第41話「ケイヤク」
悠斗には「倒れていたところを見つけたから拾った」と説明したが、真実は違う。
悠斗と二手に分かれて必要な物資を探していた際、雨宮千夏は頭の中にある声を聞いた。
『こっちへ来い』
幻聴かと思った。
周りの人間は特に反応していない。自分にだけ聞こえる声。気味悪く思うが、無視するのが一番だ。
しかし――どうしてか抗えないものを感じて、雨宮千夏の体は声の誘導に従ってしまった。
あとで思い返せば、あれはそういう魔法だったのだろう。なんの魔法耐性も持たない雨宮千夏が抵抗できないのは無理もない話だ。
そして、人目のない薄暗い路地裏に、一人の少女が待っていた。
影が落ちる場においても輝くような金髪をツインテールにした、赤い眼の小柄な美少女。歳は中学生くらいだろうか。あるいは小学生の高学年にも見える。しかし立ち振る舞いから感じる成熟した雰囲気はその魔的な美貌と相まって、アンバランスな魅力を醸していた。
彼女は雨宮千夏の姿を認めると、そのぷっくりとした唇を開く。
「貴様が、雨宮千夏か」
「そうだけど……あなたは?」
当然のことだが、雨宮千夏には異世界に知り合いなどいない。
どうしてこの少女は自分の名前を知っているのだろう、と疑問に思いながら問いかけると、少女はその血のように赤い釣り目をすっと細める。そしてその薄い胸を張って、尊大な口調で名乗りを上げた。
「我はシャルロット・ヴィンクス・レッドフォード。偉大なる魔法使いハルシオンの使い魔であり、ユイメリアの契約者でもある――吸血鬼だ」
ふふん、とキメ顔の少女に、雨宮千夏は一歩足を引く。得体の知れない迫力を感じたのと、吸血鬼という異形の存在への恐れ、そしてこれが虚言であった場合の「関わってはいけない人種ではないか」という反射的な警戒の表れである。
しかし、一つだけ頭に引っかかったものがあった。
ゆえにすぐに逃げ出すことはせず、疑問を口にする。
「……ユイメリア、って」
それは、雨宮千夏の姉――雨宮
「そうか、知っていたのだな」
少女――シャルロットと名乗った人物は頷くと、決定事項とばかりに言ってくる。
「なら話が早い。我は契約者たるユイメリアの願いにより、貴様の護衛をする」
「……お姉ちゃんの願い?」
怪訝な顔を作って首を捻ると、シャルロットは再び頷いた。
「そうだ。昨日、あやつから『妹を守ってほしい』と願われた。傷一つ付けるなだのちゃんと毎食食べられるようにしろだの、あれこれ面倒な注文までつけてきたが。ずいぶんと愛されているようだな」
「……まさか。お姉ちゃんがわたしを愛してくれているわけがないわ」
「まあ貴様がどう思おうと自由だがな」
そこに拘泥する気はないらしい。シャルロットは受け流すようにそう言った。
「……そもそも、なんでお姉ちゃんが出てくるのよ? あの人はもう――」
雨宮冬姫は二年前に死んでいる。死人が、何かを願うなどあり得ない。
そもそもここは異世界なのだ。まさか目の前の少女は自力で世界を渡ってきたとでもいうのだろうか……?
死んだはずの人間の願いを受け取ったという少女は、「何を言っているのやら」と言わんばかりの表情でこちらを見ていた。
「貴様自身が体験したことだろう? それが貴様の姉にも起きた。それだけの話だ」
その言葉で、理解する。
すなわち、
「お姉ちゃんも、この世界に転生した……ってこと?」
「三百年も前の話だがな」
「さんっ……はあ!?」
姉が死んだのは二年前だ。
日本とこちらの世界では時の流れが違う……という話なのかもしれないが、こんなにもズレてしまうものだろうか? 魔法やら異世界やらに詳しくない一般人な雨宮千夏には正しい理屈はわからない。
だが仮に、世界ごとの時間の流れが違うことを無視するとしても。
三百年という歳月はただの人間には乗り越えられない。
「時間の枷などいくらでも取っ払う方法はある。そしてあやつの傍には、この世で最も偉大な魔法使いがいるのだ。不老不死の丸薬でも時間跳躍の門でも片手間でやってのける」
「……、」
次元の違う話だった。それが本当に可能なのか、雨宮千夏には判別できない。
理解の追いつかないこちらを見て、シャルロットは話を戻す。
「まあ、事情は本人に聞け。――ともあれ、我は貴様が寿命で逝くまで、傍にいることになった」
こちらの意志は無視するものらしい。シャルロットの口ぶりは拒否を許さない。
一旦姉の謎については横に置き、目の前のことを考える。
感情のままに拒絶しても行動を改めてくれるとは思えない。雨宮千夏はわざとらしく溜息を吐いて、
「はあ……余計なヒトの分まで生活費が必要になるのは困るんだけど。ただでさえ、二人で十万スタートとかきっついのに」
「ふむ? 貴様は一人で転生したのではないのか」
「クラスメイトの……まあ、多少は知っているやつと一緒にいるわ。神様的にはセットの扱いなのか、用意してくれたのは一部屋だけだし通帳も共有状態だし、色々やりくりしなきゃいけないのよね……」
「なるほど、伴侶と一緒なのか」
「ち、違うわよっ!」
今の話でどうしてそうなるのか。
まさか何でもかんでも恋愛に繋げたがるお年頃でもあるまいし、などと考えながら、シャルロットの誤った認識を正すために事情を説明する。
「ただちょっと、面倒な『条件』をクリアするための……パートナー? みたいなものよ。神様からの扱いのせいで、ど、同棲……みたいな感じになってるけど、そういう恋愛感情みたいなものはないからっ!」
「なるほど伴侶だな」
「違うって言ってるでしょ!」
重ねて否定するが、シャルロットはおかしそうにクツクツと笑うだけだった。さてはこいつ、からかっているな……?
苛立ち混じりに睨み付けてやると、シャルロットはニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、
「恥ずかしがることでもあるまい。貴様の美貌であれば無駄に寄ってくる害虫も多いだろうが、騎士がいるのならば多少は我も楽になる。どれ、そいつのところまで案内しろ」
「騎士って……」
ちょっと恥ずかしくなる言い回しだ。白馬の王子様よりは幾分かマシ程度……いやどっちも恥ずかしいわ。
そんな思考を脇に置いて、雨宮千夏は根本的なところを指摘する。
「というか、そもそも護衛なんて必要なの?」
当然の話だが、雨宮千夏は日常生活でSPに身を守ってもらう必要があるようなVIPではない。
……いや、微妙に宗教団体の教祖のような扱いではあったし、雨宮千夏の周りから危険を排除しようという動きはあったが、それでも世間一般的には平凡な女子高生だったはずだ。
シャルロットは肩を竦めて、簡単に考えを口にする。
「さあ? 貴様がどれだけ動けるのか知らんが、外敵のいない平和な環境から来たのならこの世界は少々生きづらいかもしれんな」
「……、そう」
ここは異世界。文明レベルは現代並み(一部は近未来的)だが、日本にはいない危険な
いや、ただ街を歩くだけの人間の危険度も日本とは違う。ナイフや拳銃などといったわかりやすい武器を隠し持っていなくとも、魔法という超常の技術を扱える輩が暴徒となれば、
そう考えると、現地のことを知っている存在が護衛してくれるというのは、ありがたい状況なのかもしれない。
ただし、
「でも、一緒に生活するヒトが一人増えると、生活費が……」
お金の問題は別だ。
ただでさえ育ち盛り二人。計画的な財産の運用方法など知らない、親の庇護下にいた高校生だ。聞きかじりの知識と
頭の中で電卓を叩き、――そしてある考えに辿り着く。
十数センチの身長差のせいでやや見下ろす形になりながら、シャルロットへ問いかける。
「あんた、わたしの護衛をするってことは、強いのよね?」
「そうだな。この姿であれば、この世界で二番目に強い」
「一番が誰か知らないけど、それなら心強いわね」
それが見栄を張ったものでなければ良いが、一番と言わなかっただけ信憑性がある……と思いたい。
ともあれ、雨宮千夏は提案――聞こえ方によっては命令――を口にする。
「わたしたち、探索者としてお金を稼ぐつもりなの。あんたも手伝いなさい」
「探索者? ……ああ、
あっさりと頷いて、シャルロットはこちらに手を差し出してきた。
握手を求められているのだろう、と反射的に判断して、その手を握る。
と、何やら温かなものが流れ込んできた――ような気がした。
しかし直後に、体の奥底から何かを吸い取られるような感覚も味わう。
目を白黒させる雨宮千夏に、シャルロットはふっと笑って、
「これで契約完了だ。形としては対等、互いの目的のために協力する『同盟』が近いか。……まあ、こちらから何かを願うことはないがな。我の目的と優先契約者の願いに反しない限り、貴様の願いに手を貸そう」
「は、はあ。……えっと、とりあえず護衛してもらえるし、ダンジョンでの稼ぎも手伝ってくれる……っていう認識で良いかしら?」
「まあ、
鷹揚に頷いて、シャルロットは思い出したようにこう言った。
「ああ、そうだ。一つ訂正しておこう。――我は貴様ら人間ほど生きるのに金はかからんぞ」
「え?」
首を傾げる雨宮千夏の前で、金髪赤目の少女の姿がねじ曲がる。
目の錯覚か、あるいは立ちくらみでもしたか。
自身の不調を疑うが、事実は違う。
代わりに、直前まで少女が立っていた場所に、一匹の黒猫が佇んでいた。
黒猫が可愛らしく鳴き声を上げる。
「にゃん(我は魔力を潤沢に含んだ血液を吸えば、数十年は生きられる。貴様らのように食物を血肉に変える必要がないのでな)」
「なにこれ、頭の中に直接声が……!? え、え、もしかしてこれ猫ちゃんが喋ってるの……!?」
「にゃあ(契約により魔力パスが繋がれば、両者の間で思念のやりとりができる。……というか、そんなに驚くことか? 吸血鬼が猫になるのはわりと定番……と貴様の姉には言われたのだが)」
「吸血鬼で……猫ちゃん……? にゃんぱ……いやいやいきなりファンタジー過ぎるでしょ」
そんな定番は知らないが。
人間臭く首を捻る黒猫の姿に脳がバグりそうになって、雨宮千夏は頭を抱え込む。
「にゃん(基本的に我はこの姿で貴様の傍にいる。著しく戦闘力は落ちるがな)」
「え。なんでわざわざ弱くなる必要があるのよ」
そもそも護衛なのに弱体化してどうするのか。そう突っ込むと、黒猫のシャルロットはやや不機嫌そうに答えた。
「にゃあ(あのヒトの姿は、一部の人間に見られたら不味いからな。色々と誤解を生むだろうし――なによりやり過ぎると主がうるさい)」
何やらやむにやまれぬ事情とやらがあるようだが、雨宮千夏にはさっぱりわからなかった。
なのでそこを追求するよりも、自分にとってもっと重要なことを尋ねることにする。
「それって、どのくらい弱くなるのよ?」
「にゃにゃ(弱くなると言っても少なくとも貴様よりは強いし、大抵の敵は軽く払える。それこそ魔王領域が正常だった頃の
「そう」
とりあえずは問題ない、という認識で良いだろうか?
もとより世界最強の護衛がいなければ安心できないわけではないのだし。
……そもそも強さの数値化やランク分けなどという(現実的に考えて正確性に難があるが)わかりやすい指標でもなければ、ド素人な雨宮千夏にはこの手の話が理解不能である。誰か食物連鎖のピラミッドみたいな表を作って説明してほしい。
「ま、良いわ。わたしたちは知識も技術も全くないから、現地の戦力がついてくれるのは心強いし」
ひとまず納得を示して、話を進める。
「でも、一つだけ訊かせて。――あんたは、誰の味方なの?」
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