第36話「本番開始」



 ついに生配信の当日となった。


 現在時刻は十三時五十分。生放送開始の十分前。

 SNSでの開始直前の告知は済ませてある。


 初心者ダンジョン『小さな黒の森』の入り口から少し離れた地点で、ゆうは心を落ち着けるために深呼吸をする。


「ぁ――ふ」


 と、あくびが零れそうになって、咄嗟に噛み殺した。


 ……実は昨夜のあまみやとの会話のせいでやや寝不足なのだが、悠斗は「絶対成功させる」という情熱によって誤魔化している。幸い雨宮やおりに睡眠不足を咎められることはなかった。


 そうこうしていたらなんとなく気になることができて、携帯端末でアプリの設定欄を開く。もう何十回と眺めて覚えてしまった数値に変わりがないことを確認し、ほっと一息。


「何回やってんだよ、それ」


 呆れを多分に含んだ声がかかり、悠斗は画面から視線を上げる。

 美織が片手を腰に当てて、わざとらしくやれやれと首を振っていた。


「いや……でもなんか、気になるだろ?」

「チェックなんて二回やれば良いだろ。今更弄っても変になるだけだ」

「それは……わかってるけど」


 言われなくとも理解しているが、感情は別だ。気になるものはどうしても気になってしまう。


 とはいえ下手に数値を変えて本番に不都合が出てもいけないので、大人しく設定画面を閉じる。それから予行練習で何度も行った手順で指を動かし、あと一タップで配信を開始できるところまで進める。


「何の慰めにもならないチェックは良いから、主演女優に声をかけてやれよ」


 美織が顎で示した先には、相変わらずの輝くような美貌を持った少女――雨宮なつ。彼女はキョロキョロと周囲を見回したり、腰に差した剣を抜き差ししてみたりと、落ち着かない様子だ。間違いなく緊張している。


「そうだな……」


 頷いて、悠斗は左耳に付けたインカムから伸びるマイクに向かって囁く。


「落ち着け、雨宮」


 ビクッ、と。雨宮が体を跳ねさせた。それから右耳に付けた骨伝導イヤホンに指を這わせて、こちらに顔を向けてくる。


 このインカムは、生配信中に何かあって雨宮が困ったときに、悠斗が指示を出して解決するために用意したものだ。配信のコメントである程度は誘導するが、緊急時などには積極的にこちらを使う予定である。


「大丈夫だ。いつもの調子で話せば問題ない。お前じゃ対処できないモンスターが出てもシャルがなんとかしてくれるし、いざとなったら美織を助けに行かせる。言葉に詰まったら俺の目を見て合図でもしろ。適当にコメントでもインカムで指示を出すでもしてやるから」


 悠斗の言葉が終わっても、雨宮は数秒間じっとこちらを見つめたままだった。

 だが、悠斗が目を逸らさず見つめ返していると、やがて雨宮はゆっくりと頷いた。


「……もし、本当にどうしようもないことになっても、配信を中断すれば良い。最後までやりきるのが最善だが、無理をする必要はないからな。最初の配信に失敗しても、それで全てが終わるわけじゃないんだ」

「逃げ道なんか用意して良いのかよ」


 器用に眉を片方上げて訊いてくる美織に対し、悠斗は言葉で返さず、肩を竦めるだけに留めた。


「ともかく。成功させられれば良いが、無理して爆発でもすると今後に響く。……失言祭の大失敗よりはぶつ切りの方がまだマシだろ」

「うん」


 雨宮は頷いて、それから半眼を作った。


「……というか普通に話して聞こえる距離なのに、なんでわざわざマイク通すのよ」

「マイクがきちんと動作するかのチェックも兼ねたんだよ」

「心配性ね」

「うるせえ。気になるんだから仕方ないだろ」


 若干投げやりになっていると、雨宮はこんなことを言ってきた。


「……とりあえず、あんたはASMRに向いてないわよ。他の人が聞いたら嫌悪感のあまり鼓膜を掻き毟りたくなるだろうからやめときなさい」

「やらねえけど凄え言いようだな。悪かったな不快な声で。でも今日くらいは我慢してくれ、さすがに声で指示が出せないのは不安すぎる」

「別に、我慢するほどじゃないけど」


 軽く鼻を鳴らして、雨宮は顔を背けてしまった。


   ◆ ◆ ◆


「はい、こんみゃー! ダンジョン配信者の『あまみゃん』です! 今日は初めての生配信でーす! 色々到らないところはあるかもだけど、頑張ります! みんなも楽しんでいってね!」


 そうして『あまみゃんチャンネル』の初生配信は始まった。


 配信に待機してくれていた視聴者が何人かいたようで、同時接続者数は――七。


 その中には悠斗と美織、そしてミーシャの個人アカウントが含まれているので、実質的な視聴者は四人ということになる。


『あまみゃんチャンネル』の登録者は現在十三人(うち二人は美織とミーシャの個人アカウントなので、実質的には十一人。悠斗は『条件』を設定した神々が駄目と判断したら不味いので登録していない)なので、約四割も来てくれたのはありがたい。割合で考えたら多い方だろう――全体人数が少ないので他と比較するのには適さないが。


 とはいえ、今はゼロ人スタートでないことを喜ぶべきか。


 悠斗はSNSで配信ページのURLを貼り付けた「生配信始めました」ツイートを投稿しつつ、事前の段取り通りに喋る雨宮を携帯端末のカメラで撮す。


「今日来ているのは『小さな黒の森』ってダンジョンよ。今までの初心者ダンジョンよりも少し難しい、初級レベル? らしいのよね」


 今まで投稿した動画に、ここ『小さな黒の森』で撮ったものはない。というか『リューレン地下洞窟』以外での撮影自体が初めてだ。

 本当は「『リューレン地下洞窟』をクリアしたから別のところに行く」という流れでやりたかったのだが、前回撮ったRTA動画が没になったせいでそれはできない。


 なので代わりに、こう説明することになった。


「『リューレン地下洞窟』は、緊急調査? だかなんだかで封鎖されているから、入れないのよ。だから、今日はこのダンジョンに来ました」


【こんにちは】

【わこつ】

【こんみゃー、あまみゃんちゃん!】


 という挨拶のコメント(後ろ二つは美織とミーシャのもの)に続き、


【あまみゃんの実力じゃ不安すぎないか……?】


 というコメントが投稿された。


 これは、悠斗の個人アカウントで投稿したコメントだ。……ちなみに、これをするためだけに安い携帯端末を二台(美織の分も必要だったため)新しく購入している。雨宮が悠斗に「いつもの二倍稼がないと夕食の品数が減る」と脅したのはこれのせいでもあった。


 雨宮は、ミーシャにお勧めされた「配信のコメント欄を視界に表示してくれる」という謎技術(魔法?)の道具を用いてコメントを読むことができるようにしている。


 コメントを読んだのだろう、雨宮の動きが一瞬だけ固まった。しかしアカウント名を見て――配信の練習をしたときに名前を覚えて悠斗のものだと気付いたのだろう、すぐに硬くなった表情をほぐして口を動かす。


「だ、大丈夫よ! シャルちゃんもいるんだし!」

「にゃあ(まあ、死なない程度のピンチなら動かんがな)」

「それにわたし、ちゃんと『リューレン地下洞窟』をクリアしたのよ! 動画は撮ってたけど事情があって、残念ながら没になっちゃったけど……」

「……、」


 横で美織が渋い顔をしていた。ダンジョンクリアRTA動画が没になったのはこいつのせいなので何度かネチネチ責めたことがあるのだが、その時のことを思い出しているのかもしれない。ちょっとだけ愉快な気分になった。


「と、とにかく! 一つダンジョンをクリアして強くなったわたしなら、初級ダンジョンくらい楽勝よ!」


 そんなフラグを立てながら、雨宮は歩き出す。

 歩きながら、周りの風景を見て感想を述べたり、時折流れるコメント欄を見て話したり――どうにか順調にダンジョン配信ができていた。


 コメントの内容に言及する前に、コメントをしてくれた視聴者の名前を呼んで、「コメントありがとうございます!」と笑顔を向ける。周辺の警戒を最低限しつつ、何もないときはできるだけカメラに目を向けるようにする。――といったように、ミーシャから貰ったアドバイスを意識して、雨宮は配信を良いものにしようと頑張っていた。


 だが――ここはダンジョンで、やっているのはダンジョン配信。雑談だけで終わるわけがなく、モンスターが現れ、ある意味このコンテンツの目玉である戦闘が始まる。


「にゃ(お、モンスターがいるぞ)」

「え、木……? これ、モンスターなの?」


 ――事前にこのダンジョンの資料を渡しただろうが! 読んでないのかよッ!

 ――というか練習でも戦っただろ! 鳥頭なのかお前は!?


 という突っ込みが口から飛び出しそうになるのを「初見っぽい反応の方が配信的に良いと考えたのだろう」という解釈で抑えながら、悠斗は画面ぶれしないよう慎重に撮影用の携帯端末を傾け、雨宮と木のモンスターが画面に収まるようにする。


 その木のモンスターは「ミミックツリー」と名付けられていたか。その名の通り周囲の木々に擬態するように灰色の幹と葉を持った高さ一・五メートルほどのそいつは、獲物に自身の存在が気付かれたことを察知し、枝を鞭のようにしならせて攻撃してくる――。


「わ――きゃっ」


 モンスターの強さ自体は、初級にふさわしい雑魚である。炎が効くので、魔法使いがいれば一瞬で片が付く。物理偏重の構成でも、幹はともかく枝は大して硬くないので、最初に枝を全て切り落として坊主にしてやれば簡単に倒せる。全体の大きさによっては幹もあまり太くないため、多少力があれば一太刀で両断することも不可能ではない。


 が、そこは雨宮クオリティ。


 飛んできた攻撃をまともに食らいそうになり、慌ててしゃがむことで回避には成功した。が、すぐに反撃はできず、さらに体勢を立て直すこともしなかったので、往復ビンタの要領で今度は反対側から繰り出された枝の鞭をまともに喰らってしまう。


 幸いにも威力は低い――というよりシャルが咄嗟にかけた防御魔法のおかげで、雨宮の玉の肌に傷が付くことはなかった。


 呻き声を上げながらなんとか立ち上がった雨宮の目尻には涙が浮かんでいた。痛みは大したことないはずだが、衝撃にびっくりしたせいだろうか。


「うぅ……木が動くなんて聞いてない……!」


 森のダンジョンで植物系のモンスターとかド定番だろ、と悠斗は口の中で呟いた。


「……良かった、雨宮の顔に傷はないか」などと呟いている横の信者みおりの声を撮影用携帯端末が拾わないように離れつつ、悠斗は小声でマイクに囁き、雨宮に指示を出す。


「剣くらいは抜け、モンスターの目の前だぞ」

「っ」


 悠斗の声に反応し、雨宮がはっとした様子で腰の剣を抜いて構えた。ちょっと腰が引けている気がするが、まあ棒立ちよりはマシである……と思うしかない。


「にゃ(最初の戦闘くらいは見守った方が的に良いか……?)」


 シャルが小さな頭を傾けて鳴いた。

 悠斗は契約の魔力パスを通じて、普段はあまり使わない思念会話を試みる。


『雨宮の剣にエンチャントしてくれ』


 シャルは少しだけ猫目をこちらに向けてから、雨宮の近くに歩み寄って魔法を発動させた。


 雨宮の握る剣の周りに、渦巻くように炎が現れた。雨宮はぎょっとして剣を取り落としそうになるが、すかさずシャルが鋭く鳴き、同時に悠斗が「シャルの援護だ」とインカム越しに伝えることで、雨宮はなんとか「敵の目の前で武器を落とす間抜け」になるのは避けられた。


「相手が木だから……火の剣で、倒せる?」


 自分の持つ武器が有効打になり得ることに気付き、雨宮の顔に自信が戻る。


 一方でミミックツリーは、自身が苦手とする炎を前に、その足のような根っこを動かして後退を始める。――逃げる気だ。


「あっ! 待ちなさいッ」


 逃がさない、と雨宮が足を踏み込む。


 ミミックツリーは追跡者の足止めのために、得意技の枝の鞭を放つ。雨宮の反応速度では剣で受けることもできないだろう、と判断したのか。


 だが、雨宮はその攻撃に反応してみせた。


「っ、く――」


 枝の軌道に剣を合わせ、受け止めようとする。が――雨宮の筋力では対抗できず、剣は弾き飛ばされてしまった。


 もちろん――酷い評価だが――握力が足りないのですっぽ抜け、剣が空中をくるくる回る。刀身の炎が円を描くさまを、雨宮は呆然と見上げた。――明らかな隙を見せてしまった。


 馬鹿、敵から目を逸らすな――喉まで上がってきたその言葉は、しかしインカムを通して雨宮の耳に届くことはなかった。


「あ」


 ボッ、と。火が灯る。

 そして――数秒とかからず、ミミックツリーの全身に火が回った。


 ……シャルの魔法が優秀なのか、雨宮の運が良いのか、ミミックツリーが燃えやすすぎたのか。

 どうやらあの一瞬の接触で、剣に纏わせた炎がミミックツリーに燃え移ったらしい。


「………………、完全勝利っ!」

「にゃん(やはりこやつに戦闘は向いてないな。今からでも路線変更した方が良いと思うのだが)」


 黒猫の提案に、悠斗は曖昧な表情を浮かべるのだった。


 ちなみに隣でずっとハラハラしていた(表面上は冷静であるように装っていたが失敗していた)美織は、若干引き攣った笑顔でVサインをする雨宮に小さく拍手していた。なんだかんだ言ってもやっぱり信者なんだなコイツも。近寄らんとこ……。


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