第40話「ノットイコール」



 家に帰る途中も、夕食を取るときも、お風呂やその他諸々の作業をする際も、いつもより静かだった。


 理由は単純。

 ――ゆうが何かをずっと考えていて、口を開かないから。


 夜。

 その原因を作ったあまみやなつは、寝る準備を終えて布団の上でゴロゴロしながら携帯端末を弄っていた。


「ありゃ、めっちゃDM来てるじゃん」


 と言っても「普段と比較して」という注釈が付く程度の量だが。


 確認していたのはHeyTubeヘイチューブと紐付けている『あまみゃんチャンネル』のSNSだ。公式SNSと言うと何だかカッコイイ。底辺だから認証マークなんてものは付いていないし、申請もしていないけれど。


 今日の生配信で、『あまみゃんチャンネル』は視聴者の期待を大きく裏切った。女性配信者がメインなのに、男性を画面に登場させた。しかも「その男性とはずっと一緒に動画を作ってきたんですぅ」なんて暴露まで添えて。


 カメラの前で悠斗の腕を抱き締めたのは、わざとだ。

 

 それが誰に対してのものなのか、わざわざ明言するまでもない。


「これから、どうするつもりなんだ?」


 頭上から降ってきた問いに、雨宮千夏は端末の画面から視線を上げる。


 ミーシャからも遠回しにされた問い。


 夕食の前に一度ミーシャから電話があった。配信を見て時折コメントで助けも出してくれていたアドバイザーの少女は、純粋にチャンネルの今後を心配してくれていた。その時は「とりあえず悠斗と相談して決める」と答えた。


「悠斗との相談次第ね」


 美織にも同じように返すと、溜息が一つ。


「……わかっててやったんだよな?」

「チャンネルが燃えること?」

「それもあるが……。かりとの関係がギクシャクすることだ」

「ああ、そっちね」


 軽い調子で言うと、美織は表情を険しくした。


「楽しくやりたいだけなら、あんな強引なやり方をしなくても良かっただろ。カップルチャンネルやりたいって言えば刈谷も受け入れたと思うぞ。あいつはお前の信者なんだし」

「別にカップルチャンネルがやりたかったわけじゃないわよ」


 一応訂正する。カップルチャンネルみたいにイチャイチャしてるところを撮りたいわけじゃない。そもそも付き合っているわけではないのだし。


「まあ確かに言えばやってくれたかもしれないけど……。それじゃあ、意味がないから」

「……、」

「あいつと一緒に暮らして、あいつと同じ目標に向かって活動して、あいつに可愛いって言われて……そんな生活が心地良いのは、まあ事実よ。でも、いつまでもなあなあでいたいわけじゃない。――あいつの中でお姉ちゃんに負けたままなのは、嫌」


 だから、はっきりさせるのだ。

 全てを打ち壊すような衝撃でもって、相手の心を掻き乱しながら。

 雨宮千夏が一番だと、心の底から言ってもらうために。



「……やっぱりお前、刈谷のこと好きなんだな」



 ぽつりと呟く美織に、ぎょっと目を剥いて、


「はあ!? なんでそうなるのよっ!」

「だってそうだろ?『前のカノジョよりも好きって言ってもらいたい』――お前が言ってるのは、そういうことなんじゃないのか?」

「ちがっ――」


 別に悠斗に好意を抱いているから、可愛いと言ってほしいわけではない。


 雨宮千夏は、雨宮ふゆよりも可愛くなければいけないから。

 姉を知っている悠斗ならちょうど良かったから。


 だから、好きだとか――恋だとか愛だとか、そんなものは関係ない。


 けれど。

 そんな気持ちが一欠片も混じっていないと――本当に言い切れるだろうか?


「っ!!」


 悠斗に可愛いと言われるのは、嬉しい。胸の奥がぽかぽかする。


 でもそれは、雨宮千夏が雨宮千夏でいるために必要なことだから――。


 だというのに。


 いざ「誰よりもかわいい」と言われて、それが本心からのものだと感じられて。

 その時、雨宮千夏の心に浮かんだ感情は何だった?


「……、美織って恋愛脳だったのね。少女漫画がバイブルなのかしら?」

「どっちかって言うと少年漫画の方が好きだな。ラブコメもコメディ強めの方が好みだし」

「あっそう」


 誤魔化しに乗ってくれたのでありがたく流してしまう。果たしてこれでうやむやにできたのかは疑問が残るが、このまま追求されるよりはマシだ。……いや、追求されて困るようなものはないはずだけれど。


 と。


 部屋のドアが少し開き、するりと黒猫が入ってきた。悠斗の使い魔のシャル。後ろに契約者の姿はない。あの少年に聞かれてなくて良かったと安堵したのは、どの感情から来たものだろうか。


 黒猫は雨宮千夏の寝転がる布団の上に体を乗せると、うつ伏せの状態で全身を伸ばしてリラックスするような体勢を取る。本物の猫よりも、子供がベッドの上に飛び込むような姿に近い。


「シャルちゃん、悠斗は良いの?」

「にゃあ(あやつも一人で考えたいことがあるだろう。誰かが傍にいるというだけで雑念が混じるやもしれん。しばらくは放置だな)」

「アニマルセラピーが必要じゃない?」

「にゃんっ(貴様、我をナチュラルにペット扱いするのはやめてもらおうかッ!?)」


 使い魔の思念は契約者にしか届かない。


 シャルは魔法を使えるので契約がなくとも会話をする方法はいくらでもあるが、今回はその他の技術に頼ったものではない。


 

 それだけの話。


「にゃ(で)」


 シャルは一呼吸置いて、その赤い猫目を細めながら、


「にゃあ(貴様の狙ったとおりになりそうか?)」

「どうかしら」


 順調とは断言できないが、今のところ失敗とも言えない。


 そもそも雨宮千夏に策謀など向いていない。切っ掛けは作れるし、その結果どう動くのかある程度の予想は立てられるが、最初から最後まで流れの全てを掌の上で転がすような天才軍師にはなれない。


 だから、見据える目標だけを口にする。


「悠斗には、未来を諦めてもらう。『今』を見てもらうために――過去でもなく、『今』しか見られないようにするために」


 そのために、生配信を滅茶苦茶にした。

 もう『あまみゃんチャンネル』ではまともに『条件』達成を目指すことができないと印象づけた。


「……はあ」


 と、頭の上から溜息が降ってくる。

 こちらを見下ろす美織の目は、どうしてか強い熱を孕んでいた。


「お前が何を企んでいるのかは知らない」

「……、」

「そんで、お前がすでに神が付けたクソ理不尽な『条件』をクリアするのを諦めてるってのも聞いた。――でもあたしは、お前らが死ぬのなんて求めてねえよ」


 それは当たり前の感情から来るものだったのかもしれない。


 ぐも美織は雨宮千夏を嫌いだと言った。それでも学校ではトモダチをやっていたのだ。全ての感情が嫌悪で埋め尽くされているわけではない。


 知り合いが死ぬのは嫌だ。

 たったそれだけの理由でも、諦められないと言うように。


「だから勝手に足掻かせてもらう。――だってあたしは、お前の信者だからな」


 その宣言に。

 雨宮千夏は、逃げるように顔を伏せるしかなかった。


「……どうでもいい。目的さえ達成できれば、命なんて……どうでもいいわ」


 呟きに答える声はなかった。


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