宇宙拳人コズマ 対 怪星人ミサイルコブラ-2

 波の音が響いていた。


 伊豆半島の突端にある集落だ。

 人口千人にも満たない、ちいさな港を中心とした漁村である。

 家々が集まっている区画からすこし離れた場所に、その建物はあった。


 建物とはいうが、その実態はほとんどバラック小屋だ。

 外壁は適当な廃材を組み合わせたらしい。ところどころ腕が入るほどの隙間がある。

 トタン張りの屋根は、たえまなく吹き付ける潮風によって真っ赤な錆を吹き、いつ倒壊しても不思議ではない。

 どこから見てもオンボロの掘っ立て小屋である。

 人が住んでいるのかどうかもあやしい。


 それだけに、戸口に掲げられた真新しい看板はひときわ目を引いた。


 紫野しの整体院。


 看板には、達者な文字でそう記されている。

 

 ぎい――と、おもわず耳をふさぎたくなるような音を立てて扉が開いた。

 その奥から現れた人影はふたつ。

 まっくろに日焼けした青年と、ゆうに八十を超えているだろう腰の曲がった老婆だ。


「バアちゃん、あんまし無理すんなよ」


 青年の心配をよそに、老婆はぐっと身体に力を込める。

 すると、どうか。

 ほとんど直角に曲がっていた腰が、背骨が、みるみるまっすぐになっていく!

 むろん、完全に垂直とはいかない。

 それでも、年齢を考えれば、じゅうぶん矍鑠かくしゃくとした佇まいであった。

 老婆はその場でとんとんと足踏みをする。年齢に不似合いなほど軽やかな動作であった。


「よかったですねえ、田村さん」


 声は小屋の奥から聞こえた。


 ややあって戸口に姿を見せたのは、ひとりの男だ。

 年齢は三十四、五歳といったところ。

 ボサボサの長髪を無造作に束ね、色のあせた青い作務衣に身を包んでいる。

 まばらに伸びた無精髭といい、お世辞にも清潔感があるとはいえない容貌だが、不思議と汚らしさを感じさせない男であった。


「おかげさんで、紫野にはなんとお礼を言ったらええやら」

「具合が悪くなったらいつでもいらっしゃい。それと……」


 紫野はにっこりと相好を崩す。


「港でが出たら、私のところに持ってきてくれると助かります」


 何度も頭を下げつつ家路につく青年と老婆を見送りながら、紫野は肩をと鳴らす。


 紫野しの鐵兵てっぺいがこの村に治療院を開いたのは、いまから三年ほどまえのこと。

 紫野は医師ではない。

 できるのは整体と骨接ぎ、按摩、鍼灸である。

 そんな紫野のもとを訪れるのは、本職の外科医がさじを投げた重病人だ。

 重度の関節リウマチや変形性関節症、スポーツ外傷に苦しむ患者が、わらにもすがる思いで診療所の門を叩くのである。


「さて――――」


 紫野は、診療所にはもどらず、そのまま海のほうへ足を向けた。

 診療所の裏手はちょっとした山になっている。

 鬱蒼と生い茂る藪のなかに、ひとすじの小径こみちが通っている。

 小径といっても、ほとんど獣道にちかい。紫野以外の人間には、下草に刻まれたかすかな踏み跡を見つけることは困難だろう。


 進むうちに、道は下りに変わった。

 ふいに視界が開けたのはそのときだった。

 山の反対側に出たのである。

 山裾はふっつりと途切れ、三日月状のちいさな砂浜が広がっている。

 砂浜の両端には壁のように山体が突き出している。ここに降りてくるには、海から小舟で上陸するか、藪の小径を通ってくるしかない。

 地元の人間も知らず、地図にも記されていない無名の砂浜であった。


 その砂浜に、奇妙なものが立っていた。


 一・八メートルほどの鉄の柱である。

 水平と斜めの方向に、やはり鉄でできた何本かの太いが突き出ている。

 見ようによっては、いびつな人体模型のようでもあった。

 表面が不自然に凹み、また曲がっていることで、いっそう不気味な風情を漂わせている。


 紫野は立ち止まると、深く長く息を吸い込み、同じだけの時間をかけて吐き出す。


「はっ――――」


 紫野の身体が動いた。

 わずかな停滞もない、静謐でしなやかな動作。

 迷いなく鉄の柱にむかって突進する。


 ばん――と、爆ぜるような音が響いたのは次の瞬間だった。

 紫野がを正拳で打ったのだ。

 素手でおもいきり鉄を打てばただでは済まない。

 にもかかわらず、紫野は何事もなかったみたいに次の攻撃に移る。

 

 こんどは正拳ではなく、手の甲を打ち付ける。

 空手の裏拳。中国拳法でいう崩捶ほうすいだ。

 みしり、といやな音が生じた。

 折れたのだ。

 紫野の手ではない。太い鉄の枝が、根本からへし折れたのである。

 

「ちぇいっ」


 間髪をいれず、紫野は鉄の柱にむかって蹴りを放つ。

 打ち付けるのは脛や足の甲ではなく、分厚い皮膚に覆われた足の親指の付け根である。

 二度、三度、四度……

 紫野はがむしゃらに蹴りつづける。

 いくら丈夫な部位で蹴っているといっても、限度はある。

 はたして、足の皮膚は破れ、鉄の柱はところどころ赤く染まっている。


 次の刹那、紫野の身体が旋回した。


「叢雨流――――”震天しんてん”」


 跳躍からの後ろ回し蹴り!

 かかとが鉄の柱を打ったのと、派手な破壊音が一帯を領したのは同時だった。

 みりみりと異様な音を立てて柱が折れ曲がっていく。

 みずからの重量を支えきれなくなり、ついにはひとりでに崩壊したのだ。

 

 紫野は柱の残骸をひょいと担ぎ上げると、砂浜の端へと運んでいく。

 その周辺は、山の側からせりだした木の枝に覆われて日陰になっている。

 よくよく目を凝らせば、なにか黒いものがうず高く積み上げられていることに気づく。


 紫野はそこにむかって鉄の柱を放り投げる。

 があん、と、金属同士がぶつかりあう音が響いた。

 紫野がこれまで破壊してきた鉄柱たちに、が加わったのだ。


「これで百十三本め……」

 

 紫野は満足そうに目を細める。

 最初は一本壊すのに一週間はかかっていた。

 それが、いまは三日とかからずに破壊できるようになった。

 港で出るスクラップを買い上げ、鉄の人形を作っては、みずからの鍛錬のために破壊する……。

 それが、ここ数年来の紫野のルーチンワークだった。


 ことから、かつては殺し屋と忌み嫌われた紫野である。

 鉄の人形は、思う存分力をぶつけられる唯一の相手だった。


(また、あたらしい人形を作らなければ……)


 ひとしきり片付けを終えて診療所に戻った紫野は、前の道路に見慣れない車が停まっていることに気づいた。

 紫野に気づいたのか、黒服の男たちが三人ばかり降りてくる。

 その胸できらりと輝くのは、叢雨流の門人であることを示す拳型のバッジだ。


 男たちは紫野のまえで立ち止まると、慇懃に頭を下げる。


「紫野師範代ですね。総帥の命令により、お迎えにあがりました」

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