宇宙拳人コズマ 対 怪星人カッターカマギラ-3

 あらゆる武術に共通するひとつの真理がある――――。


 べつに格闘技だけに限った話ではない。

 剣術、槍術、弓術……果ては銃にいたるまで、古今東西の戦いにまつわるすべての流派、すべての技術体系における普遍にして不変の真理だ。

 を実現することができれば、どんな敵にも勝つことができる。

 魔法ではない。

 あくまで現実の話だ。


 それは、自分が最初に攻撃を当てるということである。

 敵の攻撃が当たるまえに自分が一撃を叩きこむ、と言い換えてもよい。


 自分が、いちばん最初に拳なり蹴りを当てる。

 自分が、いちばん最初に剣で斬りつける。

 自分が、いちばん最初に引き金を引く。


 百パーセントの確率でそれができるのであれば、理論上はぜったいに敗北することはない。

 初撃が当たった時点で敵は倒れる。――――そこで勝負は終わりだ。


 もちろん、一撃で敵を屠るためにはそれなりの威力が必要になるが、それはさほどむずかしいことではない。

 剣や槍、銃を用いるのであれば、狙いさえ誤らなければ、初撃で敵を葬り去ることはたやすい。

 素手であっても、訓練を積んだ人間なら、相手の急所を突いて致命傷を与えることができる。

 戦いにおける先手の強みとは、突き詰めれば、最初の一撃で勝負を終わらせる権利を得るということにほかならない。

 これは近現代の戦争において、”最初に見つけファーストルック最初に撃ちファーストシュート最初に殺すファーストキル”という戦術がことさらに重要視されるゆえんでもある。

 後手に回った側は、その時点で反撃の機会を失い、敗北を余儀なくされるということだ。


 言葉にしてしまえば、これほど簡単な理屈もない。

 すくなくとも、銃を持った兵士、あるいは戦車や戦闘機同士の戦いの次元であれば、先手の有利を否定する者はまずいないだろう。

 剣術にしても然りである。


 しかし、ことが生身の人間同士の格闘となれば、話は変わってくる。

 回避不能な速度――超音速で飛来する銃砲弾やミサイルとちがって、人間がはなつ拳や蹴りの疾さなど知れたものだ。また、刀剣のようにかるく触れただけで骨肉を断つ破壊力がそなわっているわけでもない。

 かりに先手を取ったとしても、相手の技量いかんによっては避けられたり、防御されてしまうおそれがあるということだ。

 それどころか、悪くすればこちらの手足を掴まれ、関節を極められてしまうということもありうる。

 生身の格闘では、最初に攻撃を仕掛けたからといって、かならずしも絶対的な優位を占められるとはかぎらないのである。

 それは格闘技に特有のむずかしさであり、同時に奥深さでもあろう。


 それでも、格闘技において先手必勝・一撃必殺の技を究めようとする者は後を絶たない。

 叢雨流の青江あおえ加寿也かずやもそのひとりだった。

 もともとは空手で鳴らした男である。

 空手を始めたのも、一撃必殺の思想にたまらなく惹かれたためだ。

 叢雨流に移ってから、その狂おしいまでの探究心はますます過熱していった。

 古流を皮切りに、中国拳法やボクシング、果ては居合術まで、見境なく手を広げていったのである。


 だが――

 寝食を忘れて修行に打ち込んでも、青江の心が満たされることはなかった。

 それどころか、学べば学ぶほどに、先手必勝・一撃必殺の理想を現実におこなうむずかしさを痛感するばかりだった。


――しょせん人間の身体は、刀や銃弾とはちがう。


 当たり前の事実を受け入れることを、しかし、青江はこばんだ。

 師・叢雨覚龍斎に頼みこみ、武者修行の旅に赴いたのは、いまから六年前のこと。

 当時の青江は二十一歳。

 身長一九◯センチ、体重八三キロの堂々たる体躯の持ち主であった。


 最初の目的地にえらんだのはタイだ。

 立ち技において世界最強と評されるタイの国技・ムエタイを習得するためである。

 一年ほど修行を積んだあと、青江は日本人であることを隠して、首都バンコクの賭け闘技場に出場するようになった。


 タイにおけるムエタイは、伝統的な格闘技であると同時に、一般大衆の賭けの対象としての側面をもつ。

 地方都市からバンコクのような大都会まで、およそ人間が住むあらゆる場所に大小の闘技場があり、無数の選手がひしめいている。

 もっとも、政府の認可のもとで興行を打っている闘技場はごくわずかで、ほとんどは違法な地下闘技場である。


 青江が参加したのは、そうした地下闘技場のなかでも、とくに後ろ暗い場所だった。現地のマフィアと腐敗した軍事政権の幹部が手を組み、公然と殺人がおこなわれる文字どおりの魔窟だったのだ。

 観客のなかには、南ベトナムから国境を超えてやってきたアメリカの軍事顧問もいれば、シンガポールやフィリピンで財を成した華僑の大物もいる。

 そんな場所に日本人が参加していることが表沙汰になれば、外交問題にも発展しかねない。

 けっきょく、青江は一年ちかく闘ったあと、地下闘技場を後にした。


 敗けたのではない。

 勝ちつづけた結果、闘う相手がいなくなったのである。

 いくら当人がその気でも、相手がいなければ試合は成立しない。

 ギャンブルの本質はスリルだ。強すぎる選手は胴元からも観客からも嫌われる。

 それは表の世界でも裏の世界でも変わらない。

 なにより、青江には地下闘技場を去らねばならない理由があった。


 過酷な闘いのなかで、青江はいつともなく麻薬ドラッグに溺れるようになっていたのだ。

 タイにかぎらず、当時のインドシナ半島の諸国家は、いずれも深刻な薬物汚染の渦中にあった。

 南ベトナムに駐屯するアメリカ兵が持ち込んだマリファナやハッシシ、コカイン、合成麻薬LSDが地下ルートで大量に流通していたことにくわえて、山岳部では少数民族による麻薬密造所が数多く作られていたのである。

 地下闘技場では、ファイトマネー代わりにそうした麻薬が支給されることがめずらしくなかった。

 ふだんは密売人に流すことで現金に換えていた青江だが、あるとき興味本位に試してみたのが運の尽きだった。


 五感は研ぎ澄まされ、肉体は羽が生えたように軽快に動く。

 どんなに激しい試合を繰り広げても、疲労を感じることなくいつまでも闘いつづけることができる……。


 青江は、そのまま薬物の底なし沼に引きずり込まれていった。

 気づいたときには、りっぱな中毒患者のできあがりだ。

 八◯キロを超えていた体重は五◯キロを切り、鍛え上げた筋肉は無残なほどに削げ落ちていた。

 心身が破滅にむかっているにもかかわらず、青江の強さはいっこうに衰える気配はなかった。

 それどころか、技のキレはかつてないほどに冴えわたり、以前は手こずっていた強敵を一撃でノックアウトできるようになっていたのである。


 理由は分かりきっている。

 薬物の乱用によって体重が激減したためだ。

 ひたすら鍛えつづけた鋼の肉体が、かえって足枷になっていたのだ。

 筋肉のほとんどが削げ落ちたことで、青江の肉体ははからずも極限まで軽く、その動作は見ちがえるほど疾くなったのである。


 紙ほども薄く研ぎ上げられた刃のように――――

 あるいは、軽金属で作られたライフル弾のように――――


 先手必勝・一撃必殺の理想を実現するには、重さは必要ない。

 ほんのわずかな質量を、超高速で叩きつける。

 これこそが、青江がずっと追い求めていた答えだったのだ。

 破滅の淵でようやく掴んだ、それは一筋の光明だった。


 幽鬼同然の姿でタイを出国した青江は、ミャンマーとネパールを経由して、陸路インドに入った。

 目的はただひとつ。ヨーガを修めるためだ。

 ヒンズー教の僧侶は、苦行のひとつとして断食をおこなうことがある。

 彼らはほとんど食事を摂らず、身体じゅうの骨が浮き出るほど痩せているのに、ふつうの人間よりもずっと長く生きる。

 それはヨーガの特殊な養生法によるものだと、青江はかつて人づてに聞いたことがあった。


 薬物によって理想の肉体を手に入れることができたのは事実だ。

 しかし、その弊害はあまりにおおきい。このまま依存しつづければ、遅かれ早かれ死ぬことになる。

 薬物依存を脱し、ヨーガによってを永く維持する……。

 

 その一念をいだいて、青江はサドゥーとよばれる苦行僧たちの集団に加わった。

 青江は幾度となく襲いかかる禁断症状を乗り越え、断食の苦しみにも耐えた。

 僧たちにその努力を認められ、ヨーガの奥義を伝授されたのは、インドを訪れてから三年後のこと。

 もはや薬物に頼ることなく、青江はみずからの生命力だけで、理想的な肉体を維持する術を手に入れたのだった。

 

 師・叢雨覚龍斎からの便りが届いたのは、ちょうどそんな折だった。

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