


 ブラックコズマはこともなげに言うと、音もなく一歩を踏み出す。


「――――たとえば、このように」


 刹那、ブラックコズマの身体がはげしく動いた。

 目にも止まらぬ疾さの連続側転から、息つくまもおかずに連続バク宙。

 そして、最後は右腕一本だけで、スタジオの天井から吊るされた照明器具に掴まってみせたのだった。

 おそるべき跳躍力。

 おそるべき俊敏性。

 おそるべき筋肉のしなやかさ。

 そして、なによりおそるべきは、ブラックコズマ――黒衛が、いままでこの技を封印していたということだ。


 マスクごしの睨み合いのなかで、コズマはひとりごちるみたいに呟いた。


「軽功……か!?」

「ご明察のとおりです。勁力は攻撃に使うだけではないのですよ。手足に巡らせてやれば、こんなこともできる……」


 言い終わるが早いか、ブラックコズマは、天井の照明器具の上によじのぼった。

 地面までは、ゆうに三・五メートルほどはある。

 訓練を積んだ人間でも、よほどうまく着地しなければ骨折をする。

 もし当たりどころが悪ければ、死ぬこともあるだろう。

 そういう高さであった。


 次の瞬間、コズマはおもわず息を呑んだ。

 ブラックコズマが怪鳥けちょうのごとき奇声をほとばしらせ、一気にコズマめがけて飛び降りてきたのである。

 それも、ただ落ちてくるのではない。

 まるで一本の征矢と化したみたいに、ブラックコズマはコズマめがけて空中を突き進んでくる。

 むろん、人間がほんとうに飛べるはずはない。

 飛び降りた瞬間、ブラックコズマは溜め込んだ勁を足の裏から放出し、推進力に変えたのだ。

 やはり自分自身の身体をミサイルに見立てたプロレスのドロップ・キックとは、技の性質自体がまったく異なっている。

 ブラックコズマはあくまで重力に身を任せ、ほぼ真上からの垂直攻撃を可能としたのだ。

 大人ひとり分の体重と、頭の先から爪先まで練りに練った勁力が加わったその威力は、人間を絶命させるのに充分すぎるほどだろう。


「けやあっ!!」


 刹那――

 スタジオを領した甲高い絶叫は、はたしてどちらから上がったものか。


 次の瞬間、スタジオのカメラが捉えたのは、奇妙な光景だった。

 ブラックコズマの蹴りは、たしかにコズマの肩に命中している。

 にもかかわらず、コズマにはダメージを受けた様子は見受けられない。

 ブラックコズマの足首を掴み、そのまま握りしめているだけだ。


「き……さま」


 あるかなきかの小声で呟いたのはブラックコズマ――黒衛だった。


「まさか……を使ったのか……!?」

「黄瀬川師匠は纏絲勁てんしけいと言ってたがな。勁が使えるのは、てめえだけじゃないんだぜ」

「ぬうっ」


 ブラックコズマはコズマから飛び退ろうとするが、身体が思うように動かない。

 それもそのはずだ。

 勁には、攻撃だけでなく、防御のための技法も存在する。

 いまコズマが用いたのは、外部から加えられた勁力に、こちらからの勁力をぶつけることで、その威力を相殺する技であった。

 いま、両者の勁力を較べれば、コズマのそれがやや優勢である。

 調息によって気血をめぐらせ、内功を貯めていたのは、コズマもおなじなのだ。

 無駄な動きがなかったぶん、ブラックコズマより余裕があるのは道理でもあった。


「……!!」


 ふいにブラックコズマの身体が離れた。

 コズマが、足首を手放したのだ。

 

「どういうつもりですか?」

「どうもこうもあるかよ。こんな格好で闘うヒーローがどこにいる?」


 いつものように飄然と言いのけて、コズマはブラックコズマにむかってファイティングポーズを取る。


「さあ、続きだ。今度はこっちから反撃開始といくぜ」

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