第38話「ふたりでひとつの」



 衝撃で撮影用の携帯端末を落とさなかったことは、我ながらしっかりしていたというか、あるいはプロ根性でも芽生えたのか。


 ……いや、いっそのこと落とした拍子に端末が壊れ、配信が強制的に終了してくれた方が良かったかもしれない。


「お前、何を――」


 咄嗟に言いかけ、この声量では配信に乗ってしまうと気づき口を閉じる。


 すでに致命的な状況に陥っている気がするが、それでもどうにか誤魔化すことはできないか――。


 そんなことを考える悠斗に、しかしあまみやは追い打ちをかけるように言葉を放つ。


「あ、さすがに本名は不味いわね。なら配信者としての名前は――、で良い?」

「ッッッ!?」


 今度こそ、思考が吹き飛んだ。


 ――なぜ雨宮が、悠斗が日本にいたころにネットで使っていた名前を知っているのか?


 真っ白になった頭の中で最初に浮かんだ疑問は、しかし昨夜の会話でほぼ確信した事実がそれらしい答えを出す。悠斗のネット上の友人であり雨宮なつの姉である雨宮冬姫ユイメリアによって知る機会があった。そういうことだろう。


 だから、悠斗がネットで使っていた名前を雨宮が知っているのは良い。


 しかし――どうして雨宮千夏は、悠斗を配信に登場させようとする?


『あまみゃんチャンネル』は雨宮がメインのチャンネルだ。他に登場するのは、使い魔の黒猫シャルと敵対モンスターだけ。悠斗の存在は――カメラマンがいるということ自体は視聴者が理解していたとしても――知られてはいけなかった。


 だというのに。


 雨宮はさらに一歩近づいて、伸ばした手で悠斗の端末を取った。不意を突かれた、と言えばいいのか。意識の隙間を突いて、雨宮は悠斗から撮影用の携帯端末を取り上げてしまう。


「これは、みお――……えっと、あんたが持って」

「――っておい、お前……!」


 雨宮は呆然とこちらを眺めていたおりに端末を渡す。美織はぎょっとして突き返そうとするが、雨宮はいたずらっぽく微笑んで、


「いつかはあんたにも出てもらうから、その時までに良い感じの名前を考えておいて。あ、にほ――……前に使ってた名前をそのまま使うのがいいかしら?」

「っ、だから別にあたしはなまぬしをやってたわけじゃねえって!」


 雨宮は美織の訂正を完全にスルー。美織は叫んでから、自分の声が配信に乗ってしまった事実に気付いて、頭痛を抑えるように空いている手を額に当てた。


「ほら、ゆう……じゃなくてヤト。こっちに来なさいよ」

「何を考えているんだお前は……ッ!?」


 思わず頭を抱えて絶叫したい衝動を抑え、美織に視線を送る。気付け、伝われと意志を籠める。すなわち「俺を撮すな」と。


 しかし悠斗の考えを読んでいたのか、雨宮はひょこっとステップを踏んで悠斗の隣に立つと、流れるように悠斗の腕を取り、逃がさないように両手で抱き締めた。


 突発的にカメラマンを任された美織は、雨宮を撮すことだけに集中していたようで、対象の動きを素直に追ってしまった。


「あ」


 とカメラが完全にこっちを向いてから、美織が間抜けな声を出した。やらかしたことに気付いたらしい。最後の砦を完全に崩した美織は、斜め上に視線を逃がした後、ペロッと舌を出す。


「てへぺろ☆」


 こいつ後でぶっ殺す……!!


 無駄に悠斗のヘイトを稼いだ美織は、あろうことかこんなことを言ってきた。


「諦めようぜ信者一号。我らが女王サマの意志を最大限尊重するのが、あたしたちの教室クラスのルールだったんだし」

「くたばれ信者二号……ッ!」


 呪詛を吐いて、衝動的に中指でも立てたいところだったが――カメラに向かってそんなことをするわけにはいかない。


 ……いや、もう色々と手遅れだから何をやっても良いのでは?


 そんなやけっぱちな思考がぎるが、すんでのところで留まる。


 混乱をもたらした原因である雨宮は、えらく楽しげな調子でこんなことを言い出した。


「これからはヤトが戦います。我が従者よ、やっておしまい! 的な感じね」

「はあ!?」


 繰り返すが。

『あまみゃんチャンネル』は雨宮がメインのチャンネルなのだ。


 なのに悠斗が戦闘パートを担うなど、視聴者激減なんてレベルではない。現在獲得しているチャンネル登録者は全員いなくなるか、あるいはアンチに反転してしまう。


 最悪だ。


 だけれど、どうにかして軌道修正しなければ。


 未来がかかっているのだ。来年以降も生きていられるように。神が課した『条件』を達成するために、こんなところで躓くわけにはいかない。


 何か、手段を、どうすれば、どうやって、でも、こんな――。


「そもそもシャルちゃんだって悠斗ヤトの使い魔なんだし、これが正しい形なんじゃない? わたしも一人でやるのはキツかったし……というかあんまり面白くできないみたいだし」


 にゃあ、といつの間にか足下にいたシャルが鳴いた。


 黒猫は気楽な調子だった。雨宮の行動にも驚いていない。基本的に悠斗たちの配信活動に興味がないからだろうか。


 雨宮が、悠斗の腕をぎゅっと抱き締める。


「でも、あんたと一緒なら楽しくできる」


 ふわり、と。柔らかな笑みがあった。

 この世の誰よりも可憐な容姿を持つ少女の微笑み。天使の笑顔、女神の微笑。そんな表現ですら足りないと思わせるほどの衝撃。


 それは、見るもの全ての脳をおかし、思考を鈍らせ、あるいは感情をねじ曲げてしまうだろう――。


「わたし、あんたと動画を撮るのが楽しい。ううん、撮るのだけじゃない。一緒に企画を練って、SNSの方針を相談して、宣伝の仕方を工夫して、考えて、ダンジョンに潜って、戦って……。そういうの全部が、楽しいの」


 雨宮は語る。


「だから」


 心の底から溢れる感情のままに、吐き出してしまう。



「これからは、わたしと一緒に動画に出ましょう?『あまみゃんチャンネル』は、わたしとあんた、二人で始めた――二人のものなんだから」



 それは紛れもない本心からの提案で、

 しかし今後の活動方針を百八十度変えてしまう告発であり、


 あるいは――どうしてか、愛の告白のようでもあった。


「……、」


 口が動かない。

 頭の中はぐちゃぐちゃで、それでもどうにかしなければと無理矢理に思考を巡らせ続ける。


 答えは出ない。

 どうすれば、どんな魔法の呪文を口にすれば、現状をなかったことにできるだろうか?


 取り返しの付かない現実に、全身から熱が引いていく。


「にゃ(今はここまでだな)」


 混沌とする思考を引き裂くように、猫の鳴き声があった。


「にゃん(小娘――我が最新の下僕よ、配信を切れ)」

「え、ここでか……?」

「にゃあ(。成果としては充分だ。だろう?)」


 シャルの猫目は雨宮を見ていた。

 黒猫の声は、契約者である悠斗と美織にしか聞こえない。だから雨宮はそれに対して反応しない。


 代わりに雨宮千夏は、カメラに目を向ける。


「これからのことはこいつと相談して決めていくから、方針が決まったらSNSで発表するわ。それじゃ、今日はこのへんで。またねーっ!」


 いつもの動画の締め台詞を言って、雨宮は配信を終わらせた。

 美織が慣れた様子で携帯端末を弄る。配信終了の操作をしたのだろう。


 弁明する間もなかった。

 ……そもそもどんなことを言えば現状を解決できるかなど、悠斗にはわからないが。


 できるだけ早く、あれは冗談だと知らせなければいけない。

 いや、そんなことで誤魔化せないことはわかっている。それでも何か、「これは間違いだ」と伝える行動を取らなければ――。


「……正直、今SNSにどんな投稿をしても無意味だと思うぞ」


 投げやり気味に美織が諭す。

 悠斗は盛大に顔をしかめながら、


「無駄なんてことはないだろ……なんでも良い、訂正しないと……」

「駄目よ、悠斗」


 ぐいっ、と。抱いたままだった悠斗の腕を引っ張る雨宮。

 悠斗は反射的に顔を向け、そして抑えきれない激情のままに声を荒げる。


「雨宮、お前――なんでこんなことをしたんだよッ!!」


 衝動的に腕を振り払う。雨宮はよろめき、尻餅をついてしまう。


 特に力を込めて押したわけではないが、悠斗の身体能力がシャルとの契約で強化されていたせいか。あるいは悠斗が暴力に訴えると考えておらず、雨宮が油断していたのか。普段だったらすぐに謝って手を差し伸べただろうが、今の悠斗にはそんな余裕はなかった。


 幸いにも怪我はなかったようで、雨宮はすぐに立ち上がる。スカートの後ろをいくらか手で払ってから、悠斗にまっすぐ視線を向けた。


「ミーシャちゃんから言われたでしょ? 早めに悠斗も出した方が良いって」

「確かに言われたが、そうするって決めたわけじゃないだろ。それもこんな、生配信で唐突にバラすとか……炎上は避けられないぞ」

「炎上するほど登録者いないでしょ」

「そういう問題じゃないだろ!」


 声を張り上げる悠斗。雨宮の琥珀色の目は一瞬たりとも逸らすことなく、こちらの目を見つめ続ける。


「ねえ、悠斗」


 囁きかけるように名前を呼んで。

 そして、ついに言ったのだ。



「一年以内に登録者百万人なんて、本当に達成できると思ってる?」


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