宇宙拳人コズマ 対 怪星人デッドマンモス-3
暗い部屋に映写機の回る音だけが響いていた。
やがてフィルムの回転が止まったのと、室内がふいに明るくなったのは同時だった。
瀟洒なしつらえの洋室である。
部屋の中心には大理石のテーブルと、革張りのソファが置かれている。
ふつうの男ならゆうに三人は座れるだろうソファは、しかし、ひどく窮屈にみえた。
向かい合って腰を下ろしたふたりの男の体躯が
「どう見た、
問うたのは年かさのほうの男だ。
太い眉には笑みが浮かんでいる。
子供のように無邪気な、それでいて見るものを戦慄させずにはおかない笑みであった。
わずかな沈黙のあと、もう一方の男――
「あの動きはまちがいなく叢雨流……それもかなりの使い手でしょう」
この夜――
覚龍斎の邸宅を訪れた黄瀬川は、挨拶もそこそこに一本の短いフィルムを観るよう言われた。
先だって放送された『宇宙拳人コズマ』の第一話である。
日陽テレビがオリジナルネガを焼き増しし、叢雨流に寄贈したものだ。
第一話でコズマと戦った怪星人キラーアルマジロン。
その着ぐるみに入っていたのは、覚龍斎からじきじきに一番槍を命じられた元プロボクサー・
フィルムが回っているあいだ、覚龍斎と黄瀬川は何度ため息をついたかしれない。
ひときわ目を引いたのは、ヒーローであるコズマの戦いぶりだ。
一分の隙もないみごとな体捌き。
ボクシングのA級ライセンスをもつ朱木にも見劣りしないするどい打撃。
さらには躊躇なく相手の腕を折る冷酷さも持ち合わせている。
子供向けのヒーロー番組でありながら、そこに写し取られていたのは、生命がけの死闘にほかならなかった。
台本なしの
テレビ局側が用意した人間がここまで
むろん、スタントマンが相手であっても、朱木が全七回を勝ち抜けるとはもとより思っていない。体力的な問題にくわえて、収録中に予期せぬ怪我を負う可能性もある。
そうした事情を差し引いても、朱木ひとりで三、四週は持つだろうというのが覚龍斎の見積もりだった。
出鼻を挫かれたにもかかわらず、二人の戦いは覚龍斎をおおいに喜ばせた。
コズマがどうやら叢雨流の使い手らしいことも、いっそう覚龍斎の興味をそそった。
とはいえ、じっさいに拳を交えた朱木本人から事情を聞き出すことはむずかしい。
なにしろ右腕と肋骨をへし折られて入院しているのである。身動きはおろか、声を出すのもきつい重傷だ。
そこで、ほんらいなら番組後半に投入する予定だった黄瀬川を繰り上げで使うついでに、第一話のコズマの動きを分析させたというわけだった。
かつて師範代として多くの門弟を指導していた彼は、創設者である覚龍斎以上に叢雨流を知悉している。
武術にかぎらず、みずから一流をなした天才よりも、その下で修行を積んだ弟子のほうが術理を把握していることは珍しくない。
術理とはまさに整然たる
「黄瀬川よ。おまえがそこまで言うからには、奴は身内とみてまちがいないだろうな」
「はっ……」
「なにしろ叢雨流の門下生は全国に三万人もいる。俺はいちいちそいつらのことなんざあ覚えていられんが、師範代のおまえならべつだ。心当たりのある名前のひとつやふたつくらいは浮かぶんじゃねえか?」
覚龍斎の声には有無を言わさぬ凄みが宿っている。
この世にまったく同一の人間は二人と存在しない。
肉体だけでなく、精神面でもひとりひとりに固有のクセがある。
おなじ流派を学んだとしても、個々人が生まれ持ったクセはかならずどこかに残るものだ。
黄瀬川の眼をもってすれば、フィルムから個人を特定することもたやすいはずであった。
黄瀬川は覚龍斎から目を逸らすことなく、ゆっくりと言葉を継いでいく。
「ああいった動きをする男は、すくなくとも私が指導した者のなかにはいませんでした。言い訳をするわけではありませんが、五年も
あくまで坦々と答えた黄瀬川にむかって、覚龍斎はにいっと相好を崩してみせる。
笑いかけているはずのその顔は、牙を剥いた猛獣によく似ていた。
「それなら仕方がねえ。黄瀬川よ、わざわざ呼びつけてすまなかったな」
***
覚龍斎の邸宅を辞した黄瀬川は、滞在している宿ではなく、駅のほうへと足を向けた。
時刻は夜の十時をまわっている。
閑静な高級住宅街を抜け、駅前の通りに出ると、あたりはにわかに騒々しくなった。
帰宅途中の勤め人や学生たちの波に逆らって、黄瀬川は黙々と歩く。
その周囲には、いつのまにかエアポケットみたいな不自然な空間が生まれている。
無理もなかった。身長二メートル、体重百二十キロの巨体には、虎にたとえられる酔っぱらいをも遠ざける迫力がある。
べつになにか目的があったわけではない。
ただ、この街の雑然とした空気に慣れておきたかったのだ。
女と故郷に戻ってからの五年間というもの、黄瀬川は世間との交流をほとんど持たなかった。
数日後には着ぐるみを被ってテレビ番組に出演し、何万人という視聴者のまえで
女の治療費を稼ぐためとはいえ、見世物になることに抵抗がないといえば嘘になる。
まして、その相手が見知った人間となればなおさらだった。
「お久しぶりです。黄瀬川師範代」
背中から声をかけられて、黄瀬川ははたと足を止めた。
尾けられていることはわかっていた。
その相手が何者なのかも、また。
黄瀬川は背後を振り返りつつ、低い声でぽつりと呟いた。
「……やはりおまえだったか、風祭」
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