第二話「宇宙拳人コズマ 対 怪星人デッドマンモス」

宇宙拳人コズマ 対 怪星人デッドマンモス-1

『宇宙拳人コズマ』の放送開始から、さかのぼること半年前……。


 雪深い山道を、ひとりの男が歩いていた。

 おそろしく背の高い男であった。

 身長はゆうに二メートルを超えているだろう。

 毛皮の防寒着のうえからでも、たくましい肉体がはっきりと見て取れる。

 けっして肥満体というわけではないが、体重はすくなく見積もっても百二十キロはくだるまい。


 年齢は四十歳前後。

 伸び放題に伸びた髭は、何日も山を降りていない証だ。

 背中に負った竹籠は内部でいくつかの小部屋に区切られ、それぞれに山菜や野草、キノコなどが詰め込まれている。


 しばらく歩くうちに、雪をかぶったトタン屋根の連なりが見えてきた。

 風に流れていく炊煙を認めて、男はほっと白い息を吐いた。


 長野県北部のちいさな集落である。

 かつては五十戸ほどの家々が存在したが、過疎化の進行によって、現在ではわずかに三戸を残すばかり。


 信州の冬は長く、そして険しい。

 産業らしい産業といえば、昔ながらの農業と狩猟、そして山菜採り程度のものだ。

 とうぜん、村の暮らしは貧しい。おなじ日本でありながら、高度経済成長からぽつんと取り残されたようであった。

 そのうえ、このあたりにはバスも鉄道も通っていない。

 学校や病院がある最寄りの町までは、きつい山道を延々歩きつづけなければならないのである。

 そうした事情を理解しているだけに、男は生まれ故郷を捨てた村人たちを責める気にはなれなかった。

 彼じしん、いちどは大志を抱いて村を出た身である。

 

 二度とこんなところには戻らない――そう誓って出ていったはずの故郷の土を、彼はふたたび踏んだ。

 五年前のことだ。

 それからというもの、衰退していく故郷を見つめながら、自給自足の生活を送ってきた。

 さいわい、村人たちが不要になった田畑を安く譲ってくれたため、食うものには困らなかった。

 時には四季おりおりの山菜やキノコを採り、渓流でイワナやマスを釣って、食卓にささやかな彩りを添える。

 質素だが、おだやかで満ち足りた生活……。


 それに、男は孤独ではなかった。

 東京で出会った女と、ひとつ屋根の下に住んでいるのである。

 わけあって籍は入れていないが、ふたりは互いを夫婦だとおもっている。

 都会育ちの女は、山の不便な暮らしにも不平ひとつ洩らさなかった。

 男はそんな女を愛おしく思い、金品や宝石で報いてやれないぶん、せいいっぱい慈しんできた。


 その最愛の女が不治の病を得た。

 ただちに生命にかかわる病気ではないが、治療せずに放っておけばやがて死に至る。

 医者からは設備の整った病院への入院を勧められ、男もそうするよう説得したが、女はけっして首を縦に振らなかった。

 長患いはそれだけ治療費もかさむ。男は家財のいっさいを手放し、それでも足りなければ、まともでない筋から借金をしてでも金を捻出するだろう。

 将来さきのない自分のためにそんなことはさせられないと、女はそう判断したのである。

 本人が治療を拒んでいるとなれば、たとえ内縁の夫であってもどうすることもできない。


 けっきょく、女は自宅で療養をつづけることになった。

 男はそんな女のために山々に自生する薬草を採り、自己流で薬湯をあつらえてきた。

 もとより病気が根治することは期待していない。

 一日でも長くいっしょに過ごせるようにと、ただそれだけを祈って、男は山に入っているのである。


 村へと降りる山道を下っていた男はふいに足を止めた。

 沿道の木立の陰にだれかが立っていることに気づいたためだ。

 誰何すいかするまでもなく、人影はみずから男のまえに進み出た。


 黒いスーツ姿の青年である。

 年齢は二十歳を過ぎたかどうか。

 色が抜けるように白い。深山に降る新雪さえ、この青年のまえではくすんでみえるだろう。

 肩までの長さの黒髪をなびかせながら、青年は一歩一歩、男に近づいてくる。


「おまちしてましたよ。黄瀬川きせがわさん――――」


 男は答えず、黙々と歩を進める。

 青年は無視されたことに腹を立てるそぶりもなく、男の背中にむかって語りかける。


「黄瀬川師範代と、そうお呼びしましょうか。私は黒衛くろえと申します」


 男――黄瀬川の足が止まった。

 黒衛の能面のような顔に、射るような視線をむける。


叢雨むらさめ流の者と話すことはない」

「あなたはそうかもしれませんが、こちらには用件があるのです」

「知らん。私はもう叢雨流とは関係のない人間だ」

がご病気でいらっしゃるとか――――」


 黒衛が言い終わらぬうちに、びゅっと空気を裂く音が生じた。


 黄瀬川が上段蹴りを放ったのだ。

 二メートルを超す巨体からは想像もつかない捷さ。

 足の小指から足底の外側を刃に見立てた足刀そくとうである。

 三十三センチという黄瀬川の足のサイズからいえば、刀というよりはむしろ分厚い斧にちかい。

 まともに命中していれば、黒衛の喉はむざんに潰れていただろう。


 白い喉仏に触れるかという瞬間、黄瀬川がみずからの意志で止めたのだ。

 足元はぬかるんだ下り坂だというのに、黄瀬川の巨体は小揺るぎもしていない。

 おそるべきバランス感覚であった。


「当てるつもりでやってくれて構いませんでしたのに」

「あまり図に乗るなよ、小僧」

「なにしろ五年のブランクがあるので技が鈍っているのではと心配していましたが、杞憂だったようですね」


 黒衛はこともなげに言う。


「総帥からの伝言です。――無理は承知のうえだが、ひとつ仕事を頼まれてほしい。報酬は現金で一億五千万円」

「……」

「わざわざ都会の病院に入院しなくても、専属の医者を雇ってお釣りがくるだろうよ――と」


 黒衛はスーツの懐に手を差し込むと、分厚い封筒を取り出す。

 ざっと三百万はあろう。

 前金ということなのだろう。

 たとえ黄瀬川が拒んでも、この金は置いていくにちがいない。

 叢雨覚龍斎とはそういう男なのだ。


「それで、いったい私になにをしろと言うんだ」


 黄瀬川の問いかけに、黒衛は無表情のまま答える。


「特撮に出演てほしいんですよ」

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