第37話「誰よりも××××」



 配信全体としてはそれなりに成功していたと言ってもいいだろう。


 あまみやが不安がっていたトークは、さすが教室クラス全体の頂点に立っていた女王様と言うべきか、ところどころ(コンプライアンス的に)怪しいことを言いそうになったこともあったが、ゆうおり、ミーシャがコメントでサポートしたこともあり、充分にできていたと思う。


 戦闘関連はアレだが、まあいつものことなので置いておく。ポンコツはポンコツで需要はあるので。……限度はあるが。


 しかし――。


 経過時間、一時間二十六分。

 同時接続者数十五人。


 それは、三度目の戦闘を終えたときに出てきた。



【この人なんでこんなに弱いのにダンジョン配信なんてやってるの?】



 コメント欄にそれが現れた瞬間、悠斗は反射的にアカウント名を確認する。


 見覚えのない名前。これまでコメントしたことのある人ではない。


「っ」


 雨宮の動きが止まった。

 唇をわずかに開いて、しかし音のない息を浅く吐き出すだけ。


【危なっかしすぎて怖いわ。初心者ダンジョンにでもしといた方がいいんじゃね? つまんないだろうけど】


 それはむしろ、善意からの忠言だったのかもしれない。


 ――弱くて危なすぎるから、身の丈に合ったもっと簡単なダンジョンに行け。


「……テメェの趣味に合わないなら無言で離脱ブラバしろよ」


 美織の言葉もまた正しい。だがそれをそっくりそのままぶつけるのは、雨宮のスタイル的に難しい。彼女は毒舌系で売っているわけではないのだから。


 どうする。

 高速で頭を回して、悠斗はインカム越しに雨宮に囁く。


「スルーで良い。反応しないのが一番だ」


 対応としては、やはりこれも正しい……はずだ。

 だが、見てしまった――雨宮がコメントを認識してしまった事実は変わらない。動いた感情は嘘にできない。


【クソ危ないことして楽しいの? こういう馬鹿な奴がダンジョンで死ぬから探索者全体が迷惑するんだよな】


「無視しろ」


 コメントがあって、悠斗が指示して。

 雨宮は曖昧に笑った。

 悠斗が言った通りにコメントには言及せず、無関係な雑談を始める。


 配信に乗らないよう美織が小声で囁いた。


「NG機能ってあるか? ブロックでもミュートでも良いが。空気を悪くするゴミはとっとと消した方が良いぞ」


 悠斗は顔をしかめて、


「安易に消すと荒れないか?」

「配信者が言及してから消すと荒れやすいが、スルーできたのならそうでもない」


「……アレがマジの善意なら、その人に悪いと思うんだが」

「アホかお前。配信者が気分を悪くするならとっとと消すべきだ。視聴者にとっても、応援している配信者を貶すコメントなんて不快なだけだからな。視聴者同士で喧嘩されてもウゼえし。――配信者の寿命は、どれだけ上手く早く自己防衛できるかにかかってると言っても過言じゃないぜ」


 美織の助言に従い、ミュート機能(特定のアカウントのコメントを、配信者や他の視聴者に見えなくするもの。アンチや迷惑ユーザーの対処に使われる)を使用する。


 これで一安心――とは、いかないだろう。


 そこからの配信は、どこか暗い雰囲気が纏わり付いていた。

 雨宮は変わらないように見せようと繕っていたが、空元気であることが悠斗にははっきりとわかってしまった。


「……早めに切り上げるか?」


 美織の提案に、悠斗は思考する。


 もともとこの初配信は二時間の予定だった。一般的なダンジョン配信の平均よりも短いが、初めてであることを考慮してこの時間設定にしていた。雨宮は明らかに精彩を欠いており、次に批判的なコメントが来たら心に致命的なダメージを受けるかもしれない。ここらで終わらせた方が良さそうだ。


 ……配信者としてこれからもやっていくなら、この程度でくじけていてはいけないのだろう。

 しかし、最初からどんな言葉でも受け止められるような心の強度を、全ての人間が持っているわけではない。


 アンチコメ耐性。素早く適切な対処。身につけていくべきものを頭の中にメモしてから、悠斗は雨宮に「そろそろ終わろう」と言おうとして――。



【戦闘がゴミなせいで冷めるわ。初級の探索なんて新鮮味もなくてつまんねえんだから、せめてクソコメに対して鋭い返しでもしてみたら? もしくはパンツ脱ぐか】



「――、」


 さっきのコメントをしたアカウントはミュートしている。これは別のアカウントのものだ。


「どこの世界もネットはゴミばっかだな」


 吐き捨てる美織の声に動かされ、悠斗が先のコメントをしたアカウントをミュートにしようとして――雨宮の顔に視線が吸い寄せられた。


 泣きそうな表情だった。

 目と目が合う。

 雨宮の琥珀の瞳が、悠斗を縋るように見つめている。



『ねえ、もしわたしが頭の中真っ白になって何も言えなくなっちゃったら……ちゃんと励ましてね』



 昨夜の彼女の声が脳裏に蘇る。



『――「誰よりも可愛い」って言って。悠斗が知っているどんな人よりも、わたしのことを可愛いって言って。そうしたら、頑張れると思うから』



 それで雨宮が耐えられるようになるのかはわからない。

 でも、少しでも心が楽になるのなら――。



『……ちゃんと心も込めてね?』



 ――かり悠斗は、雨宮なつよりも容姿の優れた人間を知らない。


 ネトゲのフレンドのせいで「顔より中身が大事」に目覚めた人間としては見た目だけを評価するのはどうしても間違っている気分になるが、それでも素直に視覚情報だけで判断するなら、彼女がこの世で最も可憐な美少女であると断言できる。


「雨宮」


 だからこれは、紛れもなく本心だ。


「可愛い。お前が世界で一番――あらゆる異世界を巡っても、お前が一番可愛い。俺の知る誰よりも、お前の方が可愛い」


 ああなんて恥ずかしい台詞なんだ。自ら考えてインカム越しに囁きかけておきながら、もっとマシなものはなかったのかと問い質したくなる。


 羞恥で思わず顔を背けたくなるが――しかし、この時ばかりは目を逸らすわけにはいかなかった。


「――、」


 果たして。

 雨宮はその両目を見開いて、小さく何事かを呟いた。


 何を言ったのか、悠斗は聞き取れなかった。恐らく撮影用の携帯端末にも拾えていないはず。


 そして。少しの間、雨宮は俯いた。


 心配するようなコメントがいくつか流れる。

 それらに反応したのか、あるいは別の理由からか、ややあって雨宮は顔を上げた。


「っ」


 雨宮千夏は、笑っていた。


 拭いきれない影を落として。

 それでも、何かを決心したような、意志を感じる微笑み。


 その艶やかな唇が開く。



 雨宮はそっと足を踏み出した。

 ゆっくりとこちらに歩いてくる。


「だから」


 カメラに近づくことが目的――ではなかった。



「そろそろ画面に映ろっか、悠斗」



 まるで遊びに誘うような気軽さで手を差し伸べてくる雨宮に、悠斗は頭の中が真っ白になった。


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