第6話「可愛いって何だろう(哲学)」



「この部屋での過ごし方と、役割分担について」


 五秒ほど思考停止し、若干あまみやの視線が厳しくなってきたところでようやっと言葉を咀嚼する。


「……つまり、同棲するカップルが決めるやつ?」

「は!? このっ」


 瞬間湯沸かし器の如く一瞬で顔を沸騰させた雨宮がグーで殴ってきた。痛いのは嫌なのでひらりと躱す。……平手の時と違ってマウントを取られていないので、このくらいなら回避できる。雨宮のパンチはヘロヘロだし。


「ふざけるなら部屋から閉め出すわよ!」

「賃貸の契約、俺名義になってたんだけど」

「ぐぅっ……ご、ご飯作ってあげないから!」


 別々に食べれば問題ないんじゃないか……? とは思ったが、ふざけなければ滅茶苦茶ありがたいことにご飯を作ってくれるそうなので口答えしないようにする。


「失言は取り消す。……で、過ごし方ってのは?」

「新しく部屋を借りるようなお金なんてないから、しばらくはどうせ……二人暮らししなきゃいけないじゃない? わたしとあんたはただのクラスメイトでしかなかったんだから、お互いに色々と配慮しなきゃいけない部分も、まだなにもわかっていないでしょ。だから、その辺りを事前に話しておこうと思って」

「あー……まあ、大切だな」


 ゆうと雨宮は特別親しいわけではなかった……というか同じクラスにはいてもロクに話したこともなかった。互いの好きなこと、嫌いなことなんてわからない。確かに、話し合う必要があるだろう。


「まず、お風呂は入ったら水を入れ替えること」

「そんな勿体ないことできねえわ」

「は? その勿体ないってどういう意味?」

「水道代の話だよ、ほかにどんな意味があるんだよ」


 さすがに雨宮の残り湯を堪能したいなんて気持ち悪い発想はしてないよ本当だよ。


「……わかったわ。わたしも進んで無駄遣いしたいわけじゃないし、我慢する」


 ほんのり頬が朱に染まっていたが、指摘したら話がこじれそうなので黙っておく。


「ご飯はわたしが作るけど、片付けは手伝ってね」

「それは、うん。……というか、作るのも手伝わなくて良いのか?」

「買い物とかは勿論手伝ってもらうけど、作るのはわたしがやるわ。変なの入れられたら嫌だし」


 何を想定しているんだコイツは。


「寝るときは、わたしが洋室、あんたがダイニングね」


 さらっと広くて快適な方持っていきやがったぞコイツ。ここのダイニング、わりと狭いから布団敷くのに適していないと思うのだが。


「えー……冷蔵庫の音がうるさくて寝られなかったらどうしてくれんだよ」

「知らない。同じ部屋で寝るとか無理だし」


 寝る場所を交換してくれたりはしないんですかそうですか。


「掃除は交代で。汚かったらやり直しさせるから」

「姑か何かかお前は」

「は?」

「なんでもないです」


 美人が凄むと怖いな……。

 悠斗が密かに冷や汗を掻いていると、雨宮は引き出しから何かを取り出した。通帳と携帯端末。それを悠斗に見せるように掲げて、


「これはわたしが管理します」

「え、なんで?」

「これはわたしが管理します」

BOTボットなの?」


 通帳は、これまた神が用意したものだ。『ルルファス銀行』という見知らぬ銀行に作られた口座だったが、記載内容を見れば十万ほど入れられているようだった。ちなみにこちらも名義は刈谷悠斗になっている。


「無駄遣いされたら生活できなくなるので、わたしが管理します」

「なんで俺が無駄遣いする前提なんだよ。お前こそなんか買い込んだりしないだろうな?」

「しないわよ。必需品しか買わないわ。趣味のものは……そうね、稼ぎに余裕が出たらお小遣い制にして、買うわ」


「……その必需品の中に、余計なものが入ってたりしないだろうな? たとえば化粧道具とか」

「…………最低限しか買わないわよ。でも、色々ケアしなきゃいけないから」


 最低限は買う気だったのか。

 ……いや、女性には色々必要だってことはわかる。それなりに耳に入ってくるし。

 でもなぁ…………うーむ、ここは譲るべきなのか?


「……お金の使い道については都度相談ってことで」

「……そうね」


 一番荒れる問題をひとまず後回しにする。


 ……というか一つの通帳でお金を管理するって、同棲どころか結婚して財産共有しているレベルでは? と思ったが口に出したらまた真っ赤な顔でなじられそうだったので口には出さない。お小遣い制とか、雨宮の考え方も夫婦のそれな気がしないでもないけど。


「……他は、実際に暮らしていかなきゃ気づけないこともあるだろうし、追々ね」

「そうだな……って待て、スマホの管理はなんでお前がするんだよ?」

「だってこれで決済するじゃない。クレカを預かる感覚よ」


 携帯端末――前世で言うスマートフォンのような現代っ子の必需品だが、この世界での略称がスマホで合っているのかは不明――は軽く弄ったところ、スマホにできることはだいたいできた。さらに先の通帳の口座と連動済みのアプリも入っていた。この世界での主流の決済方法のようなので(紙幣での取引が完全になくなったわけではないが、現代日本よりも置き換わっているらしい)、これを雨宮に取られるということは、生命線を握られるも同然なのである。


「決済以外にも使うだろ。ネットとか」

「あんたはノーパソ使えば良いじゃない」

「それならノーパソは俺が独占するけど、良いのか?」

「ん……ま、基本は良いわよ。必要なときは借りるけど」


 そういうことになった。

 どっちが良いかと言われたら、個人的にはネットサーフィンはパソコン派なので良いのだが、やはり財布を握られているというのは恐ろしい。


「あと、これは本当に個人的なものなんだけど……」


 という前置きをした雨宮は、どうしてか俯き気味だった。

 わずかに頬が赤くなっている……気がする。いや、さっきも怒りで赤くしていたから、これが恥ずかしさから来ているのか憤怒の表れなのかはわからない。


「なんかあるのか?」


 悠斗が促すが、雨宮はしばらく俯いたまま何も言い出さなかった。

 ……どうしたのか、首を傾げて再び促そうとして――雨宮がようやっと顔を上げる。


「……っ」


 顔が赤い。

 怒りではない。これは、羞恥から来るものだ。

 雨宮は一度深呼吸をして、何度か唇をもにゅもにゅと動かした後、意を決したように言葉にする。


「ねえ、悠斗。――わたし、可愛い?」


 いきなり何を言っているのだ、コイツは。

 まさか口裂け女の亜種だったりするのだろうか?


 何を思ってそんなことを聞いてくるのかよくわからないが、異様に真剣な表情だったので、悠斗は素直な感想を口にする。


「まあ、一般的に見て可愛い部類なんじゃないか?」


 ……素直な感想とはいっても、直球な言葉を口にするのはやはり恥ずかしい。なのでそんな迂遠な表現になってしまったが、雨宮はそれでは納得できないらしい。

 雨宮がずいっと顔を寄せてくる。


「今は一般論とかいいから」

「ちょっ、近い……!」

「あんたは、どう思ってるの?」


 ともすれば息のかかるような距離まで近づかれて、悠斗は頭が沸騰するような感覚を味わった。


 雨宮千夏は美少女だ。天使だの女神だのと表現されるレベルで美しく、可愛らしい。百人いれば百人が二度見してついでに十人くらいがストーカーに変貌するレベルで。


 そんな奇跡のような顔が目の前まで迫って動揺せずにはいられず、うるさいくらい高鳴る心臓の鼓動と瞬間的に熱の上った頭を抑え付けながら、なんとか言葉を口にする。


「可愛い。雨宮、お前は可愛い。美少女だ。世界一、宇宙一……いや全ての異世界を廻ってもお前が一番可愛い」

「ぷっ。なにそれ。まだ部屋の外にも出てないのに、この世界でも一番って言えるの?」

「絶対お前が一番可愛い。だってあの神や天使よりもお前の方が綺麗だし可愛いかった」

「……、…………、そっか」


 なんか頭が茹だって変なことを口走った気がする。テンパりすぎた。離れてくれないとそろそろ鼻血がドバーッと噴き出すかもしれない。


 悠斗が顔の血管のピンチを鈍い頭で感じ取り始めた頃、ようやっと雨宮は顔を離した。ほっと一息。……なんか凄い良い匂いがする気がする。


「そっかー。悠斗はわたしのこと可愛いって思ってくれるのねぇ」

「んだよ。だいたいの人間はお前のこと可愛いって言うぞ」

「ふぅん。でも今、わたしに直接言ってくれるのは悠斗だけだから」

「どうだか」


 試しに外に出てそこら辺の人に「わたし可愛い?」テロを起こせば、可愛いの大合唱が起こるはずだ。……この世界が美醜逆転世界でなければ。


「……よしっ」


 雨宮が小さく気合いを入れる。そして恥ずかしさを誤魔化しながら胡乱げな視線を向ける悠斗に、雨宮はビシッと指を突き付けて、


「一日一回、あんたはわたしに『可愛い』って言うこと!」

「…………、なんで?」

「良いから! 絶対よっ」


 ……マジでなんで?


「俺が喰らう精神ダメージを補填するだけのメリットは?」

「わたしの機嫌が良くなります」

「いやいや……」


 そりゃあ共同生活の相手が不機嫌だったらやりづらいし、簡単に機嫌を取る方法があるなら良いかもしれないが……毎日女の子に「可愛い」って言うとか、彼女いない歴イコール年齢の男子高校生にはキツすぎやしませんかね?


「『可愛い』って言ってくれないと、拗ねます」

「はあ」

「そして発狂します」

「なんでだよ?」


 ……よくわからないが、雨宮にとって「可愛い」と言われるのは大事なことなのだろうか?


「というかお前、いっつも取り巻きにそんなこと言わせてたのか?」

「取り巻きって、トモダチのこと? さすがにあの子たちに失礼だからやめて」

「ごめんなさい」

「ん。……別に言わせてたわけじゃないわよ。言い合うような雰囲気は作ってたけど」

「あ、そう」


 可愛いクラスタでも作っていたのだろうか?

 滅茶苦茶失礼なことだが、雨宮がいるとその周りの女性は全て引き立て役にしかならないので、彼女たちはいったいどんな心境でそのような集団を形成していたのだろう。興味があるような恐ろしいような……。


「あの子たちの『可愛い』は色々混ざっちゃってるし、わたしにとってもあんまり気持ち良いものじゃなかったけどね。目が笑ってないことも多かったし」

「さいですか」


 やっぱり怖いから聞きたくねえや。悠斗はやや遠い目になった。


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