第35話「前夜」



 シャルからを聞いてから、日が経ち。

 いよいよ生配信の本番を明日に控えた夜。


 ゆうはPCと携帯端末の画面を睨みながら、ブツブツと独り言をしていた。


「……設定関連はこれで大丈夫、なはず。数値の調整は限定配信での練習時にやったし、ちょっとのズレくらいは本番中にどうにかできる。神が用意したスマホのスペックがちょい不安だが……まあこの世界でのミドルスペックらしいから数時間の生配信程度は持つか。たぶん」


 ちなみに数年前までは、携帯端末のアプリからHeyTubeヘイチューブで生配信する場合、チャンネル登録者数が千人以上でなければできないという制限があった。が、ダンジョン配信の流行に乗って電子(霊子、魔法)機器メーカーが「HeyTubeにはPCと認識される小型端末で、初心者でもダンジョン配信をやってみよう!」などと抜け道のようなアイテムを売り出しまくったことがあり、HeyTube運営は携帯端末アプリでの生配信の制限を取っ払う事態になったらしい。


 当時の騒動の空気感がどのようなものか知らないので想像でしかないが、まあ、流行と商品開発、そして宣伝文句の関係とはそういうものだろう。そこで抜け道の小型端末とやらを排除しなかった辺り、HeyTube運営はキリがないことをわかっていたか。アレも駄目コレも駄目をして自分達が批判されるよりは、「こちらから譲ってやる」という対応で無用な火が付かないようにしたのだろう。過度に規制して流行を冷めさせる方が不利益だとそろばんを弾いたのかもしれない。


 ともあれ。

 かれこれ数時間も、悠斗は明日の配信の準備……というか再点検をしていた。正しくは再々々々々々点検くらいだが。


「大丈夫……大丈夫、なはず……」


 言い聞かせるような呟きは、今日だけでもそろそろ三桁回数に突入するかもしれない。


 予行練習はした。ロケ地として選んだ初級ダンジョン『小さな黒の森』の情報を探索者協会で買って暗記するほど読み込んだし、下見もした。それでも不安なものは不安だった。


 と。


「悠斗」


 声がして、振り向く。


あまみや……」


 その名を口にするとき、悠斗は自分の舌の動きがやや硬かったことに気付いた。

 理由は一応、わかっている。だから、誤魔化すように悠斗は声を絞り出した。


「どうした? あ、そろそろスマホ返した方が良いか?」

「ん、それは別に良いわよ。明日に備えて早めに寝るつもりだし」


 雨宮が専有している携帯端末(スマホではないがつい言ってしまう)だが、今は悠斗の手にあった。明日の生配信のために設定やら何やらを弄っていたからである。ちなみに細かい設定や便利なアシストアプリ関連はミーシャからオススメを教えてもらったので、それをほとんどそのまま採用している。アドバイザー様に感謝。


 幼少からのネット中毒世代としてはインターネットに繋がれる小さな板を求めての行動でなかったことに首を傾げるが、雨宮が無言で悠斗の隣に腰を下ろしたことでますます大量の疑問符を頭上に浮かべることに。


「どうしたんだ? お化けが怖くて寝られない年頃でもあるまいに」

「そこはせめて緊張で眠れない、くらいにしときなさいよ」


 じとっとした視線が飛んできたので、目を逸らして逃げる。


「……悠斗こそ、この前からどうしたのよ?」


 唐突な質問に、悠斗はわずかに目を見開いた。

 声が震えないように気をつけながら、なるだけいつも通りに言葉を紡ぐ。


「どうしたって、何が?」

「避けてるでしょ。わたしのこと」

「……、気のせいだろ」


 避けている、訳ではない。

 雨宮が嫌いになったわけでもない。


 ……あれだけ印象的だったのに忘れたことを今更ながらに悔やんでいるというか、勝手に罪悪感を覚えているだけだ。


 あと――少し思うところがあって、雨宮を見るとついそれについて考えてしまう、というのも原因か。


「ふぅん」


 明らかに納得していない声色だったが、雨宮はそれ以上追求しなかった。


 静寂が訪れる。

 テーブルの上、開いたノートパソコンの画面で、意味もなくマウスカーソルが汚い円を描き続ける。


 拳一個分の空間を挟んで、悠斗の隣に座る雨宮。彼女の視線はぼんやりと中空を見つめていた。その先にあるものは、窓の外――月でも眺めているのだろうか? 異世界だからか自分の知っているものよりもやや大きく映る薄黄色のそれを見つめる美少女は、果たして何を思っているのか――。


「……作業、しないの?」


 と、不意に少女の視線がこちらに向いた。


 その琥珀色の瞳にじっと見つめられ、わずかに頬に熱を感じながら悠斗は咄嗟に言葉を返す。


「あーいや、作業自体は終わってるんだ」

「なら、なにやってたのよ。ネットサーフィン?」

「遊んでたわけじゃないぞ。ただちょっと、明日の備えというか再確認というか……」

「ふぅん」


 今度の吐息は色が違った。

 肯定、とは違うか。同意……いや、安堵……?


 雨宮はふっと笑って、


「そっか。あんたも不安なんだ」

「……、まあな」


 肯定すると、雨宮は囁くように声を零した。


「わたしも、不安」


 雨宮は少し視線を落として、


「生配信って、見てる分には気楽だけど、いざやる方になると大変だって思った。単にわたしが慣れてないからそう感じるだけかもしれないけど……。明日、ちゃんとできるか、不安」

「……練習ではなんとかなってたじゃないか」

「練習と本番じゃ違うでしょ」


 それはそうだ。悠斗だってわかっている。

 それでもありきたりな言葉で濁したのは、雨宮を安心させる言葉を悠斗が持っていないから。


 悠斗だって生配信をする側に回るのは初めてなのだ。経験のある(本人は否定しているが)おりなら不安を軽減させる気の利いたアドバイスでもできるかもしれないが、配信者の裏方としてまだまだ未熟で、しかも女心を欠片も理解できない思春期の男子には厳しい。


 やや俯き加減のまま、雨宮は心の内を吐露する。


「ちゃんとトークができるか、不安」

「練習と同じ調子なら大丈夫だと思うぞ。コメント対応もできてたし」

「それは限定配信で、見てたのもコメントしてたのもあんたと美織だけだってわかってたからよ。本番で同じようにやるなんて、無理に決まってるじゃない」


 雨宮は溜息と共に言葉を吐き出した。


「……今までの動画でわたしが駄目駄目だってのは見せちゃってるし、実際に動画に付いたコメントで書かれてるのも読んでる。呆れられるレベルだってことくらい、自覚してるわ」


 でも、と雨宮はか細い声で続きを零す。


「生配信のコメントで言われると、どう感じるかわからない」

「……、」


 悠斗は、雨宮をどう励ませば良いのかわからなかった。


 ……一番雨宮のことを駄目駄目言っていたのは悠斗だから、「俺に何か言う資格があるのか」という考えが頭にぎったせい、というのも多少あるが。


 ゆえに、言葉を捻ることもできず、ただわかりきったことを言って濁すしかなかった。


「本番では俺がインカムで指示を出すし、練習のときと同じように俺個人のアカウントでいくらかコメントもするつもりだ」

「……うん」

「ミーシャもプライベート用のアカウントで見ながらコメントしてくれるみたいだし。なにかあっても俺や美織、シャルがなんとかする。だから心配するな」

「……うん」


 小さな声で、消え入りそうなほどに弱々しく頷く雨宮に、悠斗は戸惑ってしまう。この少女は――クラスカーストを制する天下無敵の美少女様は、こんなにも自信のないヒトだったか、と。


「それこそ信者が作る虚像だろ」などと、美織だったら馬鹿にするように言ってきたかもしれない。彼女自身も同じことを感じていて、自嘲するような顔をしながら。


 再び掛ける言葉を失って口を閉じる悠斗に、雨宮がゆっくりと視線を上げた。


 琥珀の瞳がまっすぐこちらの目の中を覗き込んでくる。


 彼女の宝石のような双眸に、自分の平凡な顔が映り込んでいることに妙な感情を抱きかけて――。


 よこしまな考えをえぐる形で、少女の縋るような甘い声があった。


「ねえ、もしわたしが頭の中真っ白になって何も言えなくなっちゃったら……ちゃんと励ましてね」

「ぁ――ああ、もちろんだ」


 なぜだか脳を痺れさせる麻薬ような声に辛うじて反応できたのは、ある程度耐性ができていたからか。


 けれども雨宮は悠斗の理性と心など知ったことかとばかりに、ずいっと可憐な顔を近づけて、


「なんて言えばいいのか、ちゃんとわかってる?」


 少しだけ考える。

 いくつかのありきたりな考えが浮かんで――どれも違うな、と霧散させる。


 相手は雨宮だ。

 なら、答えはきっと――。


「『可愛い』だろ?」

「そうだけど、そうじゃない」


 わずかに拗ねるように唇を尖らせて、雨宮なつは要求する。


「――『誰よりも可愛い』って言って。悠斗が知っているどんな人よりも、わたしのことを可愛いって言って。そうしたら、頑張れると思うから」

「そう、か」


 彼女が何を思ってそんなことを求めるのか、三週間近く一緒に過ごしてみても理解できない。


 だが――それを言うだけで頑張れるというのなら、その願いに応えよう。


 悠斗は意を決し、無尽蔵に湧き出す羞恥心に溺死しないよう必死に感情を抑えながら口を開いて――しかし。


「今じゃなくて良いわよ。あんたが言いたいときに……あんたが言うべきだと思ったときに、言って」

「……なんだそりゃ」

「あんたの判断で言って。でも、今のまま言うのは駄目。……ちゃんと心も込めてね?」


 念を押すようにそう言って。

 雨宮は、悠斗の手に自分の手を重ねた。


 ドキリ、と跳ね上がる心臓。

 反射的に目を剥いて雨宮を見れば、しかし彼女は薄い微笑みを浮かべながらこんなことを訊いてきた。


「ねえ悠斗。あんたは今、楽しい?」

「……いきなりどうしたんだ?」


 本当にいきなりだ。

 というかこの手を重ねる行為はいったいどんな理由からなのか説明してほしい。切実に。


 しかし雨宮は悠斗の説明要求を無視して、問いを重ねる。


「答えて。今の生活を、楽しいと感じられてる?」

「……さあな。まあ、退屈はしないんじゃないか?」


 と、気恥ずかしさを誤魔化すように答えて。


「ふぅん」


 三度目の吐息。今度の色は、悠斗には読めなかった。


「なら、日本に戻りたいと思う?」


 ――――。


 一瞬フリーズした脳を再起動して、悠斗は舌を動かす。


「はあ? 戻れないだろ、現実的に考えて」

「できるできないの話じゃなくて。もし戻れるなら、日本に戻りたい?」


 果たして――。

 Ifイフの話、という前提があったとして。


「……、」


 数秒間思考を回し、悠斗は浮かんだ感情のままに答えを口にする。


「まあ、戻りたいかな。七年やってたネトゲのデータが勿体ないし」

「そう。もう待ち人はログインしてこないのに?」

「――は?」


 それが誰のことを指しているのか。


 今の悠斗なら、察することができる。


 正しいのか確認はしていない。だけれど、きっと彼女と彼女の関係性は、悠斗が思っている通りのはず。


 その前提があって。

 ここでどんな言葉を返せば良いのか。何を訊けば良いのか。


 悠斗の口はのり付けされたように動かなかった。


「……じゃ、明日はよろしくね。おやすみ」


 立ち上がり、美織と共用の寝室に戻る雨宮の後ろ姿を、悠斗は凍り付いたまま見つめていた。


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