宇宙拳人コズマ 対 怪星人カッターカマギラ-7(終)

 鉛のような沈黙がコズマとカッターカマギラのあいだを埋めていた。

 

 両者をへだてる距離は、およそ二メートル。

 カッターカマギラのの見えない攻撃も、これほど間合いが遠ければコズマに届くことはない。

 攻撃を当てるためには、どちらかが動く必要がある。


 コズマはいっこうに動く気配をみせない。

 下手に内懐インに飛び込めば、ふたたび首相撲からのティーカウ、そして裸締めの連携攻撃を喰らう危険がある。

 本来なら、裸締めが極まった時点で闘いは終わっていたのだ。

 先ほどはすんでのところで脱出できたが、もっけの幸いに二度目はない。

 それは、コズマ自身がだれよりもよく承知している。


 コズマに積極的に動く理由がない以上、必然的にカッターカマギラのほうから仕掛けるかたちになる。

 だが、カッターカマギラにとっても先に動くのは得策ではない。

 拳や蹴りといった末端の動作ならいざしらず、身体全体の動きの起こりを消すことは、さしものカッターカマギラにも不可能なのである。

 前進をこころみた瞬間、コズマに容易にこちらの動きを読まれてしまうということだ。

 そうなれば、体重ウェイトで劣るカッターカマギラは、一転して不利な戦いを強いられることになる。


 達人同士の闘い――とりわけ試合時間に制限のない真剣勝負においては、しばしばこのような状況が生じる。

 ただ凝然とにらみ合っているだけではない。

 互いに対手あいての出方を予測し、それを踏まえたうえで、勝利までの道筋を模索しているのである。

 手筋の読み合いという意味では、囲碁や将棋といった知的ゲームとなんら変わるところはない。

 もっとも、それらのゲームではたとえ致命的なミスをしても打ち手の肉体が物理的に傷つくことはないのに対して、格闘技の場合は文字どおり生死にかかわるという違いはあるが。

 

 コズマとカッターカマギラは、どちらともなく時刻を確認する。

 正確には、仮面の下で眼球をわずかに動かし、スタジオの一角に据えられたフリップ時計を見たのだ。

 番組の残り時間は、すでに五分を切っている。

 橘川次長をはじめとするスタッフたちの顔も、こころなしか強張っているようだった。

 

 ボクシングやプロレスの試合であれば、睨みあったまま動かない選手のあいだにレフェリーが割って入り、闘いを仕切り直すこともできる。

 しかし、特撮にレフェリーはいない。

 固唾を飲んで見守っているスタッフたちにしても、カメラが回っているあいだはどうすることもできない。

 虚構の世界の住人であるヒーローと怪人に対して、スタッフはあくまで現実の人間だからだ。

 現実の人間が土足で踏み入った瞬間、虚構の世界はあっけなく崩壊してしまう。その大原則は、ハリウッドの超大作映画だろうと、小屋がけの大衆演劇だろうと変わらない。

 放送倫理から逸脱した内容の『コズマ』が、それでもヒーローものとしての体裁を保っていられるのも、虚構というヴェールに包まれているからこそなのだ。

 

 だからといって、このままヒーローと怪人が睨み合ったまま番組が終わるなどもってのほかである。

 一話完結の番組である以上、決着は毎話かならずつけなければならない。

 あらかじめ決められた放送時間を逸脱することなく、シナリオどおりに正義が悪に勝利する……。

 そのどれかひとつが欠けても、虚構の世界はむざんに崩れ去ってしまうのだから。


 コズマが動いたのはそのときだった。

 つま先立ちではなく、足底(足の裏)を地面につけた歩法――いわゆるベタ足である。

 ベタ足はとっさの瞬発力に欠ける反面、身体の安定性はつま先立ちの比ではない。

 右、左と、どちらか一方の足を交互に前に出しながら、コズマは半身の状態でカッターカマギラににじり寄る。


 彼我の距離が一メートル半にまで詰まったとき、カッターカマギラの右脚がふいに揺らいだ。

 びゅっ――と、鞭をしならせるような音がスタジオに響きわたったのは次の瞬間だ。

 カッターカマギラの攻撃はすでに終わっている。

 右の中段蹴り。

 一見するとなんの変哲もない蹴り技だが、ムエタイのそれは下半身をひねり、全体重を乗せて放つという点に特徴がある。

 カッターカマギラは、蹴りの速度を極限まで高めることで、体重の不足を補ってあまりある破壊力を実現している。

 うかつにガードすれば腕がへし折れ、胴体にクリーンヒットすれば内臓が破裂する。

 放たれたが最期、対手あいては防ぐことも躱すことも叶わない。まさしく必殺の一撃であった。


「むうっ!?」


 仮面ごしに苦悶の叫びが洩れた。

 声の主はカッターカマギラである。

 右脚をコズマにむかって突き出したまま、カッターカマギラは微動だにしない。

 というよりは、のだ。

 

「きさま……」

「言っただろう。おなじ手は二度と喰わねえと、よ」


 カッターカマギラの右腿、ちょうど膝の上のあたりをまま、コズマは不敵につぶやいた。

 いつのまにか両者の身体はほとんど密着するほどに近づいている。

 

「無刀取りをやったのか!?」

 

 カッターカマギラの言葉に、コズマは無言で頷く。


 無刀取り――――

 ひと言でいえば、それは刀を持った相手を素手で制圧する技術である。

 振り下ろされた刀身を素手で受け止める、いわゆる真剣白刃取りと混同されることもあるが、実際にはまったく別の技だ。

 いったん加速がついた物体の軌道を見極め、精確に手で受け止めることは、物理的にも人体の構造的にも不可能にちかい。

 無刀取りとは、物体に加速がつく前の段階――――刀であれば刀身が鞘から出るまで、蹴りであれば動作モーションに入るまでにすばやく組み付き、加速それ自体を殺す技術である。

 コズマがカッターカマギラに仕掛けたのは、その意味でまさしく無刀取りにほかならなかった。


「なぜ俺の攻撃が……?」

「あんたの技はあいかわらず見えないさ。だが、後の先が取れなくても、を取りにいくことはできる」


 見えない”起こり”に対応するために、”起こり”そのものを封じる。

 ほんのわずかでも仕掛けるタイミングを誤れば、その瞬間にすべてが終わる危険な賭けだ。

 それを承知のうえで、コズマは、カッターカマギラの攻撃のさらに先を取るべく間合いに飛び込んでいったのだった。


「この姿勢なら拳や膝蹴りは届かない。お得意の首相撲にも持ち込めねえってわけだ」


 言って、コズマはカッターカマギラの右脚に両腕を絡める。

 膝十字固め――ほんらい寝技グラウンドとしておこなうそれを、お互いに立ったままやろうというのだ。

 膝と股関節を極める変形立ち膝十字。

 コズマ――風祭が独自に編み出した技ではない。

 それはカッターカマギラもよく知る自流の技であった。


「叢雨流――”雷樹らいじゅ”」


 みちり、みちり……と、樹木が裂けるような音が生じた。

 カッターカマギラの筋肉と腱、そして骨が同時に壊れていく音だ。

 雷樹という技の名は、落雷を受けた木がまっぷたつに引き裂かれる音にちなんでいる。


「ぐ、うおおおお――――」


 あまりの激痛に耐えかねたのか、カッターカマギラは両手の鎌をコズマめがけて振り下ろす。

 自分の足ごとコズマの腕を攻撃しようというのだ。

 ラテックスとプラスチックで作られた鎌だが、叩きつければそれなりの痛みを与えることはできる。


 と、ふいにカッターカマギラの身体が宙に浮いた。

 コズマが右脚を手放したのだ。

 激痛から解放された安堵よりさきに、カッターカマギラの背中を冷たい汗が伝った。

 いかに立ち技最強と謳われるムエタイでも、空中ではどうすることもできない。

 言うなれば、天井から吊るされたサンドバッグとおなじなのだ。

 

「あばよ――――愉しい試合だったぜ」


 刹那、すさまじい衝撃がカッターカマギラの胴を襲った。

 正拳をまともに喰らった華奢な身体は、紙でできた人形みたいにセットの端まで吹き飛ぶ。

 カッターカマギラの墜落とタイミングを合わせるように、番組のエンディング・テーマの前奏が流れはじめた。


【第四話 終】

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