宇宙拳人コズマ 対 怪星人カッターカマギラ-2

 第三話の放映から三日後――――水曜日。


 日陽テレビ前の大通りを、二人の男が歩いていた。

 ひとりはいかにも大企業のサラリーマン然としたスーツ姿。

 もうひとりは、生成色のシャツに色の抜けたジーンズ、足元はスニーカーというラフな格好である。


 服装こそ対照的だが、どちらも一八◯センチを超える長身と、引き締まった肉体の持ち主である。

 加えて、ラフな格好のほうは、一見すると日本人とはおもえない目鼻立ちをしている。

 都会の雑踏にまぎれていても、いやでも目を引く二人の男。

 日陽テレビの編成次長・橘川と、宇宙拳人コズマ――風祭豪史であった。


「悪いスね、仕事中だってのに病院に付き添ってもらっちまって」


 言って、風祭は左右の手首をかるく回してみせる。


 ついいましがた、大学病院で精密検査を受けたばかりだった。

 心配ないと言い張る風祭を、例によって橘川がなかば引きずるようにして受診させたのだ。

 かろうじて勝利したとはいえ、ミサイルコブラとの死闘で受けたダメージが軽かろうはずはないと判断したのである。

 はたして、骨や腱、内臓の異常こそなかったものの、風祭は全身いたるところに打撲傷を負っていることが判明した。

 とりわけミサイルコブラの攻撃を受け止めた部位は内出血によって青黒く染まり、その打撃のすさまじさを無言のうちに物語っていた。


 この種の外傷にたいして、医者ができることはさほど多くない。

 せいぜい消炎鎮痛作用のある湿布薬を処方し、数週間のあいだ激しい運動をつつしむように言いつける程度だ。

 もっとも、この患者の場合、けっして守られることのない約束であった。


「気にするな。おまえにはまだあと四回は闘ってもらわなけりゃならんのだからな」


 橘川は風祭の首元をちらと見やる。

 つん――と、ハッカみたいな匂いが鼻を衝いた。

 近づかなければわからないが、風祭の上半身は、ほとんど湿布と包帯に覆われている。

 常人なら痛みで起き上がれないほどの重傷だ。

 第一回のキラーアルマジロン戦、第二回のデッドマンモス戦の分も勘案すれば、風祭の肉体には相当なダメージが蓄積しているはずであった。

 そんなことはおくびにも出さず、風祭はあくまで飄然と歩を進めている。


――――なんという男だ……。


 そんな橘川の視線に気づいてか気づかずか、風祭は「そうだ」と言って、軽く手を叩いた。


「ところで橘川先輩、ちょいと腹が減ってきたんですがね」

「ほかならぬの頼みだ。ビフテキでも寿司でも、なんでも好きなものを食っていいぞ」

「そいつは昼間から豪勢でいいや――――」


 二人がはたと足を止めたのは次の瞬間だった。

 前方に不自然な人だかりができていることに気づいたのだ。


 そこになにがあるというわけでもない。

 ガードレールぞいに電信柱が立っているだけの、ただの通りの一角である。

 行列を作るような店もなければ、バスの停留所でもないその場所に、三十人からの人間が蝟集しているのである。

 

 よくよく目を凝らせば、人々の頭越しになにかがはためいているのがみえた。

 粗末な棒切れに引っかかった、これまた薄汚いのぼりだ。

 元の色がわからないほど変色しきった幟には、達者な筆運びでなにごとかが書きつけてある。


「”印度インドに伝わりし提婆達多ダイバダッタの智慧、神秘のヨーガ その伝導者来たる”……?」


 幟の文字を読み上げた橘川に、風祭は怪訝そうに問うた。


「いったいなんです、そのダイバなんとかってのは?」

「ブッダ、つまりお釈迦様の弟子のひとりだ。もっとも、最後はブッダを殺そうとして、逆に地獄に落ちたという……」

「キリスト教のユダみたいですね」

「まあ、そんなところだ。しかし、提婆達多のヨーガというのはよくわからんな」


 橘川が言い終わらないうちに、風祭は人だかりにむかって一歩を踏み出していた。


「おい、風祭……」

「面白そうだ。ちょっと見物していきましょう」


 野次馬をかき分けるまでもなく、目当てのものはすぐに見つかった。


 電信柱の根本のあたりに、目の粗いゴザが敷かれている。

 その上であぐらをかいているのは、柿渋色の服――というよりはほとんどボロ切れ――をまとった男だ。


 それだけなら、托鉢の僧侶に見えたかもしれない。


 男の異様な風体は、しかし、そうでないことをはっきりと示していた。

 おそろしく痩せているのである。

 ほとんど骨と皮だけと言っていいだろう。

 まさしく生ける屍といった容貌だが、その枯れた肉体にはたしかな生命力がみなぎっている。

 落ちくぼんだ眼窩の奥で瞳は炯々とかがやき、その息遣いはあくまで力強い。


 叢雨流の青江あおえであった。


「さあさあ、お集まりのみなさん――――ほんの一センチでよろしい。どんな方法を使われてもかまいません。私をここから動かすことができた御仁には、現金で三十万円さしあげましょう」


 青江は群衆に語りかけつつ、袈裟の懐から一万円札の束を取り出してみせる。


 三十万円。

 おおかたの人間にとって百万や一千万という大金は夢物語に近いが、三十万という数字にはリアリティがある。

 宝くじに当たったり、競馬で万馬券を掴めば、そのていどの金はふいに転がり込んでくるかもしれない。

 多少のツキがあれば、そのくらいは手に入る……。

 人間にそういう感覚を抱かせる金額だ。

 それにしても、痩せっぽっちの男を動かすだけで三十万とは、うますぎる話であった。


「その話、本当だろうな」


 野太い声とともに、人ごみを割って巨体がぬうっと進み出た。

 ゆうに体重一五◯キロはあろうかという巨漢だ。

 身体の縦と横の比率がほとんど変わらない。

 相撲取りのようにもみえるが、力士にしては硬すぎる肥りかたであった。

 

「俺は帝桜大学ラグビー部で副主将をやっている者だ。なにをしてもいいということは、あんたにむかって本気でタックルしてもかまわないんだな?」

「ええ、ええ、もちろんですとも」

「死ぬぜ、あんた」

「さて、それは試してみなければわかりませんねェ」


 青江の言葉を耳にしたとたん、副主将の顔はみるみるこわばっていった。


――こいつは俺をなめている。

――俺の実力を値踏みして、たいしたことはないとみくびっていやがる。


 ラグビーは球技と言っても、その競技内容はほとんど格闘技にちかい。

 筋骨たくましい男たちが互いの身体をぶつけあうさまは、なまじな武術の試合よりも迫力がある。

 そういう競技である以上、選手もそれなりに血の気が多くなければとてもやっていけない。

 戦前からの強豪校である帝桜大の副主将ともなればなおさらだ。


――こんなインドかぶれのヒッピー野郎になめられてたまるか‼︎


 いったん生じたくろぐろとした感情はたちまち膨れあがり、巨体はおさえがたい暴力衝動に支配されていく。


「ここにいる全員が証人だ。いまさら取り消そうたって遅いぜ」


 副主将は言いざま、すっと腰を落とす。

 顔は前方にむけたまま、両脚をゆるく開いた独特の構え。

 タックルの体勢に入ったのだ。

 

「……やばいな」

 

 ぽつりと呟いたのは風祭だ。


「橘川先輩、あいつ、殺されるかもしれませんよ」

「止めるぞ。あの図体をぶつけられたら大変なことになる」

「いや、俺が心配してるのはそっちじゃなくて……」


 どずん、と、すさまじい音が聞こえてきたのは次の刹那だった。

 やや遅れて、そこかしこで悲鳴があがる。


「……遅かったか」


 風祭の言葉は、意味深長な響きを帯びていた。


 人ごみをかきわけて最前列に出た橘川が目の当たりにしたのは、信じがたい光景だった。


 地面にばかでかいものがへばりついている。

 人間というよりは、まな板の上に置かれた豚肉のブロックにちかい。

 副主将だ。

 白目を剥き、唇の端には細かな白い泡が浮いている。


 奇怪な光景だった。

 他人を倒すことはあっても、倒されることはぜったいにないはずの人間がぶざまにのびている。

 そして、ほんらい踏み潰されていなければならないはずの青江は、その場から一歩も動いてはいないのだ。


「ご心配なく――死んではいませんよ。だいぶ手加減をしましたからねェ」


 こともなげに言った青江に、どこからか「やるな」と声がかかった。

 風祭は副主将の身体をまたぐようにして、青江のまえに立つ。


「脳みそを頭蓋骨のなかで揺らされれば、どんな大男でもひとたまりもねえよな」

「ほう」

「あんたはそこから動かず、突っ込んできたそいつの耳の後ろを軽く叩いただけだろう。あとはこのが勝手につんのめってこのざまだ。ちがうか?」

「驚きました。ご明察のとおりです。……いかがです、次はあなたが挑戦してみては?」


 わずかな沈黙のあと、風祭はふっと苦笑いを浮かべた。


「あいにくだが、やめとこう。まだ調じゃないんでね」

「それは残念です。しかし――――」


 風祭を見上げた青江の顔に、薄い微笑みが兆した。

 もし死神が笑ったなら、きっとこんな顔になるにちがいなかった。


「あなたとは、近いうちにまた会えるような気がしますよ」

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