夏準備
藤泉都理
夏準備
爪を切った。
白い部分をイチミリメートル、またはそれ以下の短さだけ残す。
飲食店の厨房で働き出してから、短く切り揃えなければ落ち着かなくなってしまったのだ。
「よし。さあ行くか」
日焼け止め、日傘、長袖、マスク。
準備万端で紫外線も風も溢れる外へと飛び出した。
新しく買ったのは、空色のペンキと空色のボールペンのインク、そして、赤ワインだ。
帰って来てついつい手を伸ばしてしまった、ツナ、卵、ハムとキュウリの三種類の一番安いサンドイッチを食べて水分補給もしっかり行い、早々に庭へと出た。
所々剥げている白くて足も低く小さな、庭の木の椅子の塗り替えだ。
庭の影がある部分で手袋をして椅子の下に新聞紙を地面に敷き、家に置いてあった刷毛で豪快に木の椅子の塗り替えを行う。小さいのであっという間に終わった。
うんうん、爽やかだ。
職人のように滑らかではないけれど、まあ、手作り感があってよし。
満足して、次の作業へと向かう。
「ああ、いい匂いだ」
買って来た赤ワインも家にあったトマトもふんだんに使ったスパゲッティソースの匂いと、ぐつぐつと煮える音を聞き、食前酒の赤ワインをちびちび飲みながら、空色のインクを入れ替えたボールペンで手帳に【庭の木の椅子の塗り替え完了】と書いた。
うんうん、爽やかだ。
手帳を本棚に戻し、小さなワイングラスを持って火を止めに行こうとした時だった。
小指の爪の半分が空色に染まっている事に気づいた。
ペンキだ。
手袋はきちんとしていたはずなのに。
他にもついていないか、手をくまなく見たが、その小指だけだった。
摩訶不思議だなあ。
火を止めて、スパゲッティの麺を笊に入れて湯切りし、お皿に盛りつけて、たっぷりスパゲッティソースをかけて、庭が見える窓の近くで座る。
爽やかだなあ。
小指を見て、手帳に記した文字を思い返して、木の椅子を見て、ゆっくりとスパゲッティを食べた。
トマトの甘酸っぱさを赤ワインがより濃く引き出していて、とても美味しかった。
「あーーー。早く夏が終わらないかなー」
ついつい言ってしまった。
まだ始まってもいないのに。
(2023.5.11)
夏準備 藤泉都理 @fujitori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます