誕生前夜-4(第零話・終)

 風祭と橘川がそのバーに入ったのは、もう空も白みはじめた午前四時すぎだった。

 次から次へと舞い込んでくるを片付けているうちに、あっというまに夜は過ぎ去っていった。


 仕事の内容はさまざまだ。

 酔っぱらいをつまみ出すといった簡単なものもあれば、通行人にアヤをつけて金銭を巻き上げようとするチンピラに拳骨をおみまいすることもある。

 なかでも屋台のおやじを取り囲んで脅し、売上金を強奪しようとした不良少年グループをまとめてしたのが今日のハイライトだった。

 ナイフと金属バット、メリケンサックで武装した不良少年たちは、ものの一分と経たないうちにさせられたのだ。


 特定の組に属さない風祭は、いってみれば一匹狼の用心棒である。

 報酬を払えばだれでも彼を雇うことができる。

 ただし、雇い主にはひとつだけ条件がある。彼(あるいは彼女)が暴力におびやかされ、なおかつ自力で解決することのできない人間であることだ。

 そしてゴタゴタが片付けば、その時点で雇用契約は解消される。

 特定の誰かに長く飼われてしまえば、それはもう一匹狼ではないからだ。


 風祭がふらりとこの歓楽街に現れ、身体ひとつで無謀な用心棒稼業を始めてから、すでに一年あまりが経つ。

 日本刀や拳銃を持った相手と戦ったことも一度や二度ではない。暴走族に取り囲まれ、凄惨なリンチを受けたこともある。

 風祭はそんな修羅場のことごとくを切り抜け、勝利してきた。

 彼という人間への好悪はさておき、いまではその実力を疑う者はいない。


「……まるで正義のヒーローだな。俺が勤めてる局でやってる特撮ヒーロー、おまえも名前くらいは聞いたことあるだろう?」


 水割りのグラスから唇を離した橘川は、ふっと微笑を浮かべた。

 風祭は無表情のまま、ストレートのバーボンを一気に喉に流し込んでいく。

 たん――と、小気味いい音を立ててカウンターに置かれたグラスは乾いていた。


「そんなつもりでやっているわけじゃないですよ」

「いくら稼いでるかしらないが、どう考えても割に合う仕事じゃない。それでも用心棒を続けているのは、他人のためにやっているということじゃないか」

「勘弁してください、橘川先輩。刑務所ムショあがりのヒーローなんて、冗談にしたって趣味が悪すぎる」


 二杯目のバーボンを――やはりチェイサーなしのストレートで――飲み干した風祭は、自嘲するみたいに唇を歪めた。

 そして、縦に握った拳をコンコンとカウンターに打ち付けるような仕草をする。


「俺にはしかないからですよ。殴り合いの世界でしか生きていけない。だからといってプロを目指すには齢を喰いすぎた。俺が用心棒をやってる理由はそれがすべてです」


 橘川はなにも言わなかった。

 そして、しばらく風祭をじっと見つめたあと、


「なあ、風祭よ。――おまえ、になってみないか」


 いたって真剣な声色で、そう言ったのだった。

 

 二人のあいだに重い沈黙が降りた。

 どちらも次の言葉を探しあぐねているのだ。

 橘川が冗談や悪ふざけで言っているのでないことは、風祭にもわかる。

 それだけに、「本物のヒーロー」という言葉の異質さが、喉元に重石のように引っかかる。

 

 ややあって、風祭は橘川の真意を探るように問うた。。


「橘川先輩。いったいなにが言いたいんです?」

「言ったとおりの意味だよ。うちの局であたらしいヒーロー番組を企画中でな」

「俺に役者は無理ですよ」

「心配ない。おまえに演ってもらいたいのは、ヒーローの着ぐるみの中身だ」


 一瞬の間をおいて、風祭はくつくつと笑い声を洩らした。


「橘川先輩、あんたも知ってるだろう。俺が使えるのはだけだ。芝居の殺陣たてでやるような寸止めはできないぜ」

「だからこそだ。おまえでなければならないんだよ」


 ただでさえ彫りの深い風祭の顔に、いっそう濃い陰影が兆した。


「じつは、先日、叢雨流から呼び出しがあった」


 叢雨流――

 その名を耳にしたとたん、風祭の表情が険しくなった。

 武術の世界に身を置く者で叢雨流のことを知らない者はいない。

 この日本で最強を目指すとは、すなわち叢雨流を――その頂点に立つあの男を打ち破るということにほかならないのだ。

 風祭にとって、その名はしかし、特別な意味を持っているようだった。


「総帥の叢雨覚龍斎は、特撮のようなまがいものの格闘技が大きな顔をしているのが気に入らんそうだ。もし特撮番組を打ち切らなければ、あらゆる手段を使って日陽テレビを攻撃すると言ってきたよ」

「……」

「あの男はやると言ったらやる男だ。だが、俺だって編成部次長として特撮番組にいくつも関わってきた。さいしょは子供だましのジャリ番だと思っていたが、番組にかけるスタッフや役者の熱意は本物だ。みんな命がけで作品にぶつかっている。だれになんと言われようと、だんじてまがいものなんかじゃない」


 ぴしり、とガラスが割れる音が響いた。

 橘川があまりに強く握りしめたために、グラスにヒビが入ったのだ。

 掌から鮮血が流れ、カウンターにぽつりぽつりと赤いまだら模様を浮かび上がらせる。その痛みも、いまの橘川には些末なことだった。


 橘川はつよく唇を噛み締めたまま、風祭をじっと見つめる。


「だからな、風祭。俺は覚龍斎と……叢雨流と徹底的に戦うことにしたんだ」


 橘川の言葉には悽愴なまでの鬼気がみなぎっている。

 この男はすでに不退転の覚悟を決めているのだ。

 風祭は身じろぎもせず、ただその片言隻語も聞き漏らすまいと耳を澄ますだけだった。


「もちろん力でも資金でも人脈でも勝ち目がないことは分かり切っている。だが、俺たちにはたったひとつの武器――特撮がある」


 橘川は血まみれの手を鞄に突っ込み、一冊の企画書を取り出した。

 ガリ版刷りの表紙には、番組タイトルがおおきくあしらわれている。


――――『宇宙拳人コズマ』


 偶然とはいえ、鮮血に彩られたその文字は、番組の行く末を暗示しているようであった。


「橘川先輩、あんた、まさか……」

「そのまさか、さ。覚龍斎が特撮がまがいものだというなら、の特撮を見せてやればいい。台本も殺陣もない、どちらが勝つかわからない真剣勝負ガチンコの特撮をやる。いま必要なのは、そういう戦いで叢雨流に勝てる人間なんだ」


 言い終わるが早いか、橘川は風祭にむかって深々と頭をさげていた。


「たのむ、風祭豪史たけし。――――おまえが、おまえこそが宇宙拳人コズマなんだ!!」

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