宇宙拳人コズマ 対 怪星人ミサイルコブラ-4

 中国拳法は、北派と南派に大別される。

 そのうちの北派には、そのおおきく分けてふたつの体系がある。


 ひとつは内家拳――あるいは、内功ともいう。

 その名が示すとおり、人間の内なる力――いわゆる”気”――を高めることで、至高の境地へと至ろうとする思想である。

 その方法論の詳細については割愛するが、道教における内丹術、つまり仙人へと至るための修行法との類似点も多い。

 内功を重視する門派のなかでも、最も有名なのは太極拳だろう。

 太極拳に八卦掌と形意拳をあわせて、内家三拳とも呼ばれている。


 そして、もうひとつは外家拳――外功である。

 気という、現代科学でも解明できない超常的な力を重視する内家拳に対して、外家拳はあくまで物理的な力を求める思想である。

 こちらの代表的な門派は、言わずとしれた少林拳だ。

 その発祥の地は、北魏の時代、河南省に創立された嵩山少林寺である。

 僧侶たちの手によって発展した少林拳は、しばしば「天下の功夫は少林よりず」といわれる。

 数ある中国拳法のなかでも、少林拳は古い形質を色濃く残しているといった意味合いである。

 八極拳や螳螂とうろう拳も、外家拳に分類される。


 外家拳の特徴は、厳しい肉体の鍛錬にある。

 たとえば、洪家拳でおこなわれている鉄砂掌てっさしょうという鍛錬法は、砂袋をひたすら拳で叩くという単純なものである。

 それでも、三年のあいだ鉄砂掌の錬功(練習)に打ち込めば、人間を殺傷するほどの力を得ることができるという。

 比武(試合)で人を殺してしまうことを恐れ、鉄砂掌を忌避する拳士までいたほどなのだ。


 叢雨流でも、北派・南派をとわず中国拳法の技術はひろく取り入れられてきた。

 紫野はみずからの拳を構築するうえで、北派外家拳をその中心軸に据えた。

 というよりは、紫野の場合には、そうするよりほかに選択肢がなかったのである。


 紫野の頑強な肉体は天与のものだ。

 十四歳のときには素手で鉄棒を折り曲げ、スクラップ置き場の廃車を叩いて拳を鍛えていた。

 そのいっぽうで、合気道や気功といった内的な力に関しては、まったくと言っていいほど才能がなかった。

 紫野の資質はあくまで肉体的フィジカルに特化したものであり、内的な力とは相容れなかったのである。


 合気道にせよ内功にせよ、人間の内面から生ずる神秘的な力は、しばしば即物的な筋力よりも崇高なものとされがちだ。

 もっとも、”柔よく剛を制す”とは、あくまで日本の武術界における通念である。

 中国拳法において、内功と外功のあいだに優劣は存在しない。

 理想は、その両方を身につけることだ。

 それゆえ内家拳でも肉体の鍛錬を修行に取り入れ、また外家拳も気の修養をおこなうのである。

 外功と内功は正反対の性質ではないどころか、陰と陽のごとく、互いに相補する関係にあると言ってよい。


 紫野には、しかし、それができなかった。

 彼がえらんだのは、あえて功夫の理想に背を向けることだった。

 すなわち、内功を切り捨て、外功のみを極限まで鍛え上げたのである。

 肉体だけに偏重したアンバランスな強さである。中庸という観点からは、とても褒められたものではない。

 そんな紫野の思想、ひいては武術家としての在り方は、おなじ叢雨流の門下生からも白眼視されるものであった。


 そんななかで、ただひとり紫野を認めた男がいた。

 総帥・叢雨覚龍斎その人である。


――おめえには、それしかねえんだろう。

――だったら、他人になんと言われようと、行けるところまで行ってみろ。


 その言葉を励みに、紫野はひたすら修行に打ち込んだ。

 皮膚が破れ、爪が剥がれても、日夜ひたすらに鉄を打ちつづけた。

 傍目から見れば、狂気じみた自傷行為にほかならない。

 再生を繰り返した掌底やかかとの組織は肥厚し、手指は拳ダコによっていびつに変形した。


 そうして二十歳をすぎたころ、紫野の努力はついに開花のときをむかえた。

 拳でも蹴りでもかまわない。

 一発でも当てさえすれば、相手は立ち上がれなくなる。

 そういう境地に、紫野はたどりついたのだ。

 いくら防御を固めたところで防げるものではない。

 腕で受ければ腕が折れ、足で受ければ足が折れるのである。


 こうなってしまうと、もはや大抵の武術家とは試合そのものが成立しなくなる。

 紫野と戦えるのは、黄瀬川のような関節技サブミッション寝技グラップリングの名手か、総帥である叢雨覚龍斎だけだ。

 あいつと戦えばかならず壊される……。

 いつしか紫野は、門弟たちから”壊し屋”とあだ名されるようになっていた。


 そんな折、は起きた。

 他流試合のさなかに、紫野は対戦相手を死なせてしまったのである。

 むろん故意ではない。完全な事故である。

 叢雨流の、かかとをハンマーみたいに打ちつける後ろ回し蹴り――”震天しんてん”が、まともに相手の頭に入ったのだ。

 即死だった。

 事情を知らない人間がみれば、トラックに轢かれたか、ビルから墜落したと判断したにちがいない。

 それほど凄惨な死に方であった。

 試合に先立って書面を交わしていたこともあり、紫野は刑事・民事ともにいっさいの責任を問われることはなかったが、人の口に戸は立てられない。

 紫野の二つ名が”壊し屋”から”殺し屋”へと変わるのに、そう長くはかからなかった。


 整体と按摩の資格をとり、伊豆に自分の診療所を開いたいまでも、紫野の心には黒いものがわだかまっている。


 あれは、不幸な事故だ。

 殺そうと思って殺したのではぜったいにない。

 武術を続けているのは、やましいことなどなにもないからだ。


 いくら自分自身にそう言い聞かせても、


――ほんとうにそう言いきれるか? 俺は、ほんとうは殺すつもりでやったのではないか……?


 そんな疑問が、つねに意識のどこかにこびりついて離れない。

 

――殺しちまえよ。


 覚龍斎にそう囁かれたとき、だから、紫野ははげしく動揺した。

 自分の心の奥底を見透かされたような気がしたのである。


 おたがいに死を覚悟の上での試合……。

 そんな条件のもとで戦える日は、もう二度と来ないと思っていた。

 紫野が『宇宙拳人コズマ』への出演を二つ返事で承諾したのは、覚龍斎への義理立てのためではない。


 コズマとの戦いを通して、あの日の自分自身の真意を突き止めようというのだ。


***


 ラテックスと合皮で作られた着ぐるみは、見た目よりも動きやすかった。

 

 控え室の鏡のまえに立った紫野は、覗き穴を通して自分自身の姿を確認する。

 そこに映っているのは、叢雨流の紫野鐵兵ではない。


 怪星人ミサイルコブラ。

 悪の帝王サタンゴルテスが送り込んだ地球侵略の尖兵だ。

 企画書によれば、アラブの砂漠に棲息するキングコブラと、アメリカ軍のサイドワインダー・ミサイルを合体させたということになっているらしい。


 見た目は、蛇の身体から四肢が生えた異形の怪人である。

 うろこに覆われた表皮は、いかにも毒蛇らしい赤紫と黄のまだら模様に塗られている。

 覗き穴は口の奥だ。

 視界はお世辞にも良好とはいえないが、それは相手もかわらない。


 紫野は呼吸を整え、ゆったりと套路とうろをおこなう。


 捶(打撃)――


 腿(蹴り)――


 擒掌(関節技)――


 いずれも問題ない。

 この姿でも、自分は十全に闘える。

 それが確認できればじゅうぶんだった。


 ひとしきりウォーミングアップを終えたとき、控え室の外で「本番開始十分前」を告げるスタッフの声が響いた。

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