第10話 紅葉と報酬

 紅葉さんが呼吸を整えてから再び始めたラジオ体操。それが予想以上に困難を極めて、全てをやり終えた時には十九時を回っていた。


「私たち、体操始めたの五時過ぎだよね」


「二時間以上も……過ぎてん……じゃねぇか……一時間の……約束は……どうしたん……」


「ラジオ体操で二時間もかかると思わなかったから」


「ざけん……な」


 紅葉さんは疲れ果てて大の字に倒れてしまった。これ以上の運動はもうできないかな。これでも最後まで諦めなかっただけ偉いと思う。さすが報酬の力。


「今日はもう終わりだね。お疲れ様」


「約束通り……アナギフ……」


 どうしようかな。今日はラジオ体操以外にもやってほしい運動はいっぱいあったんだけど。でも約束は約束だし。


「はい。報酬のアナギフ」


 私は干乾びはトカゲみたいな格好で寝っ転がる紅葉さんにアナギフを差し出す。紅葉さんは瀕死の微笑でそれを受け取った。 


「ありがとう……大事に……使うよ……」


「それ、これから買う漫画を電子媒体にして欲しくて報酬にしたんだからね。次来る時に新しい漫画があったら……どうなるか分かるよね?」


「わわわわわわ分かったよ!!スマホにキンドゥル入れとくから!!」


 私が脅しをかけると紅葉さんは干乾びたトカゲから狼に追い詰められた小鹿になった。


「あと、これから定期的に運動してもらうからね。紅葉さんの健康のために」


「じゃあ……一時間運動するたびに……アナギフくれよ」


「それは無理」


 例え毎日じゃないとしても、運動させるたびに報酬でアナギフ進呈しているようでは私の財布が底をつくどころか、お母さんにこっぴどく叱られてしまう。かといって報酬がないと紅葉さんは運動なんてするはずがないし……何かコスパの良さげな別の報酬を考えよう。


「とりあえずもう夜遅いから、私帰るね」


「おう帰れ帰れ……ボクは寝る」


 紅葉さんは素っ気なく私を送ると、大の字のまま目を瞑ってしまった。しょうがないなぁ。私は漫画でいっぱいになった押し入れから毛布を取り出して紅葉さんにかける。……紅葉さんって、黙ってれば肌も綺麗だし本当に美人だよね。なんで不健康な生活してるのに美肌を保てるんだろう。素直に羨ましい。


「ふふっ、お疲れさま」

 

 私はそれだけを言い残して家を後にした。




 ……鍵、開いたままだ。


 *


「うっ……うぅん……」


 目を開けると、天上にぶら下がる古めかしい照明具が視線の先にあった。

 

「めっちゃ寝た……」


 眼を擦りつつ、傍に落ちているスマホを拾い時刻を確認する。時刻二十二時三十四分……マジかよ……あれから三時間以上も寝てたんか。

 

 あんなに運動したの三年ぶりだからな。疲れ果てて熟睡するのも当然か。一先ず起きるか。つーか飯食わないとな。こんな遅い時間だけど。寝てたんだからしゃーない。ボクはぐわんと上体を起こすと、真っ先に台所に向かっ……体クソ痛てぇ。

 

 お婆ちゃんのように腰を摩りつつ、冷凍庫を開ける。そこには、親から送られた冷凍食品がぎゅうぎゅうに詰められている。その一つ「肉うどん」を取り、いつものように支度開始と。


 ──紅葉さん、引きこもるのもいいけど、ちゃんと食生活気にしてる?


 唐突に、あいつの言葉が蘇ってきた。


 食生活、か。これも世間的に見れば不健康な食事なんだと思うけど。この生活には慣れてしまった。


 ……健康に良い食事。そんなのこの生活を始めてこの方気にしたことなかったな。仕方ないけどな、自分で食事なんて作ったことねーし。そもそもあいつはなんであーにもボクの健康を気にしてくるんだよ。所詮他人の問題じゃねーか。首突っ込まなくていいのにさ。


 そういやあいつ、小学校の頃のボクも気にしてたな。嫌がってるふりをしてなんとか詮索を避けたけど。いつか、あいつにも話さんといけなくなる時が来るのかな。

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