第6話 給食戦線異常あり⑥
次の日から他のクラスメートに交じって虹心も会話に入るようになった。
磯村くんも田嶋くんも安心したような表情を向け、虹心もぎこちないながらも、会話を楽しんでいるようだった。
そんな紗和や虹心をじとっとした深淵をまとった視線を向けている同級生がいることに、早々に気づいていた。
その場から逃げるように廊下を出たのに気づき、紗和も教室の外に出た。
「―—―みのりちゃん」
階段を降りようとしたところに、声を掛けた。
みのりは疾うに気付いていたのか、そのまま何も言わずに振り返りもしなかった。
「思った通りの展開にならず、気に入らなかった?」
「……嫌な言い方するんだねぇ、紗和ちゃん」
ゆっくりと振り返り、みのりは手すりの傍の壁に背中を預けた。
「あの女が携帯の内容を全部喋ったんでしょ?自分の中で消化出来ずに苦悩して、そのまま学校来れないようになるのを期待していたんだけどなぁ。紗和ちゃんがうまくいい方向にまとめることが出来るなんて思わなかったよ」
「あまり私と、虹心ちゃんを見くびらないで」
紗和の強い口調に、みのりは一瞬悲しそうな色を浮かべた。
「……今となっては、信じてくれないと思うけど、私はずっとずっと紗和ちゃんと仲良くなりたいって思っていたんだよ。だから、虹心ちゃんがいなくなってくれればいいと思ってた。紗和ちゃんは私とだけ、仲良くなってくれればいいって、思ってた」
「私と、虹心ちゃんとみのりちゃんの三人と仲良くすれば―――」
「嘘!そんなの嘘!紗和ちゃんは心の底では私も虹心ちゃんも面倒だなぁって思ってる。仕方ないなぁって思って、付き合ってる。でも、人と人ってそんなもんだよね。本心で付き合ってたら疲れるだけだもん。短い間だったけど、仲良くしてくれてありがとう」
「みのりちゃん!」
みのりはそのまま早足で下に降りて行ってしまった。
そして、その日はそのまま教室に戻ってくることはなく、しばらくは保健室登校をする旨を先生の口から告げられた。
(みのりちゃんに、見透かされていた)
今日の給食はしょうゆラーメン、むしぎょうざ、もやしの中華和えだ。食べなれているラーメンに落ち込んでいるわけではないが、先ほどのみのりの言葉がずっと澱のように残っていて、紗和は目の前の献立を前にあまり意気揚々とはなれなかった。
「神崎さん、大丈夫?具合悪いの?」
磯村くんの言葉に、紗和はふるふると首を振り、力を振り絞って笑みを浮かべた。
今は磯村くんの魚舌症候群の改善に向けて、紗和はサポートをしなければならない立場だ。一食一食に賭けている磯村くんに、申し訳ない。
「大丈夫。今日は、むしぎょうざだね。昨日、餃子を包んでみたんだよね?豚のひき肉をイメージしてみようか。今日は魚のすり身にならないといいけど……」
「昨日、神崎さんのお父さんと練りこむところからやってみたから、ひき肉のイメージは出来てるよ。ただ、魚のすり身と食感は似ているんだよね。そこから肉単体の味として乖離させないと、味が一緒くたになっちゃうかもしれない」
「大丈夫だよ。田嶋くんが美味しそうに食べていたでしょう。あのことも思い出しながら食べてみよう」
二人はそれから黙ってゆっくりと咀嚼した。まだ感染症の風潮が濃い中、会食形式に机を向かい合わせにして給食を食べていないが、少しずつおしゃべりをしながら食べている人たちも多い。
でも、向かい合わせに給食を食べたら、周りの子たちに会話が聞かれてしまうので、このまま隣り合わせで磯村くんとちょっとした作戦会議をしながら食べていける方がありがたい。
それに、何だか最近磯村くんが目を見て話しかけてくれことが多い。それはとても嬉しいことなのだが、何だか前よりも目をまっすぐに合わせることが気恥ずかしい。
だから、隣のまま、磯村くんが味わいながら食べている姿を、こっそりと目の端にいれることぐらいがちょうどいい。
紗和はそう感じているのである。
磯村くん、紗和、虹心、田嶋くんの四人で帰り道を歩いていた。
最近、この四人で帰ることが多く、磯村くんと田嶋くんも二人で顔を寄せ合って何か話している姿を、紗和は後ろから眺めていることが好きだった。
「最近、田嶋くん、磯村くんと話すようになってから表情が明るくなったよね」
虹心が紗和の耳元でこそっと囁いた。
それは紗和も感じていた。田嶋くんは休み時間も帰りもずっと一人で本を読んだり参考書を眺めていたりしていて、ずっと苦しそうな表情で何かに追われているようだった。
だけど、紗和の家で餃子を作ったりしてから、よく話しかけてくれるようになったし、家族で紗和の店に食べに来てくれることもあった。長い髪を一つに結んで、黒ぶちの眼鏡をかけて、休日にもかかわらずぴしっとした黒のパンツスーツを着ていた母親は訝し気に店の中を覗いていた。一緒に来ていたぽっちゃりとした柔和な雰囲気の父親に背中を押されて、恐る恐る店内に入ってきた。餃子を作ったことや、チャーシューを切ったことなどを楽しそうに口にする息子に、母親は優しい眼差しを向けていた。
店を出る際に、母親はしきりに紗和と紗和の家族に頭を下げてお礼を述べた。「あんなに楽しそうにご飯を食べる幸成は、初めて見ます。ありがとうございます」と、涙を浮かべながら口にしていた。
磯村くんも、クラスメイトと接することはあったが、一線置いて接していることが多く、休み時間などは一人でぼーっと窓から外を眺めていることが多かった。紗和もそうだ。毎日を無為に過ごし、教育や給食を当然とばかりに享受し、残り物として出されるラーメンや餃子にため息をつきながら口にしていた。そんな、当たり前のようで、当たり前に過ごせることの有難みを、全く感じることなく私たちは過ごしていた。
磯村くんにとっては一大事と言える今回の出来事で、紗和は今まで蓋をしてきた自分の感情と向き合えことが出来たし、虹心とも本音でぶつかることも出来た。まわりの人たちや環境によって、自分たちは生かされている。そして、それをきちんと受け止めて感謝しなければいけないと思えるようになった。
みのりとも、いずれきちんと話し合いたい。
「神崎さん?」
虹心と田嶋くんと別れ、紗和は磯村くんと二人で歩いていた。
「……明日はポークカレーだね。カレーって、なんで皆に人気なんだろうね?家でも食べなれている味で、むしろ給食のカレーの方が大分甘口なのに」
「カレーは父さんが好きだから月に何度かは母さんが作ってくれるけど、父さんに合わせた味だからいつも辛いんだよね。ジャワカレー辛口一択。俺はほとんど食べられない」
「そうなんだ?私の家はあまりカレーは出ないかなぁ。だから、明日のカレーが凄く楽しみ」
「今日のむしぎょうざだけど、何だかいつもと違う味がしたんだよ。魚とは違う、繊維っぽい感じが……」
「それ、お肉の感覚なんじゃない?ちょっと近づいてきてるかも!」
紗和が磯村くんの方を振り向くと、西日の光で表情がよく見えなかった。磯村くんは紗和から一歩後ろ下がると、俯き加減で何か口にした。
「何?」
「……いや、何でもない。ちょっと、顔が、近かったから」
「え?聞こえない」
「うん、また明日!」
磯村くんは腕で顔を隠しながら、逆の手を上げて足早に去って行ってしまった。
「……?」
磯村くんの顔の色が西日と同じ色をしていたように感じたのは、見間違いだったのかもしれない。
魚とは違う感触、魚舌症候群解決の糸口が掴みかけているのかもしれない。
ゴールが近づいてきている、それはとても嬉しいことであるはずなのに、紗和の心には一抹の寂しさが残っているのも確かだった。
(磯村くんにとって、いいことのはずなのに―――)
肉の本来の味が感じることが出来れば、磯村くんが紗和と話す必然性もなくなってしまうのではないだろうか。でも、磯村くんのことだから、話しかけてくれなくなるとか、急に関係性を変えようとすることはないはず。
そう、思いたい。
紗和は不安に心が潰されてしまいそうな気がして、ぎゅっと拳を握りしめた。
そろそろ、給食戦線離脱が近いのかもしれない。
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