ことの始まり

@yuryuri1477

第1話

昔から私は父が苦手だった。嫌いというほど強い感情はないが、あまり好きではなかった。生きること自体を楽しいことと捉え、好きなことを追求して、そのうえでどこか野生な感じを失っていない。文化そのもののような存在。だから、その父の死の知らせが来た時もそんなに驚きはしなかった。どちらかというと「またか」というため息が出た。

自由で享楽的生き方をする父が私は本当に苦手だった。休みの日には本を読み映画を見て、レコードを聴く。いつも自分のこと好きなことの話ばかりしていて、私から見ると好きなことのために生きる父は学校の先生や友達のお父さんとなんとなく違っていて、なんとなく負い目を感じていた。とはいえ、別に父が家にお金を入れなかったとか、私と全く遊んでくれなかったかといえば、そんなことはない。ただ、レコードと本に溢れて一日一冊本を読みその感想を語る彼が単純に苦手だった。Queenのunder pressureについて父が語っていたことがある。イギリスとアルゼンチンの間で起きた小競り合いであるフォークランド紛争の直前にラジオでよくかかっていた曲だという。だからなんだ。それ以上の意味が私には分からなかった。

しかし、父には感謝している。私は今は自分の家族を持ち、上場企業で部長として働いている。役員にはなれないかもしれないが、そんなことはどうでもいい。ともかく彼は父としての役目は十分に果たしたのだ。

父が亡くなったという連絡は妻からのLINEで知った。そこに娘が「本当にその通りになった」と送ってるがそれは無視。

クライアントとの会食中だった私はその場で謝罪をすると店員にタクシーを頼み、そのまま羽田から札幌に向かった。

そこからは全てあっという間で、父は私が飛行機に乗っている間に亡くなった。その時も「間に合わなかった」という気持ちはありつつも、それ以上はなかった。新千歳空港に着いた頃には日付をまたぐ寸前で、空港の外に出ると冬の入り口の冷たい空気が私を迎える。北海道はすでな冬だが、今は9月で東京は夏の終わり。私は夏用スーツで来たことを後悔しながら、空港の駐車場で福田の車を探す。深夜前の空港にはほとんど車はなく、奴の乗るBMWはすぐに見つかった。

「久しぶり」とほぼ同時に私を見つけた福田は手を挙げて言う。

「ありがとう」私はなるべく嫌な感じを消しつつ答える。

福田は運転席に、私は助手席に乗る。

「このたびはご愁傷様でした」福田は車が動き出すと言う。

「最後に父とあったのはいつだったんだ?」

「昨日だね。Beatlesの話をしたよ」

「そうか」

車内には90年台のロックがかかっていたが、私には詳細はわからない。何度も家で聞かされたから知ってはいる。だが、その詳細は興味もなかったしよく知らない。このあたりのことは福田の方が私より福田の方が詳しい。福田は私の同級生でありながら、父の友人だった。

私たちは北海道の片田舎で育った。小学校から高校までメンバーが固定の典型的など田舎。つまり、福田とは7歳の頃から一緒だったはずだ。しかし、彼とは所属していたグループが違うので、小学生の頃のことはよく覚えていない。わたしが彼のことを意識し始めたのは、中学生の頃だ。北海道の片田舎でロックに目覚めた福田は、同級生の私でなく父と友人になった。福田はよく日曜日の朝からうちに来て、父と音楽や小説の話では盛り上がっていた。ヘンリー・ミラーやclashの話をリビングでレコードをかけながらしていて、私は同い年なのに父の友人として振る舞う福田と父自体になんとも言えない苦々しさを感じていた。

きつめの芳香剤の香りがする車内では簡単な近況報告が行われた。しかし福田は父の友達だし、やはり私たちは人種が違う。なので久しぶりの再会にしては会話はあっさり終わった。ひたすら綺麗な歌声が流れる中、車は田舎に向かって走り続ける。1時間もすると車は家に着く。

「じゃあ明日」福田はまた手を挙げていう。

「ありがとう」私は福田が家に上がらないことに安堵しつつ言う。これ以上、気まずい時間は過ごさなくていいのだ。

福田の車がいってしまうと、私は家に入る。一人で自分の実家に来るのは久しぶりで、なんだか妙な違和感を感じる。田舎なので基本的に鍵はかかっていない。私は扉を開ける。

この家にはもう母しかいない。それなのに

いつもと変わらない玄関先が私には不思議だった。父と母の靴がいくつも雑多に並んでて、それを見ると父がまだ生きていると錯覚してしまいそうになる。そういえば亡くなった親族の靴は誰がどう処分するのだろうか。

「おかえり」という声とともに母がリビングから現れる。

「ただいま」私は母を見て言う。

「大変だったでしょ」

「母さんは大丈夫?」

「まあ、これから忙しいから」母は気丈に笑って言う。「しばらくは寂しがる余裕なんてないよ」

死者のための一連の儀式は生者のためにあるという言葉を思い出す。これから行われる一連の儀式は私と母のためのものなのだ。まだ父がいるような家をぼんやりと見ながら思う。

そこからはすべて一瞬のことだった。翌日には妻と娘も合流して通夜が行われ、翌々日には葬式。さらに私は一日有休をとって遺品整理を手伝うことにする。本当は出社したかったが、部下が「今週は休んでください」と押し通すのだ。同時に上席にも言われ、渋々休みをとることにする。私の部署はまだ練度が低く、しっかりとレビューしないと無駄足を踏む犬の道へ行くことになる。しかし、上席も言うので今回は大人しく従うことにした。

金曜日はなにをするでもなくゆっくりして、その翌日に父の遺品整理をする。とはいえ、ここで忙しいのは私でなく福田だ。父はまだ私たちが中学生の頃から、自分のコレクションを全て福田に譲ると言っていた。福田は切なそうな嬉しいそうな表情を浮かべながら、父のレコードと本をトラックに運ぶ。私はただ手伝うだけだが、たまに嬉しそうにコレクションについて母と語る。

「これ、お父さんと最後に聞いた一枚なんです」福田はニューヨークドールズのレコードを大切そうに持ちながら言う。

「懐かしいね」母は大切な思い出を噛み締めるように言う。「出会った頃に父さんがよく聞いてた」

母と福田の会話は仲の良い家族のようで、私はいささか居心地の悪さを覚える。二人の会話をあまり気にしないように段ボールに父のコレクションをつめていく。やがて夕方になると全てのコレクションが積み終わり、福田は「またちょくちょく伺いますね。あと、宇宙鮫は僕が欲しかったな」と言って帰って行った。私と母はそれを見送ると、家に入る。

「そうね。宇宙鮫を引き継がないと」母は私にそう言って靴を脱ぐと部屋に入っていく。

父のレコードも本もグローブトロッターの鞄も全て福田へと引き継がれた。それなのに、最後に私になにを残したのだろうか。遺品整理中の苦々しさを忘れて私の気持ちは弾む。私は母について行く。

母はリビングで椅子を調達すると、仏壇のある部屋に向かう。私はそれに続く。父の遺骨が置かれている仏間に入ると、母は椅子を神棚の前に置いて「よいしょ」と言って椅子に登り、神棚の上に置いてある桐箱を取る。

「この中にある宇宙鮫の骨にグレン・グールドのバッハを効かせるの。それが父さんからあんたへの遺言よ」母は私に桐箱を渡して言う。

私は意味が分からないままに箱を受け取る。箱は四方が60センチぐらいの大きさで、見た目よりもずっしりと重く私は肩に力を入れる。桐箱は神棚にあるわりには誇りもなく、頻繁に手入れされていたことがわかる。

「開けてみて」母は椅子から降りて箱を指すという。

私は頷いて箱を床に置こうとするが、なんとなく母の真剣な眼差しや福田のことを考えるとやめた方がいい気がして机の上に置く。そしてもう一度母を見ると、彼女は頷く。

さっきの弾んだ気持ちはもうすでにどこかに飛んでいってしまった。ただ、この状況は私にとってはあまりよくない。場を正常に戻すため、とにかく私は桐箱を開けることにする。蓋を持ち、ゆっくりと桐箱を開ける。

桐箱の中に入っていたものについて、私は文脈がつかめなかった。桐箱の中に入っていたのは、灰色がかった白さの骨だった。それも大量に。そして、なんとなくそれが人間の骨でないことはわかる。それは父の遺骨を見たばかりなのもあるし、それ以上にヒレのような部分があるからだ。

「お父さんね、不思議なところがあったでしょ」母は宇宙鮫と呼ばれるものの骨を見ながら言う。確かにそういうところがあり、私はそいうところも本当に苦手だった。父は「なんとなくそんな感じがする」と言ってたまに予言をしたり、探し物をするのが上手かったりした。母が落とした結婚指輪やコンタクトを道端で見つけて来たりした。「探してると光って見える」と父はよく言ったものだ。そんなことごあるわけがない。しかし、今回の死だってそうだ。父は「今年の9月に死ぬ」とお正月に尋ねた時に妻と娘に言っていた。その時、父の癌はまだ見つかってなかったし、彼女たちは半々の気持ちで聞いていた。

「それで」と私は気味悪さを感じながら言う。

「ある時、父さんが朝起きて来て言ったの。宅配便で宇宙鮫の骨が届くって」母はあくまで真剣な眼差しで言う。「そして実際にそれが届いた」

「父さんの悪戯じゃないの?」

「その骨自体が七色に発光するのを私も福田くんも何度も見たわ」

「じゃあなんでそれを教えてくれなかった?」

「こういう状況じゃないとあなたは真剣に話をきかないでしょう。だからこのタイミングで話すように父さんに言われたのよ」母はため息をつく。

確かにそれは否定できない。私はずっと苦手だから父との会話は避けて来た。特に大人になってからはなるべく話したくなかった。やはり「社会人として」というのと少し離れたところで悠々と生きる父が本当に苦手だったのだ。

「そうやって意味もなく不思議なことが起こるのが面白いってことね」母は言う。「それが伝わればいいって父さんが言ってた」

私には、なにが面白いのかさっぱり分からなかった。よく分からない骨がたまに光ったからってなにになるんだ。それがなんの役に立つんだ。

「変わらずだね」苦い顔をする私を見て母も同じように苦い表情で言う。

「まあ、そうだね」私は視線を母から逸らして答える。「まあ、でも父さんのお願いだからそれはするよ」

「たぶん、そういう話じゃないんだ」と母は言うけど、私にはどういう話なのか分からない。たが、ひとまず言うこ聞いた方がいい。私は宇宙鮫の桐箱を持ち東京に帰る、そして自室で密かにApple musicでグールドを流して聞かせる。そうやって3年の月日が流れた。

私はその日、いつも通り出社していた。部下の書類をレビューし、指示を出し、そして12時にランチに向かういつも通りの生活。31階のエレベーターはこの時間にしては珍しく空いていて、ほとんど人がいなかった。乗っているのは私ともう一人だけ。彼はエレベーターの入り口のボタン前に立っているので、私は奥に行く。定員90人のエレベーターに二人はがらんどうだ。私は壁にもたれかかり外を見る。綺麗に晴れていて、都内を一望できるのは悪くない。

「どうして君たちは物事をそんなに表面的にしかとらえられないんだ?」扉が閉まりエレベーターが動き出すと男は突然振り返って言う。

私は一度周りを見渡して、誰に話しかけているのか探す。そして自分に問われていることに気がつく。

「どうしてってどういうことですか?」私は聞き返す。

その男は髪を緑に染め、スカートを履いていた。上のシャツも女性っぽいもので私は自分の部下にいたら注意しただろうと思う。

「君のお父さんはよくグールドを聞かせてくれたよ。でも、それはそういう意味じゃない。結局のところ、楽しませてくれたんだ」男は顔をわずかにあげて回想するように言う。「君は別にグールドが好きなわけじゃない。なら自分が好きなものを教えてくれたらよかった。それなのに君のような人は見るべき場所を見ていない」

自分がなぜ責められているのか、私には理解できなかった。それになぜ宇宙鮫のことを知っているのかも。しかし、もうエレベーターは一階に着く。私は解放される。

「今、世界は混沌に包まれた。これからは既存の物理法則は通じない。玉を地面に落とせばそのまま落下することもあれば、突然卵になることもある。宇宙の果てに移動することもある。まあ、まだ宇宙という概念が存在していればの話だけどね」

男は外を指差す。私は振り向いて、エレベーターの外に目をやる。するとそこには真っ暗な世界が広まっていた。しかし次の瞬間には私の目の前には火星が広がり、次に水星になる。

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