第五話「宇宙拳人コズマ第二号 対 怪星人マグナムウルフ」

宇宙拳人コズマ第二号 対 怪星人マグナムウルフ-1

 都内の大学病院――――

 重症患者のために設けられた特別病棟の最上階。

 窓際に置かれたベッドの上に、男はしずかに横たわっていた。


 風祭かざまつり豪史たけし

 ゆったりとした入院着の上からでも、胸や二の腕のたくましい筋肉がはっきりと見て取れる。

 それも、ボディビルダーのようないたずらに大きく、ごつごつと硬いだけの見せかけの筋肉ではない。

 強靭さとしなやかさをひとしく兼ね備えた、理想的な格闘家の肉体であった。


「……俺だ。入るぞ」


 風祭が「どうぞ」と応じるより早く、病室のドアが開いた。

 はたして、声の主は日陽テレビの橘川次長であった。


 ベージュのスプリングコートを畳んだ橘川は、ベッド脇のスツールに腰を下ろす。


「怪我の具合はどうだ、風祭」

「ぼちぼちってところですかね。しかし、こうやって一日じゅう寝転がってると、身体がなまっちまいそうですよ。天気もいいことだし、そのへんを軽くジョギングでも……」

「だめだ」


 あくまで冗談めかして言った風祭を、橘川はいたって真面目な声色で制止する。


「くれぐれも勝手に病室を抜け出してトレーニングなどしてくれるなよ。しばらくは絶対安静だと医者にも言われただろう」

「もちろんわかってますよ」


 先週の日曜日――――

『宇宙拳人コズマ』第四回が放送された直後、風祭は大学病院に救急搬送された。


 もっとも、当人にはそのときの記憶はない。

 控え室でマスクを外したとたん、意識を失ったのである。

 橘川の必死の呼びかけもむなしく、風祭は昏々と眠りつづけた。

 ようやく目を覚ましたのは、入院から二日目――火曜日の昼過ぎのことであった。


 診察の結果、風祭の胸骨と肋骨の一部にヒビが入っていることが判明した。

 とはいえ、それだけであれば、まる二日のあいだ昏睡状態に陥るようなことはない。

 念のため脳や中枢神経の精密検査もおこなったが、やはり異常は見当たらなかった。

 風祭の不可思議な病態には、担当した医師も首を傾げるばかりだった。


 それでも、橘川にははっきりと分かっていた。

 これまでの死闘で風祭の心身に蓄積されたダメージが、カッターカマギラとの闘いでついに限界に達したのだ。


 水を満々と湛えた一杯のコップを想像してみるがいい。

 表面張力の働きによって水位がからすこしはみ出してもまだこらえているが、ほんのすこしでも衝撃を与えれば、たちまち水はコップからあふれだす。

 あるいは、一滴でもあらたに外部から水を注ぎ足せば、やはりあやうい均衡は崩れてしまう。

 いまの風祭の肉体は、限界まで水を注がれたコップとおなじ状態にある。


 さいわい、今回はぶじに意識を取り戻すことができた。

 だが、次に限界を超えたとき、風祭の心身にどんな異変が起こるかは、だれにも予測がつかない。


 日陽テレビ社員として多くの試合中継を担当してきた橘川は、そうした例を何度も目の当たりにしてきた。

 それまで健康そのものだったプロボクサーやプロレスラーが、たった一度の試合をきっかけに廃人同然になってしまうのだ。

 ある者は家族の顔さえ判別つかなくなり、またある者は介添えなしには歩くこともできなくなった。感情の抑えが効かなくなり、暴力沙汰を起こして刑務所に入った者もいる。

 日々の鍛錬を欠かさず、世間の人間よりもはるかに頑強な肉体と精神をもっているはずの格闘家が、試合中に見えない一線を越えた瞬間になすすべなく壊れてしまう。

 そして、いちど壊れてしまった心身は、二度と元には戻らない。


 おそろしいのは、彼らはリングに上がるまえにかならず専門医の診察を受け、健康状態にお墨付きをもらっているということだ。

 医学的になんらの兆候も察知することができない以上、究極的には格闘技を辞めるほかに破滅を防ぐ手立てはないのである。

 彼岸と此岸をへだてる一線がどこにあるかを知る術はない。

 はっきりしているのは、風祭がに近づいているということだけだ。


『宇宙拳人コズマ』の残り放送話数は、あと三話。

 折り返し地点を超えたとはいえ、このさきも無事に乗り切れるという保証はどこにもない。

 そもそも、毎回異なる門弟を送り込んでくる叢雨流に対して、こちらは風祭ひとりで闘いつづけるという図式自体に無理があったと言えばそれまでだ。

 仮面劇として展開される番組の性質からいえば、次回から別の人間にコズマに入ってもらうことは不可能ではない。

 だが、叢雨流に通用するほどの使い手を探すのは至難の業――というよりは、ほとんど絶望的だ。

 風祭自身も、いまさら交代しろと言われても納得できないだろう。


 それでも……と、橘川は唇を噛む。

 風祭には、自分の口からはっきりと伝えねばならない。

 たしかに叢雨流の理不尽な圧力から特撮番組を守ることは大事だ。

 しかし、そのために取り返しのつかない事故が起こるようなことがあってはならないのだから。


「じつはな、風祭。今日はおまえに折り入って話が――――」


 背後でドアをノックする音が響いたのはそのときだった。


「妙だな。医者ならついさっき来たばかりなんですがね。ところで橘川先輩、話ってのは……」

「俺の話はあとでかまわない。誰かは知らんが、入ってもらってくれ」


 風祭が入るように告げるや、ドアがゆっくりと開いた。

 

 音もなく病室に入ってきたのは、ひとりの青年だった。

 一見すると女と見紛う美貌の持ち主である。

 年の頃は二十歳を過ぎたかどうか。

 濡れたようなつやを帯びた黒髪と、白い肌のコントラストが目を引く。

 長身痩躯を包むのは、髪とおなじ漆黒のスーツだ。

 全身黒ずくめのいでたちのなかで、ただ一点、胸元のスカーフだけが赤い。

 乾いた血をおもわせる、それは深く暗い緋色であった。


「風祭様にははじめてお目にかかります。わたくしは叢雨流の黒衛くろえ鏡志郎きょうしろうともうします」


 うやうやしく頭を下げた黒衛に、橘川は狼狽を隠せない様子で問いかける。


「どうやってこの場所を!?」

「大変失礼ながら、橘川次長が日陽テレビ本社を出たところから尾行させていただきました」


 慇懃に言って、黒衛は風祭と橘川を交互に見やる。


「本日はおふたりに総帥・叢雨覚龍斎からの言付ことづけを預かってまいりました」

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