宇宙拳人コズマ

第零話「誕生前夜」

誕生前夜-1

 霧のような雨が庭園をけぶらせていた。

 午前中は抜けるような青空が広がっていたというのに、昼過ぎあたりから急に降り出したのである。


 いま、広壮な日本庭園に面した座敷に並んで座っているのは、ふたりの男だ。

 どちらも大企業のサラリーマンらしく、よく手入れの行き届いた上質なスーツに身を包んでいる。


 ひとりは眼鏡をかけた痩せぎすの紳士。

 年齢は四十代のなかばといったところだろう。

 髪には白いものが目立つ。口元や眉間に深く刻まれた皺とあいまって、遠目には六十すぎの老人のようにもみえる。


 もうひとりの男はがっしりとした体つきの青年だ。

 年齢はまだ三十代の半ばを超えていないだろう。

 さっぱりと刈り上げたが年齢より若く見せているのかもしれない。

 スーツの上からでもはっきりと見て取れる筋肉の隆起は、彼の来歴を雄弁に物語っていた。

 人生のかなりの時間をスポーツに捧げてきた人間に特有の身体だ。

 それも、週末だけのテニスやゴルフ、草野球といった生半可なスポーツではない。限界まで肉体を酷使しなければ、これほど厚みのある筋肉は育たない。


 二人の年齢の差は、そのまま両者の関係を表してもいる。

 白髪頭が上司、いがぐりあたまが部下なのだ。

 かぼそい湯気を立てるお茶にはどちらも手を付けず、また正座を崩すそぶりもない。


 が稽古場から帰ってくるまで、二人はこの座敷から一歩も動くことができないのである。

 それが一時間後か、あるいは二十四時間後かは、だれにもわからない。

 大会に出場した門下生が不甲斐ない成績しか残せなかったことに激怒し、みずから一昼夜におよぶ稽古――という名の――をおこなったという噂も、あながち大げさとは言い切れない。

 の並外れた肉体には、それを可能とするだけの体力と気力がみなぎっているのだから。


 それだけに、二人の心中では、


――――はやく来てくれ。

――――このまま来なければよい。


 まったく相反する感情が、ほとんどおなじ比重を占めているのだった。


 と、二人の顔がおなじ方向を向いた。

 襖のむこうでなにかがうごめく気配を感じたためだ。

 襖から二人の座っている場所までは、ざっと五メートルほどの隔たりがある。

 その距離をものともせずに伝播したのは、が放つ悽愴な気迫にほかならなかった。


 襖が開いたのと、なにか巨大なものがどっと押し寄せてきたのは同時だった。

 二人の顔からさっと血の気が引いていく。

 むろん、現実になにかがぶつかってきたわけではない。

 襖という仕切りが取り除かれたことで、男の発する気がダイレクトに二人を圧倒したまでのことだった。


 おおきな男だった。

 身長二メートル。

 肩幅は畳一畳ほどもある。

 体重は軽く見積もって一五○キロをくだるまい。

 紬の着流しをまとっていることもあって、一見するとの力士のような体つきにみえる。

 太く短い猪首が頂くのは、しかし、おれの身体に無駄な肉など一グラムもないと誇示するかのごとき精悍無比なかんばせであった。

 はげしい稽古を終えたばかりの肌は赤銅あかがね色に上気し、五十五歳という年齢に似つかわしくない妖しい艶を帯びている。


「いや、大変おまたせした――――」


 窮屈そうに鴨居をくぐりながら、男は太く低い声で言った。

 いかにもすまなげな言葉とはうらはらに、その声音には寸毫ほども反省や謝罪の響きはない。

 いっぽう、遅参を謝られているはずの白髪頭といがぐりあたまは、まるで自分たちが悪いみたいに深々と頭を下げている。


「日陽テレビ編成部長の高野ともうします。これは次長の橘川でございます」


 白髪頭の男――高野部長が名刺を差し出そうとするのを、男は片手でさえぎった。

 大人の頭くらいなら握り込めそうな、分厚く広い手のひらであった。


叢雨むらさめ辰次郎――――世間では覚龍斎かくりゅうさいと言ったほうが通りがいいかもしれませんな。ま、堅苦しいあいさつはこんなところにしておきましょう」


 叢雨覚龍斎は豪放に笑うと、二人の正面にどっかりと腰を下ろす。


「じつはおたくの局の番組について言いたいことがあってね。わざわざお出ましねがったというわけなんだ」

「と、申されますと……?」


 覚龍斎は「ふう」と長く息を吐いたあと、薄くまぶたを開く。

 刹那、その双眸がするどい光を帯びた。

 射殺さんばかりの視線にたじろぐ高野と橘川を見据えて、覚龍斎は一語一語、噛み含めるみたいに言葉を継いでいく。


「おたくでやってる特撮ヒーロー番組をな、やめてもらいてえんだよ」


***


 叢雨流――――

 戦後、連合軍総司令部GHQの政策によって伝統武術が衰退していったなかで、めきめきと頭角を現した新興武術団体である。

 創設は昭和二十九年(一九五四年)。

 先年GHQが解体され、じょじょに武術が解禁されはじめた年であった。 


 叢雨流の特徴は、柔道・空手・日本拳法・合気道といった格闘技のすぐれた部分を抽出したところに、古流の組討術を取り入れたところにある。

 組討とは戦場において鎧武者がもちいた格闘技の総称であり、敵の首級しるしを取ることを目的とした純然たる殺人術にほかならない。

 ほかの伝統武術が精神修養や護身に傾斜していったのにたいして、叢雨流はあくまで実戦の強さにこだわった。

 というよりは、実戦の強さ以外のすべてを否定したと言ったほうが正しいだろう。


 武術の目的は敵を殺すことであり、心身の鍛錬はそのためのにすぎない。

 心身鍛錬を第一義に置くがごとき言説は、まったくもって本末転倒、笑止千万である――――

 総帥・叢雨覚龍斎が掲げた実戦至上主義ともいえる方針は、武術界のみならず、教育や言論などさまざまな方面からの猛批判を浴びた。

 にもかかわらず、叢雨流の門戸を叩く若者は跡を絶たなかった。

 戦後の焼け跡を生き抜いた彼らは、強さだけがこの世界の真理であり、勝つことのみに価値があるということを骨身にしみて理解していたのだ。

 叢雨流は全国に支部道場を設立し、昭和三十年代の中頃には、会員数三万人を超える一大勢力へと発展したのである。


 叢雨流がここまで隆盛した要因は、むろんその過激な思想だけではない。

 創設者である叢雨覚龍斎――――本名・叢雨辰次郎の常軌を逸した強さが人を惹きつけたのだ。


 覚龍斎は大正某年、鹿児島で生を享けた。

 少年時代は柔道の選手として幾多のかがやかしい実績を残したが、中学卒業をまえに突如失踪。

 その後、いわゆる大陸浪人となった覚龍斎は、アジア各地を放浪する日々を送った。

 第二次大戦が始まってからも、彼は仏領インドシナ(現在のベトナム)やシャム王国(現在のタイ)で賭け試合に参加し、ひたすら闘いに明け暮れたのである。


 終戦からほどなく日本に戻った彼がまっさきにおこなったのは、GHQの統治下で逼塞を余儀なくされていた全国の武術家を訪ね歩くことだった。

 目的は言うまでもない。

 名のある使い手に挑戦し、これを倒す――――世にいう道場破りである。

 覚龍斎の挑戦を売名行為であるとして黙殺した武術家もすくなくなかった一方、やり場のないフラストレーションを叩きつける好機とみた者もいた。

 自流こそ天下無敵と信じて疑わない彼らは、得体のしれない流れ者に負けるはずはないとたかをくくったのだ。

 そんな武術家たちを、覚龍斎はいともたやすく打ち負かしていった。

 連戦に次ぐ連戦。百戦を経てなお無敗。覚龍斎の名声は、いやがうえにも高まった。

 彼のもとに弟子入りを求める若者が押し寄せたのも道理であった。


 武術家として功成り名遂げた覚龍斎は、しかし、それだけでは満足しなかった。

 叢雨流の豊富な資金力と動員力とを活用し、政財界に急接近したのだ。

 折しも六十年安保闘争が最高潮に達し、産業界では労働争議が頻発していた時代である。

 覚龍斎はスト潰し・デモ潰しに叢雨流の門弟を送り込むとともに、保守党の大物議員に多額の献金をおこなった。

 叢雨流はあくまで武術団体であり、いわゆるヤクザや右翼結社のたぐいではない。

 まがりなりにも民主主義国家である戦後日本において、戦前の院外団のようなチンピラ崩れをおおっぴらに使うことはむずかしい。さりとて武力行使がきびしく制限された民間の警備会社では、肝心の鎮圧力に欠ける。

 与党政治家や資本家のとして、叢雨流はこれ以上ないほど好適だったのである。


 政財界との確固たるパイプを築いた覚龍斎は、いまや武術界のみならず、日本の黒幕フィクサーとしてその名を轟かせている。

 彼がその気になればたちまち数十億の金が動き、ひとりの人間を社会から完全に抹殺することもたやすいとは、世人の評するところであった。

 

 その覚龍斎から、日陽テレビ編成部にじきじきの呼び出しがかかったのである。

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