第3話 紅葉と提出課題

 私の名前は春原芙蘭。どこにでもいるごく普通の高校一年生です。


 勉強は平均的。運動もそこそこできるくらい。同年代の女の子と比べたら流行にも疎いけど、この春始まったばかりの高校生活、もう数か月経ちましたがなんとか頑張っています。


 そんな私ですが、一つだけクラスメイトに隠れて行ってるミッションがあります。ミッションとか重大そうに言うほどでもないんですけど。


 実は私、担任の先生に頼まれて、とある女の子の家に手紙を届けています。


「相変わらず、景色が綺麗……」


 本日もやって参りました、「メゾン不倶戴天」。

 初めて紅葉さんに手紙を届けてから早一か月。この一か月、私がフレンドリーに接するよう心掛けたからか、紅葉さんともかなり打ち解けてきたよ。今日も今日とて、紅葉さんに手紙を届けます。毎日ではないんだけどね。


 鳴瀬さんは耳があまり良くないので、私が来たことを知らせるにはチャットアプリを使うよ。原因は彼女の日常生活を見ればなんとなくわかるんだけどね。

 意外にも、鳴瀬さんは家族との通信手段のためにチャットアプリをインストールしていた。それでも登録された友達は家族以外誰もいなかったので、私と友達交換した時は飛び跳ねるように喜んでいてなんだかこっちも嬉しかったな。


『今日も来たよ』


 私は鳴瀬さんの部屋の前に立つと、来たよ!っと猫のスタンプを添えてチャットを打つ。と、数秒で既読が付き返事が返ってきた。


『うむ』


 もっと年頃の少女らしい返事は返せないのかな?そうすると、ガチャっと鍵が開く音が鳴り、中から銀髪の小柄な少女がひょこっと顔を出した。


「こんにちは。体調はどう?」


「なぁ、開口一番でボクの体調を確認するのやめてくれないか?」


「ごめんね。普段の生活があれだからいつも心配になるの」


「……ぐうの音も出ないけど」


 打ち解けてみると、案外堅物な性格だってことが分かった。いや、それを演じているだけで本当は気弱なのか。どちらにせよ、仲良くなれたのは一歩前進だ。

 私は鳴瀬さんに招かれ中に入った。六畳一間のワンルームは今日も物で溢れかえっているね。


「よし、じゃあとりま掃除しようか」


「い、いつも言ってるけど別にそこまでしてくれなくていいよ……手紙届けてくれるだけで……」


「ダメだよ。こんな汚い部屋野放しにしてたらやがて埋もれて死んじゃうよ?」


「……なんでボク、コイツ中に入れたんだろう」


 今日も私の説得が効いたみたいで、鳴瀬さんは玄関横の台所の隅に縮こまった。

 さあ、早速掃除に取り掛かろう。それにしても、前回訪れたのは三日前でその時も掃除したのに、その時間が丸ごと切り取られてしまったかのように散らかり具合が元に戻っている。これは前回よりも入念に片付けないとね。


「とりあえずこのぬいぐるみの山から」


「な、なぁ……」


 手をつけようとした時、台所の鳴瀬さんから声がかかった。私はその声に応えると、眼鏡をかけた鳴瀬さんが、担任教師から渡された封筒を覗いていたんだけど。

 鳴瀬さんは封筒の中からちょっと大きめのプリントを取り出す。取り出した途端、紅葉さんの手がぷるぷると震え始めた。一体どのような代物が同封されていたのだろう。


「どうかしたの?」


「ららら来週までに提出しろってさ……」


「何を?」


 紅葉さんは相当嫌だったのか、顔を逸らしながら、私にそのプリントを見せてきた。

 そのプリントには、私が数学の授業で習った数式が用紙いっぱいに書き殴られていて……


「数学の……練習プリントだね」


「がぁぁぁ嫌だぁぁぁぁやりたくねえぇぇぇ」


「そういえば、紅葉さんって家で勉強とかしてるの?」


「し、してるよ……当たり前だろ!!」


「何時?どれくらいの頻度で?」


「なんでそこまで詳細に聞いてくるんだよ」


 なんとなくそこまで聞かなきゃいけない気がした。


「ぼ、ボクの匙加減で……やりたいなぁって思った時に少々……」


「普段からやってないってことだね」


 紅葉さんは目を泳がせながら冷房の効いた室内でダラダラと汗を流している。これは図星みたい。


「ぼぼぼボクは、この右目に宿りしジャッジメントアイでこの世の真理までを垣間見ることができるのだ!!だから勉強なんて下々の人間の慣習、そもそも必要な……」


「提出期限来週までだよね。割と余裕あるけど、私も手伝うから今やろうか」 


「なんで今なんだよ」


「えっ?だって放っといたら明日から本気出すって投げ出して、気付いたら前日パターンでしょ?」


「夏休みの宿題か」


「ほらやるよ。完遂出来たらアイス買ってあげるから」


「アイッ……!!ふっ、仕方ないな。少しだけ戯れに付き合ってやるか」


「私の台詞だけどね」


 アイスで釣ったらノってくれた。案外チョロいね。

 というわけで、私は掃除を早めに終わらせて紅葉さんの課題を手伝うことにした。

 途中、ぬいぐるみの山に埋もれていた謎の黒い箱を見つけたんだけど、興味本位でそれを開こうとしたら鳴瀬さんに全力で回収されてしまった。なんでだろう。やましい物でも入ってたのかな。


 鳴瀬さんは折り畳み式のちゃぶ台を部屋の真ん中に置くと、座布団を敷いて嫌々ながらもプリントの前に正座した。

 私もその隣に座り込み、鳴瀬さんの課題経過を見守る。

 だが、紅葉さんはプリントを凝視したまま動かない。見ると、目がぐるぐる回っていた。


「分からないんだね。普段から勉強しないからだよ」


「うるせー!こんなもん!こうやって!!」


 と、紅葉さんはやけくそ気味に問題を解き始めた。違うな、適当にそれっぽい途中式を書いているだけみたい。


「真面目にやってないよね」


「いいんだよ!とりま全部書いて提出さえすればこっちのもんだ!!」


「点数はつかないけどね」


 先生の情けなのか、プリントの上の方は中学時代に学習したはずの易しい方程式問題なんだけどな。


「そういえば、学校に行かなくて成績とか大丈夫なの?もうすぐ期末考査だよ?留年しない?」


「問題解いてんのに質問に質問を重ねんな!どれ答えれりゃいいか分からなくなるだろ!!」


「ごめん……いや、解いてないよね」


「うるせー!!!」


 これは思ったより重症みたい。ここらで私が制止に入らなければ、紅葉さんは一方的に意味不明な数式と記号を書き続けているだけになる。


「一旦全部消そうか」


「なんでだよ!あ、あぁ……!!」


 私は鳴瀬さんがプリントから手を離した隙を突いてプリントを取り上げる。

 そして、消しゴムで丁寧に消していく。それにしても、紅葉さんは字が絶望的に汚いね。このゴミ屋敷と同等。


「お前今心の中でボクの事disらなかった?」


「気のせいだよ」


 私は真っ白になったプリントを再び鳴瀬さんの前に置く。

 それを見た鳴瀬さんは「お前やってくれたな」と言いたげに眉間に皺を寄せていた。


「今度は真面目に解こうね。分からないところは私が教えるから」


「春原さんって頭いいの?」


「そこそこかな。高校の定期試験はまだ受けたことないから分からないけど、一般入試の点数は十位以内には入ってたくらい」


「ガチの天才じゃん……」


「まず、一番上の問題から解こうか。中学校で習った基本的な方程式の問題だよ」


「それくらい分かってるよ……」


 そうは言うものの、紅葉さんは問題を見つめたまま一向に手を動かそうとしない。


「分からないの?」


「そそそそんなわけないだろ!!万物を見通すボクのジャッジメントアイによれば……この問題は……えっと、ええと……十八!!!」


「X²-6X+5=0、(X-5)(X-1)=0、X=5,1だよ。甚だしく簡単だね」


「嫌味かよ!」

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