第5話 給食戦線異常あり⑤
「あら、紗和?どうしたの?」
母の美和子がお店の入り口から顔を覗かせて動かない娘に不思議に思ったのか、引き戸を開けた。
「煌くん!?あら、久しぶりじゃない。大きくなったわねーもう一人の子も、クラスの子かしら?」
田嶋くんはもじもじと手の平をこすりつけていたが、顔を上げて
「田嶋幸成です。神崎さんと磯村くんの同級生です。お仕事が落ち着いている時間帯にすみません」
と挨拶をした。
「紗和が虹心ちゃん以外のお友達を連れてくるなんて珍しいわね。準備中だけど、どうぞ」
「お邪魔します」
磯村くんと田嶋くんは珍しそうに店内をきょろきょろと見渡していた。
「僕、こういう個人商店に入るの初めてだよ!外食することもあまりなくて、ママ……お母さんが大体手の込んだものを作ってくれるし、食事に関しても、着色料とか添加物とか気にしてるから外食そのものを嫌っているところがあるんだよね」
「俺も神崎さんの家で食べるのって初めてかも」
「お母さん、磯村くんが仕込みとか餃子の包んでいるところとかちょっと見させてほしいんだって。大丈夫?」
「あ、ぼ、僕もお願いします!」
「―—―よーし、じゃあおじさんがゴリララーメンを教え込んであげよう」
店の奥からゴリラに見まごうばかりの巨躯がぬっと姿を現した。田嶋くんはその大きさに怯えたのか一歩後ろに下がったが、磯村くんは慣れているのか不動のままだった。
「おじさん、お久しぶりです」
「煌くん、久しぶりだね。君は田嶋くん、だったね。二人共あまり時間がないから倍速で行くよ。まずは自分の目で確認してみようか」
紗和はカウンター越しから二人の奮闘を見届けることとなった。
「紗和、どうしたのよ急に。二人もボーイフレンドを連れてくるなんて」
美和子が楽しそうに笑いながら紗和の耳元で囁いた。
「ボーイフレンドって……別にそういうのじゃないんだけど。ちょっと今磯村くんの給食における悩みの対策中なの」
「対策?煌くん、そんなに偏食だったっけ?」
「うーん、嫌いなものはないんだけど、舌に肉を拒まれているっていう珍しい現象に陥ってて……」
「何なのそれ?」
母と会話をしながら紗和は父と餃子を包んだり、煮込んだチャーシューを均等な厚みに切ったり、教室で普段から大きな声を立てない二人が、鼻の先に白い粉をつけながら笑いあっている姿を見るのはとても微笑ましいものがあった。
最後にラーメンと餃子を食べると二人は「おいしーい」と同時に声を上げ、紗和たち家族は顔を見合わせ笑いあった。
なんて楽しくて幸せな時間なんだろう。
幸せで、紗和は向かい合うべき問題をすっかりと忘れてしまっていた。
「神崎さん、本当にありがとう。凄く美味しかった。今度はママとパパも誘って食べにくるよ」
「うん、ありがとう。待ってるね」
「神崎さん」
磯村くんが紗和の耳元に顔を近づけてきたので、紗和は一瞬どきっと胸が高鳴るのを感じた。
「一から作ってみたけど、やっぱり肉の味はしなかった。魚のすり身の味だったけど、それでもそれで凄く美味しかったよ」
「えー何二人でこそこそ内緒話してるのさー」
田嶋くんの揶揄う声に「そんなんじゃねぇって」と磯村くんは慌てて弁明した。
「じゃあ、俺は田嶋くんをマンションまで送っていくから、また明日学校で」
「二人共、待たね」
磯村くんと田嶋くんは暗い夜道の中、街灯の光の下大きく手を振っていた。
紗和も大きく手を振り返した。
家路に着こうと踵を返した時だった。目の前の電柱の陰から自分をじっと見つめている陰に気づいたのは。
「虹心ちゃん……」
「みのりちゃんの言うとおりだったね。紗和ちゃんは始めから私やみのりちゃんとは仲良くしたくなくて、磯村くんや田嶋くんと一緒にラーメンを作って食べるなんて。私だってそんなことしたことないのに」
「どうして知ってるの?」
虹心はすっとポケットからスマホを取り出して画面を突き付けた。
「みのりちゃんが教えてくれたの。『今、紗和ちゃん家に磯村くんと田嶋くんが来てて一緒にラーメン食べてるよ。虹心ちゃんにちゃんと謝りもしないで男子と楽しそうにそんなことするなんて酷いよね』って」
みのりちゃんが後をつけて店のドアから中を窺っていた?
その事実を知り、形容しがたいぞぞぞという悪寒が体を巡った。
それと同時に、みのりのその言葉を紗和の真意のように真っ向からとらえて疑わない彼女の狭い了見に呆れも感じてしまった。
紗和はすうっと息を吸い、
「虹心ちゃんは、みのりちゃんの言葉を全面的に信用するの?」
一気に言葉を紡いだ。虹心は紗和のその対応に一瞬たじろいだようだった。
「前にも言ったけど、トイレに行くから先に帰ってって嘘を言ったのは本当に悪かったと思う。だけど、それは磯村くんと少し話をしたかったらついた嘘だったの。虹心ちゃんに本当のことを話したら何を話したいのって細かく訊いてくるでしょ?」
「―—―何その言い方。紗和ちゃんが何を訊きたいのか訊いちゃダメなの?」
「小さい頃から仲が良くても、何でもかんでも話さなきゃいけないって、私のプライベートは全くないってことだよね?秘密にしたいことの一つや二つや虹心ちゃんにだってあるでしょう?」
「……」
「あと、私は磯村くんや田嶋くんとも話しててとても楽しかった。他のクラスの子たちとも色々な話が出来てとても楽しいなって思えてる。だから、虹心ちゃんやみのりちゃんだけじゃなくて色々な子たちと色々な話をしたいの。それは、私のわがままなのかな?」
虹心はぎゅっと唇を噛みしめて、スマホを掲げた腕を下した。
そして、ぽろぽろと両目から涙をこぼした。
「……分かってたの。紗和ちゃんを独占したくてみのりちゃんの存在も本当はうざったくて、磯村くんや田嶋くんや、紗和ちゃんに近づいてくるクラスメートの子たちもすべてにイライラしてるって。紗和ちゃんは小さい頃から私のあこがれで大好きで、お姫様で、私は紗和ちゃんにとっての一番の存在でいたくて、わがまま言って困らせてた。私の方こそ、紗和ちゃんに謝らないといけないのに」
うえっうえっと嗚咽をあげながら虹心はその場で泣き続けた。
紗和は虹心に近づき、頭を撫で続けた。
「あーやっと本音で話せた。ずっと虹心ちゃんに話したかったの。私もずっと虹心ちゃんの視線から目を背けててごめんね。またこれからも友だちでいてくれる?」
「―—―いいの?」
「虹心ちゃんさえ良ければ」
虹心は涙で目のまわりを真っ赤にしながら何度も何度も頷いた。
「……今わかった。紗和ちゃんはお姫様じゃないや。私の、王子様だ」
「えー王子様なの?」
紗和と虹心は顔を見合わせながらくすくすと笑い声を立てた。
そして、二人は手をつないでゴリララーメンの並ぶ商店街へ向かって歩いて行った。
(さて、問題は―――)
紗和は話すべき相手を思い浮かべながら明日へと思いを馳せる。
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