宇宙拳人コズマ 対 怪星人デッドマンモス-5

黄瀬川きせがわ師範代、あんたには恩がある。不良だった俺を更生させてくれたなんて野暮なことは言わねえ。もしあのとき、あんたに叩きのめされてなかったら……」


 風祭かざまつりは黄瀬川を見据えたまま、感慨深げに言葉を継いでいく。


「俺はずっと弱いままだった――――それどころか、自分が弱いことにさえ気づけなかったかもしれねえ」


 黄瀬川は答えず、ただ黙然と風祭の言葉に耳を傾けている。


「だから、あんたには感謝してるんだぜ」


 言い終わるが早いか、風祭の身体がふいに動いた。


「用件はそれだけだ。時間を取らせて悪かったな」


 前進ではない。

 その場でくるりと踵を返し、黄瀬川に背を向けたのだ。

 立ち合いのさなかである。敵に無防備な背中をさらすことは自殺行為にひとしい。

 裏を返せば、それは生殺与奪の権を相手にゆだねるという明確な意思表示にほかならなかった。


 しばしの沈黙のあと、黄瀬川はその背中にむかって重々しい声で呟いた。


「変わっていないな、風祭」

「どういう意味だ?」

「おまえのはあのころと変わっていないということだ」


 いわおみたいな黄瀬川の顔にかすかな変化が兆した。

 微笑というには、あまりに硬くぎこちない表情。

 それは、しかし、黄瀬川にできるせいいっぱいの喜びの表現でもあった。


「おまえはむかしから自分を痛めつけるような生き方しかできない男だった」

「……」

「地位、金、名誉――そんなものは最初から眼中にない。おまえが求めているのは、戦いのなかで自分自身を限界まで痛めつけること。そして、そこまで追い詰めてくれる相手に巡り逢うことだ。だから、着ぐるみ同士のバカげた真剣勝負ガチンコにも生命を懸けられる。ちがうか?」


 黄瀬川の声がを帯びた。

 無意識に後じさった風祭にむかって、黄瀬川はなおも語りかける。


「おかげで私も迷いを振り切れた。そういうおまえであればこそ、心置きなく戦い、叩き潰せる。――あのときのようにな」


***


 数日後――日曜日。

 風祭は、撮影スタジオの片隅にもうけられた控え室にいた。

 控え室といっても、壁際に目隠しのカーテンを張り、移動式クローゼットとテーブルと椅子を置いただけの簡素なものだ。


 風祭はちらとテーブルの置き時計を見やる。

 午後三時四十分。『宇宙拳人コズマ』第二話の放送まであと一時間を切っている。

 すでにスタッフの手を借りてコズマのスーツを着込み、あとはヘルメットを被るだけでいつでも撮影を始められる状態である。


「入るぞ」

 

 風祭が「どうぞ」と言ったのと、橘川きっかわがカーテンを押しのけて入ってきたのは同時だった。


「もう準備はできているようだな」

「そう見えますかね」


 橘川の言葉に、風祭はわざとらしい笑みを浮かべる。

 応とも否とも取れる微妙な表情だった。


「あたらしい仮面マスクの被り心地はたしかめてみたか?」

「悪くなかったですよ。前のやつよりはずっといい」


 コズマのマスクは、初回放送でキラーアルマジロンに破壊されてしまった。


 着ぐるみの破損は、はげしいアクションがつきものの特撮においてはめずらしいことではない。

 水辺の撮影では水浸しにもなるし、撮影で用いる火があやまって燃え移ってしまうことさえある。

 多少のダメージなら現場のスタッフが修理するが、ひどい場合には破棄するしかない。


 それでも、多くは一話かぎり、長くてもせいぜい数話で出番が終わる敵の怪人や怪獣ならまだいい。

 主役ヒーローの場合は、おなじ着ぐるみを毎回使い回さなければならないのである。

 破損や汚損のたびに撮影が滞れば、製作スケジュールそのものが狂いかねない。撮影が長引けば、役者やスタッフの人件費にくわえて、スタジオの使用料や機材・小物のレンタル料などの経費もかさむ。

 制作費が底をつけば、もはや番組を続けることはできない。


 そんな事態を防ぐために、予備のスーツを何着か用意しておくノウハウは当時すでに確立されていた。

 ひとくちに着ぐるみと言っても、ヒーローの場合にはおおまかに二種類のスーツが存在する。

 番宣素材やオープニング映像などに用いる精巧なアップ用スーツと、擬斗で使用される簡素なアクション用スーツである。

 高価な一点ものの美術品というべき前者に対して、後者は比較的安価であり、なかば消耗品として扱われる。

 いま風祭の前にあるコズマのマスクは、そうしたスペアのひとつであった。


 スタッフのあいだでは二号マスクと呼ばれているそれは、たんなる予備ではなく、風祭の意見を取り入れた改良がほどこされている。

 最大の特徴は、覗き穴の位置と大きさを見直したことだ。

 コズマの下瞼から鼻筋に沿ってあらたにもうけられた覗き穴は、スモークグレーの樹脂製カバーに覆われ、濃いアイシャドウや歌舞伎の隈取のようにみえる。

 むろん劇的な改善とまではいかないが、視界はすこしでも広いに越したことはないのだ。


「さきに謝っときますが、こいつも今回かぎりで壊しちまうかもしれません」


 風祭はマスクを眺めながら、いたずらっぽく言った。


「着ぐるみのことなら気にするな。予算なら叢雨流からたっぷりもらっているからな」

「そりゃ豪気でいいや――」

「そんなことより、心配なのはおまえのほうだよ。このあいだみたいな戦い方をしていたら、最終回までとても身体が持たんぞ」

「はあ」

「くれぐれも無理はするなよ。もし危険だとおもったら……」


 橘川の言葉をさえぎるように、風祭は音もなく立ち上がっていた。


「橘川先輩。俺の身体を心配してくれるのはありがたいが、今回もかならず勝って終わらせます」


 真新しいマスクを被った風祭――宇宙拳人コズマは、まばゆい光に照らし出されたセットにむかって一歩を踏み出す。

 

「行ってきます」

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