第46話「色ボケ浮かれポンチと信者たち」
「悠斗」
「……なんだ?」
「ゆーうとっ」
「…………なんだよ?」
「んふふ、呼んでみただけ」
ぎゅっと抱き締めたまま放してくれない
……普通に考えたら『美少女に抱きつかれて、キスまでされた』などというとてつもなく幸せな状況なのかもしれないが、感情のすれ違いに気付いてしまった悠斗としては冷や汗だらだらである。
簡潔に言えば「こんなつもりじゃなかった」というわけで。
「……いやそれは最低すぎるだろ」
ぼそっと
彼女は悠斗と雨宮の赤裸々な感情のぶつけ合いの一部始終を見ていて、しかもどうやら二人の感情がすれ違っていることに気付いている模様。その上で「責任取らないのはゴミ屑」とのお言葉である。……こいつは信者、基本的に雨宮の味方なのだから仕方がない。
「ちょっと、なに目逸らしてるのよ」
「あ、はい。すんません」
「んー、キスしてくれたら許してあげる」
なんだこれ。
なんだこの生き物。
なんというか、その、ちょっと色ボケしすぎでは……?
「応えてやれよクソ野郎。女王様の要求だぞ」
美織の囁きが悠斗の耳に届く。
雨宮は特に反応しない。意図的に無視している、というわけでもなさそうだ。……もしかして魔法か何かで悠斗にだけ聞こえるようにしているのだろうか?
「んっ」
目を閉じて唇を突き出してくる雨宮に、悠斗は即応できない。
……この
雨宮は悠斗に男女の情を向けている。――つまり恋愛的な意味で好き、らしい。
悠斗は完全に親愛的な意味だった。親友というか相棒というか、ユイメリアと接していた時に感じていた心地よさと同系統のソレを覚えていたのだが……。
「……ねえ、今ほかの女のこと考えなかった?」
「……、気のせいだぞ」
「そう」
なぜだか体が震えそうなほど冷たかった。こんなに密着しているのに、一瞬、温度を感じなかった。
「おい、
美織の声。視線を向ければ、半ば睨むような目でこちらを見ていた。彼女は悠斗にだけ声を届ける魔法を使って囁く。
「ぶっちゃけ事故ってるのはわかってるが、当初の目的は達した。ならついでに
「……?」
「名前呼びの件だよ。あたしの気を楽にさせろ」
昨日、夕陽の中で美織と交した会話を思い出す。
『何ならこっちも名前呼びしたいところなんだが』
『先を越されるのが嫌っていう乙女心を察して差し上げろ』
『これであたしがお前のこと名前で呼び始めたら、あたしは今日の夕飯から「白米だけの刑」に処されるだろうな』
『とっととお前が雨宮を名前呼びしてくれれば解決する話だし』
……雨宮が向けてくる感情に気付いた今ならわかる。
『わたしはまだ名字で呼ばれてるのに、先に他の女と名前で呼び合うなんて気にくわない』
つまりは、そういうことなのだろう。
――いやでもお前が最初に名前呼び拒否したんじゃん!
転生初日の謎のハイテンションで「
……とはいえ今なら受け入れてくれるだろう。
――でも今更変える必要とかある?
そう思うが、美織の「早くしろ」オーラが凄いので、悠斗は意を決して口を開いた。
「――千夏」
「っ!」
「どうした、名前で呼んだら殴るんじゃなかったのか?」
過去の理不尽を掘り返して言ってやれば、雨宮は顔を俯かせた。
相変わらず腕は悠斗の首に回されたままだが。
「……って」
「あん?」
「……もう一回、言って」
俯いたまま要求してくる少女に、変な声が出そうになるのを堪えて喉の調子を整える。
「千夏」
「っ」
「……千夏?」
「ふぁ――……んんっ」
ぶるり、と小さく体を震わせた。
……、どういう反応?
悠斗としては首を傾げるしかない。
「もう一回」
「え」
「はやく、もっかい言って」
まだまだ顔を俯かせたまま、再要求してくる。
むくむくと悪戯心が湧いた悠斗は、
「ちなつ」
「――っっっ!!」
「ぐえっ!?」
首に回された腕がぎゅっと締められた。
苦しい。
でも豊満な胸がさらに潰れてちょっとだけ幸せかもしれない。
……さっきからずっと密着していたが、それでも嬉しいのは事実なのだ。男の子だからね、仕方ないね。
などとふざけている余裕があるのは、雨宮――千夏の力が貧弱なせいでそこまで締まらないからである。最初はいきなりだったので苦悶の声を上げてしまったが、実際のところそんなにキツくはない。
「悠斗」
「ん?」
「ばか。そこは名前を呼び返すところでしょ」
理不尽だ。わかるわけがない。
とはいえ女王様でお姫様で女神様な少女の要求にはなるべく応えてやるのが信者の勤めである。
「千夏」
「っ、ん、ふぁ――」
「いやお前も返せてねえじゃん」
なんか変に感じ入っている千夏に突っ込みを入れるが、憎まれ口は返ってこなかった。
代わりに、妙に艶やかな声で囁いてくる。
「だって……幸せすぎて、壊れちゃいそうなんだもの」
「は」
…………ちょっと思考が止まってしまった。
「深く通じ合ってるって感じがして、すっごく良い。ああ……幸せだな……ふふっ」
体勢的に千夏の顔は悠斗から見えないのだが、ちょっと見たら不味い表情をしてそうなので意識しないようにする。
「…………ゲロ吐きそう」
なんか美織が死にそうな顔をしていた。
「あたし一応壁になって楽しめる人間のはずなんだけどなぁ……ちょっと、やば、キツい。なんでだろ。疎外感のせいかな。三人組で一人がハブられると死にたくなる現象かな……そういうの中学で卒業したのに……くそ、くそっくそぅ」
「にゃん(貴様も混ざってくれば良いのでは?)」
「殺すぞクソ猫、挽肉にしてやろうか」
「にゃっ(我、一応貴様の主なのだが!?)」
なにやら激しく感情を揺さぶられているようだ。BSSかNTR的なものでも味わっているのだろうか?
「ちっっっっげえわ刈谷テメエぶち殺すぞッ!?」
「……? どうしたの、美織?」
「…………なんでもない」
魔法で囁きかけるのも忘れて怒鳴る美織。さすがに千夏の耳にも入ってしまったようだ。なお、相変わらず千夏は悠斗の首に腕を回したままである。
「…………はあ。なんであたし、こんなことしてんだろ」
「にゃん(貴様が啖呵を切ったとおりだろう。望み通りなんじゃないのか?)」
「あたしはただ……雨宮に生きていてほしいだけで。……ああもう、わかってるよ。そういうふうに繋ぎ止めようとしたのは確かだし。でもなぁ……っち」
舌打ちで感情を打ち切るようにして。
それから美織はゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「そこのバカップル。帰るか撮影続けるか、選べ」
「バカップルってなんだよ、別に――」
付き合ってるわけじゃない、と口にするのは躊躇われた。
なぜなら、千夏が滅茶苦茶デレデレした顔だったからである。
……これもう完全に両思いの恋人気分ですよね?
「……諦めろ、刈谷」
魔法を使って悠斗に囁く美織。
「むしろご褒美だろ? ……まさか神聖視しすぎて汚せない! とか言うタイプの信者なのか?」
「違うが」
「なら受け入れろ。それで雨宮が幸せになるなら、信者としては感無量だろ?」
「……お前、千夏のこと嫌いなんじゃなかったっけ?」
「嫌いだぞ。日本にいた頃のあいつは特にそうだし、今もそれなりに」
言い切って。
しかし言葉とは反対に、その表情は柔らかかった。
「――まあでも一応、友達だからな。友達の想いが報われた時くらい、素直に祝福するさ。……狙ってた奴が被ってたわけでもないんだし」
ぼそっと付け足された一文が女子高生的なアレコレを感じさせる。
「……なにさっきから内緒話してるのよ」
「ぐぉッ!?」
ギリギリと首を絞め、耳元で冷たく囁く千夏。なぜバレた? ……いやまあ、美織はともかく悠斗は魔法を使って声に細工している訳でもないので当たり前か。
悠斗は必死に背中をタップしてギブアップを伝えるが、力は緩まない。……貧弱パワーな千夏とはいえ、本気で首を絞めてきたらさすがに苦しい。
「言っとくけど……浮気とか、絶対に許さないから」
「し……しませんッ! 絶対に!」
そもそも付き合っているわけじゃない――いや千夏の中ではもう恋人なのか、どうすんだこれ!?
変に訂正して「じゃあやっぱ生きるの諦めるわ」などと言われてはたまらない。
……千夏のやる気を削ぐわけにはいかない。
そう、これはつまり――メンタルコントロールだ。
……なんかちょっと違う気もするが、要は千夏の生きる気力を失わせないための対策だ。
…………あと、本質的には親愛の情とはいえ、悠斗が千夏のことを憎からず思っていることは間違いない。無理に拒否するような事態ではないのだ。たぶん。
「棚ぼた的に受け入れろよ」
美織の囁きにイラッとするが、口を噤む。ここでそっちに反応したら千夏がどんな行動に出るのかわからないので。
千夏の視線を受け止め続けていると、やがて満足したのか納得したのか、解放してくれた。
なんだか久しぶりに自由になった気分で息を吐く。
……おっぱいが離れて悲しいだなんて思っていない。本当に。
「悠斗。もし他に好きな人ができたら、ちゃんとわたしに言ってね。隠れてデートとかしてたら本当に許さないから」
「え、あ、はい」
他に好きな人も何も……と言いたいのを飲み込んで頷いておく。目が怖い。ハイライトがどっかに行っている。
「…………ちなみに、仮に他に好きな人ができたのを報告したら、どうするんだ?」
うわこいつ好奇心は猫を殺すって諺を知らないのか、と美織がドン引きしながら囁いた。
「どうするって?」
千夏はくすりと笑って。
すっ、と。悠斗の首に両手を当てた。
それから徐々に握る力を強め、締めていく。
「あんたの中でわたしの存在が大きいうちに、永遠にする」
「――ッッッ!?」
「なんてね。冗談よ」
泥のような重い雰囲気を霧散させるように、千夏はわざとらしく微笑んだ。
「わたしが一番になるまで、愛して、愛して、愛し合って……ずっと繰り返すだけよ」
「…………、」
「…………。」
悠斗も美織も黙ってしまう。
と、呆れたように猫が鳴いた。
「にゃあ(……とりあえず、帰るか撮影を続けるか、そろそろ決めたらどうだ?)」
あえて空気を読まなかったのか、それとも単に面倒になったのか。
ともあれ、思念を飛ばしてきてくれたことに感謝しつつ、頭を切り替える。
目的は果たしたので帰っても良いのだが――どうせなら動画撮影もしておきたい。
もともとは千夏の気持ちを見極めるために、お試しで二人で映る動画を撮っていたのだが……千夏が前向きになってくれたなら、これからはもっと良い動画が撮れるはずだ。
しかし、
「んー、わたしは早めに帰りたいかな」
と千夏が意見を言い、それに美織が(なぜか疲れ切った表情で)同意したので、時間的にはやや早い気もするが帰ることにした。
帰りがけ、美織がこんなことを言ってきた。
「帰りにコンビニ寄るのはなしな」
「予定はないが、なんでだ?」
「ゴム買って帰ったらあたしが死ぬほど気まずい夜を過ごすことになるから」
千夏が顔を真っ赤にして「さ、さすがに美織もいるのにするわけないでしょ!」と否定したので、悠斗の握った拳が美織に振り下ろされることはなかった。
◆ ◆ ◆
「諦めないでくれて、良かった」
身勝手な想いを呟く。
諦めさせようとしていたのに、いざ諦めたら幻滅する。
それでは輝いていないから。
雨宮
……身勝手だ。
理想を押しつけて相手を縛るだなんて、本当に……最低だ。
でも、悠斗は諦めていなかった。
雨宮千夏に想いをぶつけてくれた。
『お前と一緒なら死んでもいい』
『お前がいたから、俺は、諦めたくないと思った』
『来年以降も、お前と一緒にいたいから』
「――っっっ!!」
ああ――。
なんて幸せなことだろう。
全身を突き抜ける快感に、はしたない声を漏らしそうになる。
――彼の気持ちは、雨宮千夏と一緒だった。
……でもきっと、感情を数値で表せるなら、まだ雨宮千夏の方が大きいだろう。
それが、同一になるまで。
いや――せめて、今の雨宮千夏と同じくらいの大きさまで感情を膨らませてくれるように。
『条件』か、寿命か、はたまた他の影響か。
この命が尽きるそのときまでに、愛を高めたい。
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