第39話「大切な人」



「一年以内に登録者百万人なんて、本当に達成できると思ってる?」



 最初に天使から『来年からも無事に生きるための条件』を聞いた時、ゆうはこう思った。


 ――いや、無理。


 ……当然と言えば当然か。


 世界人口の違いだとか、どれだけの人間が動画共有サイトを利用しているのかとか、日本ではなく異世界であることの問題もあるが、一旦それらを無視して前世の感覚のままに語るなら――一般視聴者としては「無理・無茶・無謀」以外のなにものでもない。


 それでも諦めなかったのは、達成できなければ死ぬと言われたからか。

 あるいは、


「……お前だったらいけると思うぞ」


 共に『条件』達成に臨むパートナーならば、いけると思えたからか。


「男の影を見せなければ、だが」


 すでに崩されてしまった前提条件を吐き捨てるように付け足す。

 悠斗は恨みがましくあまみやを睨み付けるが、彼女はこたえることなく真正面から視線を受け止めた。


「無理よ」


 果たして雨宮は簡潔に言って、続ける。


「そういうマイナス要素を避け続けても、無理。――ミーシャちゃんと実際に会って思った。スター性っていうのかしら。わたしにはないものを持ってる。わたしはトークが上手なわけじゃないし、戦闘なんて本当に駄目。あっと驚かせるような行動なんてできないし、リアクションだって平凡だもの」

「……お前にもある。誰もがお前に目を奪われるほどの魅力が」

「ないわよ。容姿だけで生きられるほど楽な世界じゃないことくらい、わたしにもわかっているわ」


 誰よりもその容姿で人目を奪ってきた少女は、吐き捨てるようにそう言った。


 それから雨宮は眉を八の字に曲げると、ぽつりと言葉を零す。


「ねえ、悠斗。わたしたち、来年の四月になる前に死んじゃうのよ? ……なら、最後のときまで、楽しいことをしていようよ」


 どこか泣き出しそうな表情で語る雨宮。

 悠斗の口は凍り付いたように動かない。


「配信でも言ったけど、わたし、悠斗と一緒に動画を撮るのが楽しい。……でも、悠斗がずっと裏方なのは、ちょっと寂しいわ」

「……、」

「最初のころ……練習で一緒にカメラの前に立っていた時は、とても楽しかった。顔も見えない相手を楽しませるために頑張るのは大変で、嫌なことを言われるのはすっごく辛いけど……でも、もし悠斗が一緒に動画に出てくれるのなら、耐えられる。二人で画面に映って色んなことができたらもっと楽しくなるって、思ったの」

「……楽しいだなんて、考えてる場合かよ」


 唸るように。

 いつになく低い声で、悠斗は言葉を吐き出す。


「遊びじゃないんだぞ。俺たちには『条件』が課せられているんだから」

「わかってるわよ」

「本当にわかってんのかよ? 達成できなければ、最悪死ぬんだぞッ!?」

「そうね」


 なんでもないかのように肯定して。

 それから雨宮はこてんと首を横に倒し、言った。



「でも、悠斗。――あんた、別に来年も生きていたいわけじゃないでしょ?」



 時間が凍り付く。

 世界の全てが止まってしまったかのように錯覚する。


 硬直する脳を外から無理矢理鋭利なナイフで刺しほぐすように、雨宮は言葉を重ねた。


「日本にいたときから、あんたは惰性で生きてた。『来るはずもない人を待ち続けるため』だなんて、悲劇のヒーローでも気取って自分を慰めていた。……惨めね。生きる意味も見出せず、まるで人生に楽しいことなんてないって顔――馬鹿みたい」


 哀れむように。

 けれども、憎い相手を睨むような形相で。


「いい加減、引きずるのやめなさいよ。昔の失恋なんて。もう相手がいないんだから、そんな恋は忘れて、前を向いたらどう?」

「――は?」


「お姉ちゃんは――雨宮ふゆは、あんたが待ち続けたユイメリアはもういないのよ」


 断定して。

 真実を告げる少女は、悲しげに微笑んだ。


「ここが異世界だから、なんて話じゃないわよ。お姉ちゃんは二年前に死んだの。だから日本に戻ったところで会えないわ。絶対に」

「――、」


 最近会えていなかった友人が、実は亡くなっていた。

 そんな話を友人の肉親から聞かされて、果たしてどんな反応をするのが正しいのだろう。


 胸の中を支配するのは、哀惜の念と喪失感。


 そして――「ああ、やっぱり」という、納得。


「……だと、しても」


 乾燥して痛みすら感じそうな喉を鳴らして。

 まるで血を吐くように、悠斗は声を絞り出す。


「ユイが……あいつが死んでいたとして、俺が生きるのを諦めるのは、違うだろ。そもそも失恋したわけじゃない」

「そんな死にそうな顔で言われても説得力ないわね。……やっぱりお姉ちゃんがそんなに大事なんだ」

「そりゃあ……」


 大事かと問われれば、もちろん大事だと答えるだろう。


 友人だ。

 大切な、親友だったのだ。


 ネット上で知り合い、なぜか意気投合し、リアルで会って想像と違う性別・年齢だと判明しても付き合いを続けた、相棒のような存在だった。ただの趣味が合う友達、ではない。同じ世界を生き、同じ冒険をし、同じ敵に立ち向かい――同じものから逃げてきた、仲間。


 決して、恋慕の情を抱くような相手ではなかった。

 少なくとも、当時の悠斗は、恋をしていたわけではない――はず。


 だから、雨宮の推測は誤りだ。

 ただの妄言だ。

 ――その、はずなのに。


 悠斗の口は否定の言葉を紡げない。「馬鹿なこと言ってんじゃねえ」と笑い飛ばしたいのにできない。


 銅像のように硬直して、ただただ雨宮を見つめ返すだけ。


「……そろそろ帰りましょ。こんな場所に長居する意味もないし」


 くるりと身を翻し、歩き出す雨宮。提案したとおり、その足先は出口の方へ向かっている。


 最初にそれに続いたのはおりだった。彼女は一つ大きく息を吐いてから、「あたしにはよくわからんが、ダンジョンで続ける話でもないわな」と言って、雨宮の背を追いかける。


 悠斗は動けなかった。


 立ち尽くす契約者に、シャルが思念を送ってくる。


「にゃあ(。最新は元ダンジョンマスターの小娘で、その前が貴様だ。この場合、契約の形はあまり関係ない)」


 どうして今そのことを言うのか、悠斗には理解できなかった。

 無言で視線だけ向ける悠斗に、シャルは小さく鼻を鳴らして、


「にゃん(ダブルブッキングした場合の話だ。今回は貴様ではなく、別の願いが優先された。だから貴様の願うとおりに動くことはなかった)」

「…………誰が、願ったんだ」

「にゃ(わかりきったことだろう)」


 呆れたように鳴いて、答えを述べずにシャルは少女たちを追って歩き出す。

 悠斗が足を動かしたのは、それから五分後のことだった。


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