宇宙拳人コズマ 対 暗黒拳人ブラックコズマ-3

――誰だ!? いったい、どこの誰が大哥あにきをこんな目に……!!


 力なく横たわるウェイにむかって、小黒シャオヘイは泣きそうになりながら叫ぶ。


 衛の受けた傷は、見た目よりずっとひどいものだった。

 全身の骨という骨が、まるでコンクリートミキサーにでも入れられたみたいに打ち砕かれているのである。

 肋骨のいくつかは内臓に深々と突き刺さっている。

 よほど強い打撃を受けたのか、身体じゅうに浮かんだアザは青紫色を通り越して、ほとんど黒くなっている。たんなる表皮の打撲ではなく、筋肉の深層部にダメージを受けた証だ。


 いまはまだ息があるものの、放っておけば死ぬことは、火を見るよりも明らかだった。


 しかし……と、小黒は逡巡する。

 医者に診てもらおうにも、スラムにいるのは無免許の闇医者と、あやしげな薬売りばかりである。

 香港の街には設備の整った病院もあるが、スラムの住人が駆け込んだところで、門前払いされるのが関の山だろう。国籍を持たず、税金を納めたこともないスラムの住人が表の社会を頼ることは、それほどむずかしいのだ。

 

――あの日本人リーベンレンにやられたんだな?


 小黒の問いかけに、衛はちいさく首を縦に振った。

 

――大哥、そいつの居場所を教えてくれ。

――知ってどうする? 小黒……。

――殺す。大哥をこんな目に遭わせた落とし前をつけさせてやる!!


 激昂する小黒に、衛はあくまで静かな声で語りかける。


――いまのおまえでは勝てん。やつは俺よりも、ずっと強い。

――だからどうしたというんだ。たとえ死ぬとしても、そいつの手足の一本や二本、目ん玉の一個くらいは道連れにしてやるさ。

――まだわからないのか? ……おまえに死んでほしくないんだよ、小黒。


 衛は小黒を手招きすると、耳元に唇を寄せた。

 もう大きな声が出せなくなっているのだ。

 遺言を伝えようというのである。


――いいか、よく聞け、小黒。おまえは自分のことをみなし児だと思っているが、ほんとうはな……。


***


 明後日。

 小黒は、空港のロビーにいた。

 

 衛は、けっきょくあの晩に死んだ。

 本人もみずからの死期を悟ったのだろう。

 闇医者に診てもらうか、せめて薬だけでもと必死に小黒が勧めても、「不要プーヤオ(いらない)」と繰り返すだけだった。

 

――そんなことより、まだ俺の息があるうちに、おまえには言っておかなければならないことがある。


 息も絶え絶えの衛は、最後の力をふりしぼって小黒に語りはじめた。

 ときおり意識がふっと遠のき、呼吸が止まることさえあった。

 そのたびに小黒は勁で心臓を揺らし、蘇生をおこなったのである。

 その場しのぎどころか、かえって寿命を縮めていることは、むろん承知の上だ。


 衛が小黒に語ったのは、次のようなことだった。


 自分はもともと河北省の生まれであること。

 戦争のさなか、祖父以外の家族は、みな死ぬか行方知れずになったこと。

 戦後の国共内戦の勃発にともない、たったひとりの肉親である祖父に連れられて、ふたりで香港まで逃げてきたこと。

 祖父は清朝の時代から武林(武術界)では名のしれた高手(達人)であり、孫の自分も幼いころからその技を伝授されてきたこと。

 その祖父が死ぬ間際、から、ひとりの孤児を託されたこと。

 

――”玉磨かざれば光なし”っていうだろう。この子は日本に置いてもたいした花は咲かない。ここ場所で、あんたがたに育ててもらうのがいちばんいい……。


 その日本人はそれだけ言うと、一生食うに困らないだけの金と、生後一歳半になるかという赤ん坊を置いていった。


 日本人が提示した条件はみっつ。

 ひとつは、スラムの外で暮らさないこと。

 ふたつめは、子供が成長したら武術を習得させること。

 そして、最後に、自分が引き取りに来るまで子供には真実を教えてはならないということだ。


 やがて祖父が死ぬと、残された衛が親代わりとなって、赤ん坊の世話をするようになった。


――大哥、まさか、その赤ん坊というのは……。

――おまえのことだよ、小黒。

――バカな!! そんなことを信じられると思うのか!?

――信じるも信じないも、事実は事実だ。俺は、愛情があるからおまえを育ててきたんじゃない。すべては報酬のためだったということさ。


 衛は笑おうとして、苦しげに咳き込む。

 服の前面は、喀血によって赤く染まっている。


――嘘だ。

――なにがだ、小黒?

――ほんとうにカネ目当てだったら、さっさと俺の身柄をその日本人に引き渡せば済むことだろう。それを拒み、闘って俺を守ろうとしたから、あんたはこんな目に遭わされた。ちがうか!?

――さあ、な……そう思いたければ、勝手にするがいい……。


 衛の呼吸が浅く、速くなった。

 生命がまもなく終わろうとしているのだ。


――いいか、小黒。はまだ香港にいる。だが、間違っても俺の仇討ちをしようなどとは思うな。ヤツは俺よりもずっと強い。いまのおまえが挑みかかっても、俺の二の舞いを演じるだけだ。


 だったら、どうすればいい――泣きそうな顔で問うた小黒に、衛は弱々しい声で答える。


――ヤツと……叢雨覚龍斎と会え。そして、いっしょに日本に行け。あの男は、おまえをもっと強くしてくれる。

――そんな男に弟子入りしろというのか!? それに、日本なんて生まれてからいちども行ったことがない。

――いいや、あるとも。おまえは日本で、日本人の親から生まれた。それを、叢雨が、俺の爺さんに……。


 衛はふたたびはげしく血を吐いた。

 その後も断続的に喀血と痙攣を繰り返したあと、衛は明け方に死んだ。


 中国では土葬が一般的だが、スラムには遺体を埋めておく土地などありはしない。

 遺体はスラム内にある当局無認可・無資格の火葬場に持ち込まれ、数時間後には骨になって戻ってくる。

 まだ熱い遺灰をすくい取り、衛が好きだった缶入りタバコの空き容器に詰める。葬儀はそれで終わりだった。


 空港ロビーのソファに腰掛けた小黒は、目当ての男を待っていた。


 叢雨覚龍斎。

 そいつが、衛大哥を殺した。

 自分自身が何者で、どこから来たのかは、もうどうでもいい。

 いまの小黒の思考を埋めるのは、叢雨覚龍斎という男が何者で、自分をどこまで引き上げてくれるかということだけだ。


――よおー、小黒ってえのはおまえさんかね?


 ふいに中国語で声をかけられて、小黒ははっと背後を振り返った。

 

 巨大な大樹がそびえていた。

 空港のなかに、しかし、そんな大きな樹木があるはずはない。


 そう見えたのは、ひとりの男だ。

 並大抵の男ではない。

 大樹と見まがう巨体をそびやかした大男である。

 身長二メートル。体重は一五◯キロ。

 その体重は脂肪ではなく、筋肉によって占められている。

 ゆったりとしたダブルのスーツの上からでも、すさまじい肉体の持ち主であることはひと目でわかる。


――君のには悪いことをしたな。だが、約束は約束なんだ。

――……。 

――おじさんといっしょに日本に来い。そうすれば、いまよりもっとずっと強くなれる。もしかしたら……


 覚龍斎がその言葉を口にした瞬間、小黒の顔がこわばった。


――この叢雨覚龍斎を殺せるようになるかもしれんぜ。

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