第一話「宇宙拳人コズマ 対 怪星人キラーアルマジロン」
宇宙拳人コズマ 対 怪星人キラーアルマジロン-1
午前四時。
男がひとり、山あいの道を走っていた。
黒いスウェットの上下にジョギングシューズ、つばの欠けたキャップといういでたちである。
すれ違う人もいない早朝の山道を、男はまっすぐに駆け抜けていく。
吐いた息は外気に触れるやたちまち白く濁っていく。
それでも、風祭の呼吸にはわずかな乱れもない。
家を出てからここまで、すでに二十キロを超える距離を走っているのである。
早歩きから全力疾走まで緩急をつけながら、じっくりと身体をあたためていく。
むろん、身体をあたためることそれ自体が目的ではない。
人体には、体温や脈拍数、血圧といったもろもろの熱がある。
それは肉体を循環するエネルギーそのものと言いかえていい。
たとえば車であれば、アクセルを踏むことでエンジンの回転数を上げ、走行に必要なエネルギーを取り出すことができる。
しかし、人間は機械ではない。望むときに望むだけエネルギーを都合よく引き出すというふうにはできていないのだ。
体内の熱量を一定に保ったまま、できるだけ長く動きつづける訓練……。
風祭にとって、厳冬期のロードワークは、あくまで実戦のための鍛錬にほかならなかった。
平坦だった道はふいに斜度をました。
コースのなかでもとびきりきつく長い登り坂だ。
風祭は呼吸を整えると、禅僧が瞑想するみたいに眼を細める。
なにも考えず一心不乱に駆け抜けるだけなら、そうむずかしくはない。
肉体を限界までいじめつつ、酸素不足にあえぐ脳をフル回転させる。
いっけん矛盾しているようだが、しかし、真剣勝負ではこれができない者から負けていく。
走りながら風祭は考える。
あの日、橘川と別れてから二週間が経っている。
それからというもの、風祭は用心棒稼業の合間をぬって、ひたすら鍛錬に打ち込んできた。
もともとトレーニング自体は毎日欠かさない。料理人が包丁を研ぐように、用心棒は自分の肉体を鍛えあげておかねば商売にさしつかえる。
トレーニングの内容も、走り込みやヒンズースクワット、サンドバッグ打ちといった基本的なものだ。
ただ、その強度をぐっと引き上げたのである。
『宇宙拳人』コズマの放送開始まで、あと三ヶ月あまり。
それまでに身体を満足いくレベルまで仕上げなければならない。
正直なところ、特撮番組にはなんの思い入れもない。
まして自分がヒーローの中身になるなど、考えたこともなかった。
橘川との再会によって、死ぬまで縁がないはずだった世界と自分とのあいだに予期せず接点が生まれてしまった。
それだけなら、バカげた話だと断ることもできた。じっさい、もしあの名前を耳にしていなければ、きっとそうしていただろう。
だが――。
そして、
今回の騒動の発端があの男にあるとなれば、話はべつだった。
番組制作にあたって、覚龍斎は橘川にいくつかの条件を出した。
ひとつは、制作費やもろもろの経費は叢雨流が負担すること。
そしてもうひとつは、叢雨流の門弟とテレビ局が用意した人間を番組内で戦わせるということだった。
覚龍斎の言い分はこうだ。
いくら
格闘技の経験者というだけなら、殺陣師やスタントマンのなかにもおおぜいいる。
しかし、彼らはあくまで演劇業界の人間である。
観客をあっと驚かせるような派手なアクションは得意でも、本気の殴り合いとなれば話はちがってくる。なにしろ彼らにとってパンチやキックがほんとうに当たってしまうのは完全な事故であり、撮影を中断させかねないトラブルなのだ。
相手に怪我をさせてはならないという心理が働いているかぎり、真剣勝負など望むべくもない。
その点、叢雨流の門弟にはいっさいの容赦というものがない。
寸止めが基本の伝統空手とはことなり、叢雨流では拳も脚も直接相手に当てる。
いわゆる
打撃だけではない。
叢雨流においては、グラウンド(寝技)やサブミッション(関節技)でも、相手が参ったと宣言するまで――折れるまで技をかけることが容認されている。
すくなくとも、そういう人間が片方にいるかぎり、予定調和的ななれあいにはならない……というわけだ。
覚龍斎が過激なまでの実戦至上主義を掲げているのは、けっして大げさな文句で客寄せを図ろうというのではない。
叢雨流とは、徹頭徹尾、人間を壊すことに特化した技術体系なのである。
空手だろうと柔術だろうと合気道だろうとボクシングだろうと、勝つために必要なら貪欲に取り入れる。
門弟のなかにはグレコローマン・スタイルのレスリングやムエタイ、サンボ、中国拳法をベースに、みずからの
その意味では、叢雨流は現代日本によみがえった古代ギリシアの
殴るもよし、蹴るもよし、投げるもよし、寝技をかけるもよし、絞め落とすもよし……。
パンクラチオンと同様、叢雨流では、素手であるかぎり目突きと金的以外はすべてが許されるのである。
その叢雨流が、特撮を潰すために、有力な門弟を惜しげもなくテレビ番組に出演させる。
武術の世界に身を置く人間にとって、これほど血湧き肉躍ることはない。
むこうはテレビ局側にまともな人材はいないと見くびっているだろう。
毎週ヒーローが無残に敗北する場面を放送し、特撮がしょせんまがいものの格闘技もどきであることを証明したうえで、特撮番組へのバッシングを開始する……。
覚龍斎は、きっとそんな絵図をえがいているにちがいない。
風祭はふっと独り笑いを洩らす。
長い登り坂はすでに終わりにさしかかっている。
「この俺が
不敵に言って、風祭は最後のスパートに入った。
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