宇宙拳人コズマ 対 怪星人カッターカマギラ-6

「ぬうっ――」


 コズマのマスクのなかからくぐもった声が洩れた。

 苦痛にうめくというよりは、喉につかえたものを必死に吐き出そうとしているような切迫感がある。

 衝撃のために呼吸ができなくなっているのだ。

 

 無理もない。

 コズマは、相手とゼロ距離で組み合った状態からはなつムエタイの膝蹴り――ティーカウをまともに喰らったのだ。

 首相撲で相手の身体を自分の内懐インに引き込んだうえで、胸や腹めがけてするどい膝蹴りを叩き込む……。

 これがティーカウである。


 人間の身体において、下肢(脚)は最も強力な武器とされている。

 筋肉の量も、骨の太さも、なにより単純な重量が前肢(腕)よりずっとおおきい。

 さらにつけくわえるなら、脚には腕の倍近いリーチがある。

 ボクシングや柔道、アマチュアレスリングなどで蹴り技が禁止されているのは、それを解禁すればまったく別種の競技になってしまうからだ。


 ムエタイには、そういったしがらみは存在しない。

 選手はどのタイミングでも蹴りを出すことができ、さらには組み技から膝蹴りへのコンビネーションも許されている。

 投げ技や寝技こそ禁止されているが、戦術の自由度が高いことには変わりない。

 そうした”なんでもあり”にちかいファイトスタイルこそ、ムエタイが立ち技において最強の武術と評されるゆえんでもある。


 カッターカマギラ――青江は、苦しむコズマにむかって語りかける。


「苦しいだろう。なにしろ胸骨にヒビが入っているんだからねェ」


 そうするあいだにも、カッターカマギラは両手の鎌でコズマの首を挟み込んだまま、すばやくその背後に回り込む。

 ちょうどコズマを軸に半回転するような格好だ。

 

「親切心で言うが、無駄な抵抗しないほうがいい。……はやく楽になりたけりゃねェ」


 言い終わるが早いか、カッターカマギラはコズマの背中に飛びついていた。

 鎌に挟まれていたコズマの頭は、前腕部のあいだに移っている。

 格闘技の知識をもつ人間なら、カッターカマギラがなにをしようとしているのかはすぐにわかる。


 裸締め――あるいは、リア・ネイキッド・チョーク。

 頸動脈を圧迫チョークし、脳への血流を止めることで、対手あいてを失神させる技である。

 見た目はプロレス技のヘッドロックそのものだ。

 叢雨流では、しかし、裸締めを単独で使うことはない。

 対手あいての背後に回りこみ、みずからの両腕を肩に絡ませたうえで、前腕部から手首で頸動脈をチョークするのである。

 人体の構造上、背中に抱きついた敵を攻撃することはきわめてむずかしい。拳や蹴りが届かないばかりか、金的や目突きでさえ、仕掛ける側の身体を盾代わりに防御されてしまうためだ。

 それゆえ、ひとたびこの形が完成すれば、もはや逃れる術は存在しないと言ってよい。

 ギブ・アップか、失神か……あるいは、死。

 もっとも、生殺与奪の権をにぎっているのはあくまでカッターカマギラである。

 コズマにあたえられた選択肢は、ギブ・アップを宣言することだけなのだ。


 なら、当然ギブ・アップせざるをえない局面だ。

 しかし、『宇宙拳人コズマ』はである。

 なにがあっても、正義の味方が勝ち、悪役が負けるというお決まりのストーリーをやりきらなければならない。

 その逆は、ぜったいにあってはならないのだ。

 ヒーローが敵の攻撃によってぶざまに失神する、あるいは自分からギブ・アップを宣言する……。

 そんな場面が公共の電波で流れるようなことになれば、特撮番組を支える虚構フィクションは跡形もなく崩れ去ってしまうだろう。


 テレビのまえで番組を観ている視聴者――まだものの分別のつかない子供たちにとって、特撮はあくまで現実リアルだ。

 脚本の存在など知る由もない彼らから見れば、ヒーローと怪人の闘いは生命がけの真剣勝負なのである。そこに大人の都合である虚構フィクションが入り込む余地はない。

 作り手もそれを理解しているからこそ、技術と予算とスケジュールが許すかぎり、着ぐるみ同士の殴り合いという馬鹿げた見世物を、いかに本物らしく見せるかということに心を砕いてきたのだ。


 コズマがカッターカマギラに敗北するということは、数多くいるヒーローのひとりが醜態をさらすというだけではない。

 幾多の先人が築き上げてきた、いかにも現実リアルらしい虚構フィクション――特撮の底が抜けるということだ。

 いちど底が抜けてしまえば、おそらく二度と元には戻らない。

 虚構を守るたったひとつの方法は、「コズマの勝利」という調で番組を終わらせることだ。

 

 コズマ――風祭にとって、特撮の未来がどうなろうと知ったことではない。


――敗けるのはいやだ……。


 ただその一念が、暗い淵に落ちかかっていた意識を現実に引き戻した。

 

「おおっ」


 コズマの両脚が地面を離れた。

 背中のカッターカマギラもろとも宙に浮き上がった格好である。

 さして高いジャンプではない。

 それで充分だ。

 コズマは自分の体重を武器に、カッターカマギラを叩き潰そうというのである。

 さしずめ逆ボディ・スラムとでもいうべき技であった。

 

 ふつうの体格の男にとってはどうということもないが、極限まで贅肉を落としているカッターカマギラはべつだ。

 八◯キロからの重量に潰されれば、全身の骨が破壊されてしまう。

 

「ちいっ!!」


 カッターカマギラは空中で裸締めを解く。

 もうすこしで絞め落とせたはずだが、背に腹は代えられない。

 焦る必要はないのだ。

 攻撃を仕掛けるチャンスなら、このさき何度でも巡ってくるのだから。


 体勢を立て直したカッターカマギラにむかって、コズマはくいくいと人差し指を動かす。


「仕切り直しだ。おなじ手は二度と通じねえぜ、カマキリ野郎」

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