宇宙拳人コズマ 対 怪星人キラーアルマジロン-4

「あのとき、俺は気づいたんですよ。自分がほんとうはなにを欲しがっていたのかを……」


 朱木は俯きながら、ひとりごちるみたいに言葉を継いでいく。


「俺が欲しかったのはタイトルでも賞金でも、ましてや世間の連中にチヤホヤされることでもない。俺はね総帥、強くなりたくてボクシングを始めたんです。金だの名声だのはそれこそ二の次、三の次なんですよ。俺にとって、ボクシングは世界最強の男になるための手段だったんです」

「そのボクシングが叢雨流うちの者に通用しなかったから、あっさりプロボクサーとしての将来を捨てたってわけかよ」

「あの名前も知らないチンピラには感謝してますよ。叢雨流の技を身に着けたいまの俺は、まちがいなくあのときの俺より強いスからね」


 朱木はふっと口元を緩める。

 どこか挑戦的な、不敵さを感じさせる微笑であった。


「総帥、特撮に出るかわりに、ひとつを聞いてくれませんか」

「言ってみろよ」

「俺はひとりでヒーローを負かしますよ。そうして最終回までをやったら、総帥と真剣ガチンコやらせてもらいたいんです」

「おもしろい奴だ。金でも女でも地位でもなく、俺との真剣勝負をご所望ってわけかい」

「そんなものより総帥と戦うほうがよっぽど価値がありますからね」


 覚龍斎はくつくつと忍び笑いを洩らす。

 山塊のような身体を揺らすそれは、忍び笑いとよぶにはあまりに豪快だった。

 そして、ふう、と長い息を吐き出したあと、覚龍斎は朱木の眼をまっすぐに見据える。

 刃のような眼光に射すくめられて、朱木の身体は石みたいに硬直していく。


「いいぜ――――朱木よ、七人抜きとは言わん。もしおめえが初っ端からヒーローをぶちのめしたら、俺と一対一サシの真剣勝負させてやるよ」


 にやりと相好を崩した覚龍斎に、朱木は「押忍オス」と返すのがせいいっぱいだった。


 覚龍斎がトレーニング・ルームを去り、金縛りが解けると、朱木はふたたび無心でサンドバッグを打ちはじめた。

 やがてサンドバッグを抱き込むように動きを止めると、痩せた喉から獣じみた咆哮がほとばしった。

 感謝と歓喜の雄叫びであった。


***


 四月某日――――。

 日陽テレビ代官山スタジオは朝から賑わっていた。

 本社にも生放送用の設備は存在するが、その規模はかなりちいさい。

 ワイドショーやニュース番組のように少人数の番組なら問題ないが、バラエティ番組やクイズ番組、歌謡番組といった数十人からの出演者が登場する番組には不向きなのである。

 ここ代官山第二スタジオは、週末ともなれば本社以上の活況を呈するのだった。


 その第二スタジオの片隅、「十三」というプレートが掲げられた部屋のなかでは、三十人ほどのスタッフがあわただしく動き回っていた。

 『宇宙拳人コズマ』の製作スタッフたちだ。

 きょうは初回放送日である。早朝から現場入りした彼らは、小道具に照明、カメラや中継設備の点検に余念がない。

 わずか十分の低予算番組とはいえ、全国ネットで放送するいじょう、失敗は許されない。

 いちおう『コズマ』の製作元としては、映像制作会社として多くの特撮を手がけてきた仙光プロダクション(仙プロ)がクレジットされている。

 だが、それはあくまで建前にすぎない。実際に現場に入っているスタッフのほとんどは日陽テレビや関連会社から出向してきた人間だ。


 子供向け番組で予告なく真剣勝負ガチンコを放送することは、言うまでもなく反社会的行為である。

 放送倫理的にも一般道徳的にもとうてい許されず、ことによれば法に触れるおそれすらある。

 すくなくとも実際にが起こる撮影現場に外部の人間を入れるわけにはいかない。

 真実を隠しおおせたまま番組を完走させるためには、制作陣を信頼のおける身内だけで固める必要があるのだ。

 編成次長・橘川は、その手腕と人脈をフル活用し、局内だけで制作チームを完結させたのだった。

 

 スタッフのなかには、叢雨流むらさめりゅうから派遣された門弟もいる。

 いずれも力自慢ぞろいだ。映像制作にかんしては素人だが、セットや足場の組み立て、機材の搬入といった力仕事にはおおいに役立ってくれている。

 作業着姿の門弟たちのなかに、ひとりだけ黒いスーツ姿の男が混じっている。


 一見すると女性と見まがう端正な面立ちの青年だ。

 年齢はまだ二十歳を出ていないだろう。

 色が白い。まるで生まれてからいちども陽に当たったことがないような、ややもすれば病的なほどの白皙の肌。

 漆黒のスーツと、肩までかかるつややかな黒髪が、いっそう皮膚の白さを引き立てている。

 青年は作業に加わるでもなく、スタジオの壁に背をもたせかかりながら、しきりにメモのようなものにペンを走らせている。


 橘川が数名のスタッフを連れてスタジオに入ってきたのはそのときだった。

 壁際の青年に気づいて、橘川は彼のもとに歩み寄る。


黒衛くろえさん、遅くなって申し訳ない――」


 橘川は青年――黒衛くろえに握手を求める。

 いたって平静を装ってはいるが、表情はわずかにこわばっている。

 それもそのはずだ。二人は本質的に敵同士なのである。


「いえ、こちらが早く着きすぎただけです。総帥から門下生たちの監督役を仰せつかっていますので」

「おかげで撮影も滞りなく始められそうです」

「それは重畳。番組が放送されないなどということになったら、私も総帥に合わせる顔がありませんからね。成功をお祈りしていますよ」


 黒衛は言葉遣いこそ慇懃だが、表情はまるで能面みたいに動いていない。

 どこか人間ばなれした雰囲気をまとった青年だった。

 得体のしれない不気味さを感じて、橘川は握手を済ませると、さっとその場を離れる。

 彼も叢雨流の門弟なら、とうぜん武術の心得はあるのだろう。

 しかし、橘川が触れた手はあくまでやわらかく、武道家らしい節くれだった関節や拳ダコとは無縁だった。

 たとえるなら、まるで深窓の令嬢のたおやかな繊手……。

 そういう手の持ち主が、どういう戦い方をするのか見当もつかない。

 だからこそよけいに恐ろしく、本能的に近づいてはならない相手だと感じたのだ。


 橘川は控え室に足を向ける。

 ドアを開けると、風祭かざまつり豪史たけしと目があった。

 すでに宇宙拳人コズマのスーツを着込み、あとはマスクをかぶるだけという状態だ。

 番組開始までに何十回と試着と改良を繰り返してきただけに、その姿はなかなかになっている。


「準備はできているようだな、風祭」

「おかげさまでも身体に馴染んできましたよ」


 言い終わるが早いか、風祭はかるく床を蹴り、宙に身を躍らせる。

 高度が最高に達したタイミングで猫みたいに身体を丸め、一回転のあと、危なげもなく着地する。

 そして、弓をひくように右手を伸ばし、左手を胸のまえに置く。

 宇宙拳人コズマの名乗りのポーズだ。


「みごとだ。しかし、本番では無駄な動きはするなよ」

「すこしはヒーローらしいところも見せておかないと、子供が喜ばないでしょうよ」


 風祭の言葉に、橘川は苦笑で応じる。


「……そろそろ時間だな。撮影班との打ち合わせがある。おまえもいっしょに来てくれ」


 控え室を出た橘川と風祭は、しばらくしてはたと足を止めた。

 セットの中央に立つ異形のシルエットを認めたためだ。


 怪星人キラーアルマジロン。

 アルマジロをモチーフに取った造形は、明るい黄色のカラーリングとあいまって、一見するとかわいらしくもみえる。

 まるいフォルム以上に目を引くのは、肥大化した両腕だ。

 両腕をだらりと垂らしたその姿は、ガードを下げたボクサーを彷彿させた。

 橘川の顔に一瞬、不安の影がよぎった。


「心配ないですよ。ぶっつけ本番には慣れてますからね」


 いつのまにかマスクをかぶった風祭は、橘川の背中を軽く拳で叩く。

 そして、怪星人キラーアルマジロンが待つセットへと、いかにもヒーローらしく胸を張って進んでいく。

 橘川は腕時計に目を落とす。

 放送開始まであと三十分を切っていた。

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