第45話「その願いを口にして」
二人でカメラの前に立つのは、初めてではない。
最初――この世界に来て一週間も経たない頃。まだ『あまみゃんチャンネル』も作っておらず、ただ「ダンジョン配信をしよう」ということしか決めていなかったときに、試しにカメラを固定して二人で映る動画を撮ったことがあった。
完全に手探りで、お互いのこともよくわかっていなかったあの頃――。
思えば、高評価だの再生回数だの、具体的な数字で評価される前の段階では、まだまだ気楽だった。文化祭で普段はあまり話さないクラスメイトと協力してなにかをする……みたいなテンションで、気負うことなく楽しめた。
……あの頃すでに、
そして
それが変わったのは、いつだったか。
……明確な境目なんてわからない。
いつの間にか、諦められなくなっていた。
無謀でも、諦めたくないと思った。
だって――。
撮影は順調だった。
生配信の時と違ってコメントが飛んでくることはないから、基本的に悠斗と雨宮の二人で会話をする。その全てを動画に使うことはないだろうが、他者が見ても面白い部分は、モンスターとの戦闘シーンや宝箱を開けるシーンの途中に挟む予定だ。
戦闘は、色々なことを試してみた。
例えば、一般的な探索者ペアの動きを真似てみたり、悠斗が手早く無双してみたり、雨宮のへなちょこバトルに野次を飛ばしてみたり。
「……悠斗が無双しとけば良くない?」
「ワンパターンはつまらんだろ」
「まあそうかもしれないけど……わたしだけに戦わせてボロクソに言うのやめてよ。わたしにそっちの趣味はないから」
「別にお前を喜ばせるためにやってるわけじゃないからな。動画的に面白いし。あと俺が楽しい」
「……このクソ野郎めぇ」
雨宮に恨みがましい目で見られたが、恐らく最後のパターン……わちゃわちゃ戦うクソザコ雨宮にやいやい外野が野次を飛ばし突っ込みを入れるスタイルはそれなりに面白くなっていると思う。やり過ぎないよう調整は必要だろうが。
雨宮が一人のとき(シャルの声は視聴者には聞こえないのでノーカウント)はどこか無理のあるリアクションになっていたが、悠斗と会話する形であれば、雨宮も自然な振る舞いができていた。
例えば宝箱を開けるとき。中身を予想して互いに突っ込みを入れてみたり、危険性の少ないトラップ(難易度の低いダンジョンでは偶に見かけるドッキリ系の仕掛け)をわざと雨宮に引っかけさせたり、仕返しをされたり。一人ではできないことをやってみると、雨宮の表情がコロコロと変わって、良い画が撮れたと思う。
……雨宮一人で映るよりも、誰かと一緒の方がより彼女の魅力を引き出せる。
三時間ほどダンジョンを探索しながら撮影を続けて、悠斗は二人でカメラに写ることの良さを認めた。
とはいえ、それが視聴者に受け入れてもらえるかはわからない。
いや――その辺りを考えるより先に、やるべきことがある。伝えるべき想いがある。
ダンジョン内で昼食休憩を取り、さあ再び撮影を再開しよう――そんなタイミングで、悠斗は切り出した。
「雨宮。――お前は完全に、『条件』の達成を諦めてしまったのか?」
すとん、と。笑みが浮かんでいた雨宮の顔から、表情が抜け落ちる。
それから、すっと目を細めた。まるで、楽しい気分に水を差されたことに苛立ったように。
「……一昨日にも言ったでしょ。あんなの絶対に無理なんだから、本気になるだけ無駄。辛い思いをしてまでやることじゃないわ」
「なら、楽しくやれるなら良いのか?」
「……、」
雨宮は言葉に詰まり、沈黙した。
ややあって、
「……楽しさを失わずに達成できるほど簡単なことじゃないでしょ」
「そうだな」
そればかりは肯定するしかなかった。
『一年以内に、配信者として登録者百万人を達成すること』
ある種の天才や、天性のスター性を持つ『選ばれし人間』でもない凡人には、果てしなく険しい道。
「俺たちには、一気にスターダムを駆け上がれるような才能はない」
生活の全てを動画投稿・配信に捧げ、面白さのためにプライドを犠牲にし、リスクとリターンを天秤にかけながら、運と金と人脈でバズる作品を生み出す。数多の心ない批判に耐えながら、ライバルたちとパイを奪い合いながら――そうやって様々なことを切り捨てて配信活動だけに全力を注ぐことで、ようやっと達成できる可能性が出てくる。
「求道者でもなければ鋼鉄の精神を持っているわけでもないから、何もかもを切り捨てるようなこともできない」
動画を作るだけで楽しい。完成したものを誰かに見てもらえるだけで楽しい。そんな状態がずっと続けられるのは、ある種の才能だ。
誰にも見てもらえず評価されなければ腐り、手酷く批判されればやめたくなる。ライバルがバズれば嫉妬し、おこぼれを貰いに群がって人間性を疑われるようになれば病む。「オリジナリティがない」「誰かの劣化」「喋り方がウザい」「戦いがショボい」「シンプルにつまらない」――積み重なるコメントは精神を疲弊させる。
それら全てを無視して、ただただ目標のために邁進する――そんな強さが、それをするだけの意志が、生への執着が、雨宮にはなかった。
「雨宮。……お前は、心を殺して、全身全霊を尽くしてまで、生きたいとは思えないんだな?」
「『条件』がもっと簡単なら頑張ったわよ? でも、不可能だってわかりきってることに心血を注げるほど、わたしは強くない」
雨宮は死にたがっているわけではない。
ただ、諦めてしまっている。頑張ってもどうしようもないから、無意味な努力なんてせず、傷つけられるようなことは避けて過ごしたい。
「そうか」
頷いて。
「なら――俺がなんとかする」
悠斗は、笑みを浮かべてみせた。
「……、は? なに言ってるの?」
「俺が一人でどうにかする。いや、美織も協力してくれるか。シャルはお前の味方みたいだけど。ミーシャにもかなり頼ることになりそうだが……まあ色々頑張って、なんとか俺が『あまみゃんチャンネル』を登録者百万人にする」
方法なんてわからない。
具体的な手段なんて浮かばない。
そもそもできるわけがない――そんなことはわかっている。
それでも、
「無理。無理よ、できるわけがない! あの生配信でチャンネルの未来は完全に閉ざされた。それを持ち直して、一年で百万人にするだなんてできるわけがないでしょ!?」
「そうだな」
「っ! なに認めてんのよ!?」
「いや、俺も無理だって思ってるよ。普通はできない。奇跡でも起こらなければな」
「なら、なんで――」
「それでも、諦められないから」
強く。
はっきりと、言い切って。
「……どうして?」
中空に溶け消えてしまいそうなほどか細い雨宮の声。
困惑に揺れる琥珀の瞳。
悠斗はまっすぐとその双眸を覗き込む。
そして、想いの全てをぶつけるために、悠斗は言葉を紡いだ。
「来年以降も、お前と一緒にいたいから」
真摯な想い。
切実な願い。
少女と共に生きたいから、少年は諦められない。
「――、」
雨宮
彼女が悠斗の言葉に、想いに、どんな感情を抱いたのかはわからない。
でも今、悠斗がすべきことは、愚直に想いを伝えること。
畳みかけるように、悠斗は言葉を重ねる。
「お前の言うとおり、日本にいた頃の俺は、確かに生きる気力を失っていたのかもしれない」
「……、」
「この世界に来たばかりの頃も、『条件』達成なんて無理だと思ってた。形だけ諦めないフリをしているようなものだった。死にたいわけじゃないけど、現実的に考えて無理だろう。……この辺りはお前と同じだったのかもな」
でも。
そこから悠斗は、諦めないという気持ちを持った。持ってしまった。
なぜなら――。
「雨宮、……お前がいたから」
「っ」
「お前がいたから、俺は、諦めたくないと思った」
雨宮は胸の前でぎゅっと両手を重ねた。
祈るような、何かを
琥珀の瞳が強く揺れる。
「お前と動画を撮るの、俺も楽しいよ。それだけじゃない。お前がいる生活は、充実していたと思う。楽しかった。生きてる実感があった……って、変な言い方だけどな。――でも、本当に、俺はお前といるのが楽しかったんだよ」
「わた、しも……」
絞り出すように、雨宮は言葉を吐き出す。
震えた、どこか涙混じりの声。
こちらを見上げる顔は朱に染まり、瞳は潤んで熱の籠もった視線を放つ。
「わたしも、楽しかった。悠斗と一緒にいる時間が、幸せだった。最初は必要だから言わせていただけだったのに、『可愛い』って言われて、嬉しくて、ポカポカして、気持ちよくて……もっと言ってほしいって、思うようになっちゃった。――悠斗がいない生活なんて考えられない。悠斗と一緒なら、最期の時まで幸せでいられるって……思ったの」
「……、」
強い想いを返されて、悠斗は言葉を紡げなかった。
ゆっくりと咀嚼する。
――きちんと考えてみれば、悠斗と同じ思いなのだ。
『この人と一緒なら、死んでも良い』
人生のパートナー。
無二の大親友、代えがたい相棒――自分の半身となった存在に感じるような想い。
悠斗は、そう解釈した。
だから、この言葉を贈る。
「お前と一緒なら死んでもいいと思ってる」
「っ」
「でも――だからこそ、お前を死なせたくない」
「ゆう、と」
雨宮の両目から涙が零れていた。
通じ合った想いが感情を増幅させ――そして、堪えきれなくなったように雨宮の体が弾かれる。
「――、」
雨宮が悠斗の体に飛びつき、背中に腕を回して抱き締めてくる。
大きめの胸が悠斗の体に押しつけるような形で潰れ、全身の熱を混じり合わせるように密着する。黄金の髪がふわりと揺れ、少女の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
悠斗は一瞬固まってから、ゆっくりと雨宮を抱き締め返す。これが正しい対応、のはず。頭の中で煩悩退散を叫んでおく。
すると、雨宮が顔をわずかに上げ、うっとりと微笑んだ。
「っ?」
まるで恋人に対する反応のようで悠斗は混乱するが、雨宮が満足そうなのでひとまず疑問をスルーし、言葉を続ける。
「お前を死なせたくないから、俺は『条件』達成を目指す。無謀だってわかってる。でも、やらないわけにはいかない。来年以降も、お前と生きているために」
「……うん」
「無理にお前をカメラの前に立たせるのは、やめる。ごめんな、やりたくもないのに一人でやらせて」
「違う……違うの。わたし一人が画面に映るとしても、悠斗と動画を撮るのは楽しかった」
「けど辛い思いもさせてしまった。コメントを読んで、嫌な思いをしただろ?」
「そう、だけど……そうだけど、違うの」
ところどころ嗚咽を漏らしながら、雨宮は吐露する。
「もっと幸せがほしかったの。悠斗にもっとわたしを意識してほしかっただけなの。もっと、もっと……お姉ちゃんよりも、大切にしてほしかった。強く想ってほしかった。先なんて考えても仕方ない。過去も見てほしくない。今、目の前にいるわたしを、わたしだけを一番にしてほしい。だから『条件』なんて絶対に無理なことに意識を向けるのをやめてほしかった。残り少ない時間を幸せに過ごしたかった」
雨宮の言葉は一本道が通っておらず、完全には理解できない。しかし、なにか譲れない想いで行動を起こしたことだけはわかった。
「でも、でも……駄目。駄目よ。こんなの」
ぎゅう、と。雨宮の腕にさらに力が込められる。
これ以上くっつくことなんてできないのに。物理的な障壁を越えて、魂までも混じり合わせてしまいたい――そんな思いが感じられるほど、強く抱き締められる。
「これじゃあ、満足できなくなっちゃう。もっと欲しくなっちゃう」
欲を。
願いを。
涙に濡れた想いを、少女は吐き出した。
「一年なんて短い期間じゃ、満足できない。ずっとずっと、いつまでも。寿命で死んじゃうまで……ううん、その先も、天国でも地獄でも、転生してもまた巡り会って……悠斗と一緒にいたい」
あまりにも。
あまりにも重たいそれは、しかし。
雨宮千夏という少女が抱える、本物の感情で。
「いっそ寿命なんて克服して、この世界でずっとずっと悠斗と暮らしたい。あ、色んな世界を巡ってみるのも良いかも。不老が実現できたら、世界を渡るくらいできそうだし。……あはは、さすがに現実的じゃないわね」
「……、雨宮」
「でも、それが本心。認めたくなかった。……だって、誰だって辛い思いはしたくないでしょ? 報われない努力なんて嫌でしょ? だからわたしは、この感情を肯定したくなかった。……もう、遅いけれど」
ふわりと笑って。
雨宮千夏は、その心のままに言葉を紡ぐ。
「悠斗。わたしは、あんたと一緒に死にたい。どんな形になっても、あんたと一緒なら受け入れられる。……でも、欲を掻くなら、死にたくない。もっと長い時間をあんたと過ごしたいから」
「……そうか」
「なにそのうっすい反応。あんたの意見が通ったのよ? もっと喜びなさいよ」
拗ねたように少しだけ唇を尖らせる雨宮。
悠斗はようやっと、彼女の言葉を理解できた。
「つまり、お前……諦めないで良いのか?」
「ばか。理解するのが遅い」
じとっとした目が向けられる。
「言ったじゃん、もっとあんたといたいって。……一年で終わるのなんて、嫌。そんなんじゃ満足できない。いっそ永遠の時が欲しい」
「お、おおう」
古今東西の権力者が求め、叶わない夢をさらっと口にする
「だから、悠斗。あんたが諦めないなら、わたしも一緒に頑張る。あんたともっと長い時間を生きるために、努力する」
言って、雨宮は腕を緩めた。少しだけ離れて、今度は首に回し直す。
その行動に悠斗が疑問を覚える間もなく、ずいっ、と雨宮の顔が近づいていた。
ともすれば互いの顔に息がかかるほどの距離で見つめ合う。
雨宮は、その美しい
近づく。
悠斗の視界を、少女の肌色が埋める。
そして。
――唇が触れた。
「ん――」
鼻から息が抜けたような音。
時間が引き延ばされたような、凍ってしまったような。実際に触れ合ったのは一瞬だったのかもしれないし、数分はそのままだったのかもしれない。
「ん、ぁ――」
混乱を通り越して停止した思考は、解読不能な感情の嵐によって埋め尽くされる。
なにが起こっている。
なにが起きている!?
疑問に対する答えはすぐ目の前。そして、唇に押し当てられた感触そのもの。
「は――ふぅ」
やがて。
唇を離した雨宮が、甘ったるい吐息を漏らした。
とろんとした瞳でこちらを見つめてくる。
そして、もう一度口づけをせがむように、小さく唇を突き出した。
「ま――」
待て、落ち着け、どうしてこうなった!?
叫び出しそうになる衝動は、しかし外部から口を塞がれることで押し留められる。
雨宮が再び唇を接触させたのだ。
「んぅ、ん――」
「っっっ!?」
口腔に侵入してくるナニカ。
未知の感触に驚愕し、反射的に舌で押し出そうとする。してしまう。
「んふ」
すると雨宮が嬉しそうな息を漏らした。
絡み合う。
生き物のようなソレが悠斗の舌を弄び、口内を蹂躙し始める。
ピチャピチャと水音が耳を抜けていく。
唇が、舌が溶け合うような。体温が混じり合う。互いの唾液を交換し、感覚を共有し、一つになっていく。
やがて、透明な糸を引いて、雨宮の唇が離れた。
「ゆうと」
甘く、舌の上で転がすように名を呼んで、雨宮千夏は微笑む。
「わたしとずっと一緒にいて。『可愛い』って言って、愛を囁いて。そうすれば、わたしはなんでもする。悠斗と一緒に生きるために、頑張るから」
『雨宮も悠斗と同じような感情を持っていたのだろうか』
『きちんと考えてみれば、悠斗と同じ思いなのだ』
今更になって悟った。
昨日気づき、そしてついさっき確信したそれは、しかし決定的に間違っていたのだ。
「好きよ、悠斗。愛してる。だから悠斗も、わたしに愛を
少女は、恋愛の情を。
少年は、親愛の情を。
それぞれに強い想いをぶつけ合って。
しかしすれ違っていることに気付いたのは、悠斗の方だけだ。
だから。
でも。
いや――。
ここで拒んだらどうなるかなんて、本当にわからない。
ゆえに悠斗は引き攣った顔で笑った。
腕の中の少女はこの上なく幸せそうに微笑んだ。
――視界の端で、
◆ ◆ ◆
転生する直前。
『いっせーので叶えて欲しい願いを言ってね』
刈谷悠斗は自分で何を願ったのか覚えていなかったが――。
神に願ったものは、正しく叶えられていた。
刈谷悠斗と雨宮千夏を一緒に転生させ、同じ『条件』を付ける、という形で。
『容量削減のために合わせたのですが』
本来であればそれぞれに用意されるところなのだが、事情により二人は合わせられた。
それでも問題がなかった。
……否、むしろ都合が良かった。
とある黒猫は「これも運命なのかもしれない」と言ったが、ある意味二人は強い因果で結ばれていたのかもしれない。
刈谷悠斗が願ったのは、「ユイメリアのような相棒が欲しい」。
雨宮千夏が願ったのは、「わたしを見捨てず、愛してくれる人と一緒にいたい」。
ゆえに、互いに違う感情を向け合うことになるのは、必然だった。
それを神が望んでセッティングしたのかは、それこそ神のみぞ知る、であるが。
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