第42話「ネガイ」
「でも、一つだけ訊かせて。――あんたは、誰の味方なの?」
シャルロットにとっては脈絡のない問いに感じられたのかもしれない。黒猫は小さな頭をこてんと横に倒した。しかし質問の意味を問い返すのではなく、素直に答えてくれる。
「にゃん(我は主の使い魔であり、ユイメリアの契約者であり……今、貴様の契約者となった。ゆえに、主の命令やユイメリアの願いに反しない限り、貴様の味方である)」
「そう」
あくまで
いや、シャルロットが他にも契約している人間がいるのなら、雨宮千夏の優先順位はもっと下がる。
ゆえにこそ、訊いておかなければならない。
「じゃあ、お姉ちゃんが殺せって言ったら――わたしを殺すの?」
わずかな沈黙。
黒猫は赤い瞳でこちらをじっと見つめている。
ややあって、思念が送られてきた。
「にゃ(……さあな。ユイメリアがそれを求めるとは思えんが)」
「どうかしら。お姉ちゃんがわたしのパートナーが誰なのかを知ったら、可能性があるかもしれないわよ?」
「にゃん(そうか。だがな、我としては契約を交した相手はなるべく殺したくない。そもユイメリアとは対等の契約であるから――もし色恋で殺せなどと言われても、動かんよ。……まあ今のあやつがそんなことを言うとは思えんが)」
「……、そう」
シャルロットの言葉は、雨宮千夏の求める答えではなかった。
だが、最悪ではない、と思う。
姉を優先されるのは、仕方ない。
ならば。
姉に知られる前に、取り返しの付かないようにしてしまえば良い。
この瞬間に、雨宮千夏は目標を定めた。
一年間という短い期限の中で達成すべきものを、明確に決めたのだ。
神に課せられた『条件』とは関係のない、雨宮千夏が残り少ない時間の中で欲するものを。
「なら、協力してほしいことがあるの」
「にゃ(なんだ? 色恋のために姉を殺してこい、などと言われても困ってしまうが)」
「そんなこと言うわけないでしょ!」
ふざけたことをぬかす猫に声を荒げてしまう。
「落ち着け、わたし」と一つ深呼吸を挟んでから、雨宮千夏は願いを口にした。
すなわち、
「
「……、」
「わたしと一緒に生きたい、わたしがいれば他には要らない――そう言えるように」
黒猫は黙したまま、じっとこちらの目を見つめ続ける。
雨宮千夏は、続ける。
「わたしと悠斗は、神様に『条件』を課せられている。来年以降も生きるためには、この世界の動画共有サイトで自分たちのチャンネルの登録者を百万人にしなきゃいけない。……できるわけないじゃない。わたしたちはあと一年で死んでしまう。絶対に」
雨宮千夏は、最初から諦めていた。
『条件』達成は不可能。
悠斗はいくらか汚い手段も考えていたようだが、それだって「神々が認めなければペナルティ」などという馬鹿げたルールがあるのだ。
全ては神様の気分次第。
……本当に、ふざけている。
ゆえに、雨宮千夏はこう思ったのだ。
「なら、この最後の一年を有意義なものにしないと」
「……、」
「だってこれで終わりなのよ? わたしが独りだったら、たぶん、ぼうっとしたまま死んだと思う。でも、悠斗がいた。あいつがいたなら、しなきゃいけないことがある」
それは、日本にいたときから思っていたこと。
教室の端っこで死んだように生きる彼を見て、雨宮千夏が抱いた感情。
「あいつの一番を変える。わたしの方が良いって、言わせてみせる」
そうすれば、雨宮千夏が雨宮冬姫よりも「可愛い」ことが証明されるから。
――雨宮千夏は、そういう存在でなければいけないから。
「にゃ(そうか)」
猫は呟くだけだった。
――否、一つだけ問いかけてきた。
「にゃん(本当に、それだけか?)」
「……、」
「にゃあ(その相手に対して、思うところがあるのではないか?)」
シャルロットがどんな言葉を引き出したかったのかはわからない。
あるいはこれが修学旅行の夜であれば、恋バナに結びつけようという思惑が働いたかもしれないが。
どんなシチュエーションでも。あるいはトモダチを相手に話すとしても、きっと雨宮千夏ははぐらかすだろう。ニッコリ笑ってやれば、それだけで相手は何も追求してこなくなる。
だが。
今ばかりは、契約相手――協力を求める吸血鬼には、本心から吐露した。
「――だってお姉ちゃんの隣にいたヒトが、こんなにもくすんでいるのが許せないんだもの」
これは、そういうお話。
いつも他人に虚像を押しつけられていた少女が、他人の評価によって自分を保っていた少女が――誰かに理想を求めていた。それだけのこと。
「にゃ(……まあ良いだろう)」
シャルロットはひとまず納得して、
「にゃあ(ユイメリアの願いを考えると貴様が一年で死ぬ呪いをかけられているのは問題だが……それは後々どうにかする)」
「できるの?」
「にゃん(誰にものを言っている……と言いたいところだが、正直なところ厳しいな。正攻法で解呪できるのならそれに越したことはない)」
「なら無理ね。軽く調べてみたけど、この世界の動画サイトも向こうとそんなに変わらないみたいだし、凡人がどうにかできるようなものではないわ。あるいはわたしたちより前に転生した、神様がチート? を与えていた人たちならできたかもしれないけれど」
無い物ねだりをしても仕方がない。
雨宮千夏や
ならば、自分が満足して死ねるように、最後の一年を使おう。
◆ ◆ ◆
雨宮千夏にとって「可愛い」という評価は、他者からされることで意味を持つ。
正しくは、それを口にする存在によって価値が変わる。
自分が自分であるためにソレを求めていた相手は、この世界にはいない。
もう会うことはない。絶対に。
刈谷悠斗は代替。
自分を保つための安定剤。
姉と比較してもらうための審査員。
最初はそれだけだった。
でも、試しに別の人に言わせてみて気付いたのだ。
前は必要としていたものが、必要ではなくなった。
代わりに、悠斗の「可愛い」がなければ不安定になる自分に気付いた。
彼が「可愛い」と言ってくれるから、自分が崩れないでいられる。
彼に「可愛い」と言ってもらえると、暗い優越感が心を満たす。
彼の「可愛い」を聞く度に、胸の奥が温かいもので包まれる。
雨宮千夏から姉を奪っていった人が。
あの姉の隣にいることを許された人が。
雨宮千夏を評価してくれる。愛をくれる。
言わせているだけ。心なんて込められるはずがないのに、彼は熱を籠めて「可愛い」と囁いてくれる。愛を吹き込んでくれる。
熱を
――もっと欲しい。もっと満たして欲しい。
乾いた魂を潤してくれることに喜びを覚え、いつまでも足りない足りないと求め続けるようになってしまった。
すっかり欲深くなってしまった雨宮千夏は、それでも当初の目的からブレなかった。
むしろより強くそれを求めるようになった。
「あの姉の隣にいた凄い人が、わたしだけを『可愛い』と言ってくれるように。姉よりも、わたしを愛してくれるようにしたい」
始まりは、恋と呼ぶには幼くて。
むしろ、親の愛を求める幼子に近いものだったのだろうが――。
今では思う。
微熱のような毎日よりも、ドロドロに溶け合ってしまう一瞬を。
満たされる喜びを知り、
熱の籠もった愛を感じ、
恋を覚えた少女は願う。
――一年限りの蜜月を、どうか、幸せなものにさせてほしい。
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