第4話 給食戦線異常あり④

今日の献立はご飯、わかめとジャガイモの味噌汁、鯖の味噌煮、こんにゃくサラダだ。

私は味噌汁の入った丸缶の前に立った。少し遅れて給食着の帽子を両手で直しながらみのりが紗和の横に立った。

「紗和ちゃん、汁物よそうの苦手でしょ?変わってあげようか?」

みのりの言葉に紗和はびっくりして顔を上げた。

マスクをしていたのでみのりの表情がよく見えなかったが、目が逆三日月の形をしていた。

「みのり、ずっと前から気付いていたよ。手元が覚束なかったし」

みのりの言葉に紗和は体がかっと熱を帯びるのを感じた。

何故、この時にこのタイミングでみのりは口にしたのか。席は離れていたが、虹心がこちらの様子を窺っているのをひしひしと感じ取っていた。

「……ありがとう。でも大丈夫」

「そう」

みのりは拍子抜けしたようにそれ以上は何も言ってこなかった。

紗和は目の前の器とおたまに集中し、言葉にできないこの雑念を消そうと必死で唇に力をこめた。


「手を合わせて、いただきます!」

「いただきます!」

お肉の要素がない給食が始まった。

紗和は鯖の味噌煮がとても好きだ。母は焼き魚は作ってくれるが、あまり煮魚は好きじゃないようで食卓に出ることはほぼなかった。父もそれは同じらしい。

紗和の通っていた保育園の給食で鯖の味噌煮や銀だらの煮つけなどの煮魚は園児に人気で、食べる勢いが違うと先生たちは驚いていたのを覚えている。

でも、磯村くんは食べなれているせいかあまり箸が進んでいないようだった。

覇気のない表情でもそもそとご飯と味噌汁ばかりを交互にゆっくりと食べている。

「磯村くん、トレース、してみた?」

「何のトレース?」

「肉の情報を鯖の味噌煮に転写させるの。味のイメージが付かないんだったら、形姿をまずは魚の上に載せてみる。鯖の味噌煮の情報はもう嫌というほど叩き込まれていると思うから、これは鯖じゃなくて肉だ、肉の味がするって自分の中で見立ててみる」

「……難しいな」

「『食べたってどうせ魚の味だし』って最初から思って諦めちゃうと、いざ肉が献立に出た時もそういう気持ちの持ちようになっちゃうんじゃないかな?魚に対してまずは見立ててみて、その肉に思い込む要素を肉が出た時にも応用していたら―――?」

磯村くんは紗和の提案に訝し気に眉を下げていたが、徐に鯖に箸を伸ばし始めた。

箸で魚の腹の部分をほぐし、口に運んで咀嚼する。

その一連の動きが、紗和には何故だか神々しく映った。

どうか、もし鯖の神様がいたならば。

普段から魚の味が舌に強く残ってしまう磯村くんに、この給食の時に少しでも肉に見立てることをお許しください。

紗和はいるのか分からない偶像に思いを馳せた。

結果としては、やはり鯖の味しかしなかったようだった。

磯村くんは肩を落としながらも、どこか憑き物が落ちたかのようにさっぱりしていた。

「なんか、肉に見立てるって考えたことなかったからさ。そういう考え方もあるんだって、勉強になったよ。家でも魚づくしで給食でも魚だと朝から絶望的な気持ちしかなかったからさ。ちょっと給食に楽しみを感じられた」

だから、ありがとうと磯村くんは照れたように口にした。

紗和は一か八かの提案を磯村くんが思いの外受け入れてくれたので嬉しかった。

その時、背中に視線を感じて紗和は後ろを振り返った。

掃除用具入れの前に虹心が佇んでこちらを見ていた。その目には怒りではなく、とてつもない悲しみの色が映っていて、紗和は注視できずに目をそらしてしまった。

(何で、虹心ちゃんがそんな目をするんだろう……)

虹心には無視をされて、みのりには言いようのない情けをかけられて、紗和は自分は何をすればいいのかどういう行動をとればいいのか分からなくなっていた。

正直、ずっと紗和が他の子と仲良くするのを拒んでいた虹心とその虹心と毎日のように言い争いをしているみのりが離れたことで他のクラスメイトと話すきっかけが出来たので日常が穏やかになったと思っている。

磯村くんとも、魚舌症候群を打ち明けてくれたことで卒園以来久々にこうして話すことが出来ている。

だけど、このままもやもやした状態で毎日を過ごすことも心のどこかで良くないことだと分かっていた。

(疲れるけれど、どうにかしなくちゃ……)


2戦0敗。

肉、魚と続いて明日は中華がメインの給食だ。

紗和は下駄箱で上履きから靴に履き替えていると、「神崎さん」と声を掛けられた。

後ろを振り返ると田嶋くんが立っていた。

急いで走ってきたのか額には汗が光っている。

「最近、勉強が身に入っていないようだけどどうしたの?僕は、神崎さんに勝ちたい一心で毎日必死に勉強しているのに、神崎さんはいつもより集中できていないみたいで、全然丸付けプリントにも早く並ばないし、どうしたのかって……」

田嶋くんは早口で一気に喋ったせいかはぁはぁと息苦しそうにしていた。紗和が何も言わないでいると、「長谷川さんたちとのこと?」と口にした。

「よ、余計なお世話かもしれないけど、最近長谷川さんたちと一緒にいないからそのせいかなって……」

あ、やっぱり気が付いていたんだ、と紗和は思った。

それと同時に、いつもは紗和が一番に並ぶと悔しそうに顔を真っ赤にしている田嶋くんがわざわざ走ってきて気にかけてくれることに嬉しくなった。

「ありがとう、田嶋くん。そんなんじゃないよ。そんなんじゃなくて―――」

紗和は言葉が紡げずに下を向いた。

「うん、もちろん、このままじゃいけないって思っているんだけど……」

「それじゃあ本人に訊いてみればいいんじゃない?」

第三者の声に紗和は顔を上げた。田嶋くんの後ろに磯村くんが立っていた。

「神崎さんがもやもやしているのは知ってるよ。田嶋くんも、他のクラスメイトだって気付いているだろうし。だけど、解決していくのは俺たちじゃなくて神崎さんたちなんだよ」

田嶋くんは磯村くんの登場に所在なさげにおろおろとしていた。

「そもそも、神崎さんたちの仲に亀裂を入れさせたのは俺が原因だし、給食のことではお世話になってるし、何かお礼をさせてほしい」

「別にお礼なんて……」

「あのさ、明日の給食中華じゃん。神崎さんの家で明日の予習させてほしいんだ。もちろん、お金は払います。田嶋くんもこれから神崎さんの家のラーメン食べに行こうよ。俺、お小遣い貯めてるから奢るし」

「え!?駄目だよ、小学生が寄り道するなんて!ママにラーメン食べてきた、なんて話したらショックを受けて倒れちゃうよ!」

田嶋くんは顔面蒼白でおろおろし始めた。

「多分、お店準備中だから大したものは用意できないと思うけど……」

「大丈夫!あと、俺、どうやって餃子とかラーメンの下ごしらえするのか、そのやり方もこの目で見たい。肉料理の過程を知るのも、大事じゃないかと思うんだ」

磯村くんがこんな強引な子だったとは、と紗和は新たな一面に感じながらも気持ちが高揚していくのを感じていた。

「分かった。田嶋くんも良かったらラーメン食べていって」

「う、うん―――」

「田嶋くん、大丈夫だよ。田嶋くんの家、駅近の8階建てのマンションだろ?帰りに俺が送って行ってお母さんに事情を説明するから」

「本当?ありがとう、磯村くん」

「同級生とラーメン食べるの、夢だったんだよね」

磯村くんは腕組みをして高らかに声をあげた。

明日の第3戦目に向けて給食戦略を練るために紗和たちは三人で一緒に昇降口を出た。






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