第44話「カンジョウ」



 あまみやなつは愛を欲しがっていた。


 具体的には、母からの愛情を求めて生きていた。


 母は不特定多数の愛に溺れ、愛を返して生きていた。

 姉はそんな母に見切りを付けて、外に生きる場所を見つけてしまった。

 父は家族を顧みることなく、金と権力に精を出した。


 雨宮千夏は取り残されてしまった。


 寂しがり屋の雨宮千夏は、母が振りまく愛の一欠片でも受け取れれば満足だった。


 母は『可愛いもの』が好きだった。

 母は『可愛いもの』を愛した。


 だから雨宮千夏は、『可愛いもの』でなければならなかった。


   ◆ ◆ ◆


「雨宮、動画を撮るぞ」


 帰って来た途端にそんな提案をしてきたゆうに、雨宮千夏は首を傾げた。


「それは、悠斗も一緒に映るのよね?」


 たぶん否定が返ってくるんだろうなあ、と覚悟して。

 しかし、悠斗は首を縦に振った。


「ああ、二人で映る」

「……っ」


 悠斗が肯定したと言うことは――雨宮千夏の願いを受け入れてくれたということだろうか?


 無謀な『条件』達成を目指さず、緩く楽しくやろう、という提案を呑んでくれたのだろうか?


 自分が望んだはずの展開なのに、どうしてか、雨宮千夏は素直に頷けなかった。


 ――諦めるなんて、らしくない。


 頭の片隅で浮かびかけた押しつけがましい思考は、しかし明確に言葉にする前に消え失せた。


   ◆ ◆ ◆


おり、カメラ任せた」

「おう。……かり、わかってるよな?」

「もちろん」

「女王様を口説く台詞はバッチリか?」


「現国の成績的に自信はないが、まあなんとかなるだろ」

「そこはあんまし関係ない気もするが……。できるんならいいさ。もし一回やって駄目でも、諦めるなんて許さないからな」

「当たり前だろ。何度でも口説くさ」

「そうか。健闘を祈るぜ、ナンパ野郎」


「なんて不名誉な……。役回りとしては女王様に忠言する忠臣のはずなんだが?」

「いいや、お前はナンパ野郎だよ。女王様の心を奪った騎士、あるいは女神様を地に落とした悪魔だ」

「なんだそりゃ。……お前もしかして、中二病なの?」

「ぶっ飛ばすぞお前マジで」


 信者たちは企む。

 彼らの崇める存在の諦観を、打ち砕くために。


 友人として望む。

 彼らの友が生を渇望し、未来を求めることを。


   ◆ ◆ ◆


 悠斗が提案してきたときは夕食の直前だったので、撮影場所とやることだけ決めて、実際に撮るのは翌日となった。


 撮影場所は、初級ダンジョン『小さな黒の森』。

 一昨日、初めての生配信を行った場所。


「……前回のリベンジでもするつもり?」


 やや視線を鋭くして悠斗に問いかけると、彼は両目をぱちくりとまたたかせた。


「雨宮にやる気があるならそうするが?」

「嫌よ。今日は悠斗も映るっていうから来たんじゃない」

「そうか……、そうだな」


 悠斗は頷くと、美織に目配せした。視線を受け取った美織は小さく頷き、撮影用の携帯端末を構える。


「配信じゃなくて動画だからな。オープニングトークを軽く撮ったら、あとは編集時に使う部分を決めよう」


 今回撮る動画の内容はシンプルで、「ダンジョンを二人で攻略する」という何の捻りもないものだ。


 視聴者に見せる初めてのペア動画だから、内容がごちゃごちゃしているよりもわかりやすい方が良い。そんな考えから来ている。


 ――ペア動画。

 雨宮千夏と悠斗が二人で映る動画を、『あまみゃんチャンネル』に載せる。


 悠斗は諦めてくれたのだ。

 そして、雨宮千夏のわがままを受け入れてくれた。


「ふふっ」


 口が自然に笑みの形を作る。


 悠斗が雨宮千夏を受け入れてくれる。

 それだけで愛を感じられて、幸福感が全身にじんわりと広がっていく。


 ――と、同時。

 少しだけ、胸の奥がチクリと痛んだ。


 その感触を誤魔化すように、雨宮千夏は悠斗の右腕に抱きついた。彼がぎょっとしてこちらを見る。雨宮千夏は上目遣いで悠斗の目を覗き込み、


「一発目からインパクトのあるの方が、色々とごまかしが利くわよ?」

「……カップルチャンネルじゃないんだから、こんなことする必要ないだろ」

「っ」


 パッ、と腕を放す。


 それもそうだ。

 なんでこんなことをしたんだろう?


 心臓が早鐘を打つ。なんだか顔も赤い気がする。

 悠斗が胡乱げな目で見てくるので、とりあえず目潰ししておいた。避けられた。なんてことだ。


 ……いやでも、ほら、悠斗に雨宮千夏を意識させるためには、こういうスキンシップも大事だからね?


 自分に言い聞かせるように口の中で呟く。


 ――ああ駄目だ、冷静に対処されるとどうして良いかわからない。悠斗がテンパってくれないと誤魔化せない!


「うぐぐ……」

「なに呻いてんだお前は」


 悠斗の呆れ顔が憎たらしい。こいつめ……こいつめ……! とりあえずムカついたのでほっぺを抓っておこう。あ、意外と柔らかい。腕は硬かったけど、こっちはそうでもないんだな。


 などと肌の感触を確かめていると、咳払いが響く。美織が冷たい目をこちらに向けていた。

 そして足下からも鳴き声が。シャルは呆れた目でこちらを見上げていた。


「……なによ」

「いや別に。あたしからは『はよ準備しろ』とだけ」

「にゃん(……まあ、貴様がやりたいようにやれば良いさ)」


 何だか皆が冷たいというか……なぜ仕方がないものを見るような目を向けてくるのだろう。


 行動が不自然なのだろうか? いやでも、目的のためには必要なことだし。小悪魔の如くからかっているわけでもない――あくまで「姉よりも自分を意識してもらうため」の身体接触だ。決して自分が彼に触れていたいからやっているわけではない。決して。


 なんとなく生暖かい空気を切り替えるため、「とりあえず」と切り出す。


「悠斗、ノルマ」

「はあ? なんで今……」

「いいから! 今日はまだ言われてないわよ」


 じっと見つめながらねだると、悠斗は失礼なことに溜息なんぞ返してくる。


「ちょっと」

「あーはいはい、わかってますよお姫様」

「っ! なによお姫様って……馬鹿にしてるの?」

「ちょっとしかしてない」

「は?」

「ちょっともしてません」


 さすがにお姫様なんて持ち上げられて喜ぶ歳ではない。……馬鹿にするようなニュアンスが感じられても嬉しくなるなんて嘘だ。真剣に言われたら、それはそれでゾワゾワしてくるだろうが。


「わたしを馬鹿にした罰として、悠斗には動画でなにか面白いことでもしてもらいましょう。一発芸とか」

「はあ? なんだその無茶ぶり」

「前にあんたにやられた仕返し」

「……スライムとの再戦動画を撮った時のか。悪かった。絶対滑るから無茶ぶりはやめてくれ」


「嫌よ。傷ついたから」

「ごめんて」

「……いつもより心を込めて言ってくれたら、許してあげる」


 悠斗は目を閉じて三秒ほど沈黙した後。

 こちらの目の奥を覗き込むようにしながら、ゆっくりと口を開く。


「可愛い」

「誰よりも?」

「ああ。俺の知る誰よりも、お前が可愛い」

「っ」


 ああ――どうしてだろう。いつもより心が満たされる。うずく。熱が上る。


 両耳から入ってきた、愛。

 脳で丹念に甘さを堪能する。


 もし。

 もしも、その言葉の後に――を続けてもらえたら、どれだけ幸せな気分になれるだろう。


「悠斗――」


 愛を。

 その感情を。


『可愛い』と言われるのは嬉しい。心が、魂が満たされる。

 でも、もっと直接的な言葉をくれたなら、雨宮千夏はさらなる幸福で満たされるのに。


「どうした?」

「……、なんでもないわ」


 誤魔化すようにそう言って、顔を逸らす。


 ……すっかり欲張りになってしまった。


 というか、これじゃあ美織を恋愛脳だなんて笑えない。


『姉より可愛いと言ってもらう』

 最初の想いはそれだけのはずだった。


 ……いや、さすがにもうわかっている。自覚している。

 この感情がどんな言葉で表わされるかくらい、気付いている。


 認めたくないけれど――。

 ……違う。認めてしまえば、我慢できなくなってしまいそうで、怖い。


「ねえ、悠斗」

「ん?」

「わたし、お姉ちゃんよりも、可愛い?」


 悠斗は即答しなかった。


 ――迷っている。


 それは、雨宮千夏にとってショックなことで――同時に、真剣に考えてくれていると思えば、少しだけ嬉しくなる。


 複雑だ。

 本当に、どうしてこんなに、もやもやした想いを抱えることになってしまったのか。


 ……その数倍面倒なことを悠斗にふっかけている気がするけれど、そこはまあ、許してほしい。


「……正直、人の顔の善し悪しなんて比べるもんじゃないと思うが」

「ここで誤魔化すとか、ありえないんですけど」

「本心なんだけどな……。顔が良くても中身がドブ川じゃあ意味ないし」


 悠斗はどこか遠い目で呟くと、軽く頭を掻いた。なにか嫌な思い出をかき消すような動作だった。


 ややあって、悠斗はさらりと言った。


「まあ、顔だけで比べるならお前の方が可愛いと思う」

「っ!」

「……そもそもユイは綺麗系っつうか美人系だったし」


 あまりにさらっとした言い方だったので、危うく反対の耳からすり抜けてしまうところだった。


 待ち望んだ言葉だった。余計な言葉は耳に入らない。

 でも――ああ、それでも。


 もっとほしい。

 別の言葉が、愛が、ほしい。


「ねえ」

「……なんだ?」


 悠斗の黒い目を、見上げる形で覗き込む。

 彼の瞳の中に映る自分は、いつも鏡の前で練習していた『可愛い顔』より歪で。


 それでも修整する余裕は、今の雨宮千夏にはなかった。


「悠斗は……その、わたし……のこと……」


 顔が熱い。

 目が潤む。

 全身がだったように熱を持つ。


 知りたい。

 訊きたい。

 その言葉を。

 愛を。

 感情を――。


 と。


「あ、ちなみにもうカメラ回ってるんだが、今の部分使うか?」

「っ!!」


 横から飛んできた美織の声が、危ういところで衝動を引き留める。


 ――危なかった。

 ――邪魔しやがって。


 果たしてどちらの思考で美織に視線を向けたのか、自分でもわからなかった。


「け、消しなさいっ!」

「カップルチャンネルの始まりとしてはそれなりに良いんじゃねえの? テロップで『ブラックコーヒーを飲みつつお楽しみください』ってつけてやるよ」

「カップルチャンネルじゃないって言ってるでしょ! ああもうっ。悠斗も何か言いなさい!」

「あー……オープニングトークはあとで撮るか? 動画なんだから、後撮りしたのをくっつけりゃいいわけだし」

「っ! この朴念仁っ」

「なんで? 朴念仁はちがくない?」


 本気でわかっていない顔で首を傾げやがった野郎に、雨宮千夏はグーをお見舞いするのだった。……筋力がへなちょこなせいで全くこたえていなかったが。


「……とりあえず、始めようぜ。美織、今度は撮り始めを合図してくれ」

「了解っと」

「……、はあ」


 溜息とともに様々なものを吐き出す。

 ……吐息に熱が籠もっていたのは、感情が荒ぶったせいか。


「雨宮」


 と、悠斗が名前を呼んだ。

 目を向けると、彼はこちらに視線を向けないまま、囁くように――あるいは自分自身に言い聞かせるように、言った。


「俺は、諦めないからな」


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