第5話

小学校の卒業式の時に、同じ中学にいくことが分かって、飛び跳ねて喜びあった。私たちはゆっくりと距離を縮めていった。関われば関わるほど、みなには短所がないような気がした。近所の子どもや大人に好かれていて、親の手伝いをちゃんとして、誰からも愛されるような奴だった。みなを嫌うのは、多分、心が醜い奴だけなのだ。だってみなは悪いことなんて何もしない。悪い考えさえ、一瞬だって頭に浮かべることができないんだから。

図書館に行く。相変わらず人気がない。誰も本なんて読まないのだろう。しばらく歩き回って、適当な本の頭をそっと引き寄せる。表紙を見てみる。いくつか、素敵だと思うデザインがあった。でもほんのあらすじを読む気には、なんとなくなれなかった。

一番奥の棚をそうっと覗いた時、誰かがいるのが見えた。それがもし、見知らぬシルエットだったなら、私も気に留めなかった。ただ、一つに括った髪の毛の位置や、ふくらはぎの形を、私は知っていた。みなが泣いている。多分あれは、小説を読んで泣いているふりをしている。しゃくりあげる声だけが闇の中から響いてくる。つま先が自然とそちらを向く。助けられないだろうか、私で。

きっとみなの涙は止まるだろう。私が闇の中に入っていけば。私が許せば、みなは笑顔になるだろう。そうして可哀想な信者みたいに、私と同化するんだ。それはとても魅力的で、全部が私の好き勝手にできる世界だ。

一歩、踏み出しかける。すると男の声が聞こえた。

「どうしたの、みなちゃん」

みなが顔を上げた時、涙の雫まではっきりと見えた。それがなぜだか私の胸の奥にぐさりと突き刺さる。身体が、がっと熱くなった。一体どうしたというのだろう。私は傷ついていた。みなが傷ついていることと、彼女が別の人、知らない男に助けられそうになっていることに。自分でもよくわからなくて、慌てて隣の棚の影に隠れる。しゃくりあげる息遣いと、やさしさを含んだ慰める声が、私のところに届いてくる。鬱陶しかった。

なんだ、みなは私じゃなくてもいい。私にはみなしかいないのに。

そんな馬鹿げた、思ってもなかったはずのことが急に胸の中にスッと浮かんでくる。自分でも気味が悪くて、驚く。こんなことを考えているわけじゃないのに、どうして急に、浮かんできたのだろう。

彼女だけは私を好きでい続けてくれるんじゃないかって。彼女はわかってくれるんじゃないかって。どこかでそうやって、信じていたんだろうな。どうしようもなくむしゃくしゃして、図書館を後にする。もう二度と来ないと誓った。

 みなは笑わなくなった。原因は私がいじめているからだ。わかっていた。誰もみなに話しかけなくなって、みなは本ばかりと向き合うようになった。本になりたい、と思った。

中学校に入ってすぐ、私は賞をとった。絵の賞だ。絵が上手いとは言われたことがあった。嬉しかった。私にも特別なものがある。家族に認めてもらえると思った。そしたら、みなは私より上の賞をとった。母親は、「みなちゃん、凄いのね」とだけ言った。ぶん殴りそうになった。それがいじめのきっかけだった。私ができないんじゃない。彼女ができすぎるのが悪いんだ。私が醜いんじゃない。みながきれいに笑うのがおかしいんだ。みなが悪いんだ。


 授業でのペアで、みなと一緒になることが増えた。それは少し不自然な頻度だった。今も理科の時間として、校庭に出て採取する植物を探している。

本当はみなを放っておいて誰かクラスメイトと駄弁っていようと思っていたのだが、なんと先生にすぐ見つかってしまった。先生の目がずっと私を責めているように思えて落ち着かなかった。仕方なく二人で、誰もいない廊下を歩いていく。お互い何も喋れない。

「あのさ、ちょっと聞いてもいいかな」

予感はしていた。みなが私におずおずと話しかけてくる。どんな顔をすればいいのかわからなくて、私は返事もせずにずんずんと歩いていく。校庭まであと少しだ。着いてしまえばあとは植物を採取するだけ、別にみなの質問に答える義理なんてない。

「私のこと、嫌いなの?」

みなは立ち止まったようだった。私たちの間の距離が段々開いていく。背中に強い視線を感じても、私は足を止めない。止められない、今更。

校庭にさえたどり着けば余計なことなんて考えなくていいのだ。

「ねえ」

後ろでみなの泣きそうな声がした。あと少し、あと少し。

「まーちゃん」

ふと足が止まる。

「まーちゃん」

掌を握り込む。赤ん坊が母親を呼ぶみたいなその哀れっぽい声が、私の苛立ちを積み上げていく。

「ま・・・」

「うるっせえんだよ!」

親父みたいに怒鳴っていた。

「嫌いだよ、大っ嫌いだよ。だからいじめるんだよ、あんたなんかいなくなればいいんだよ。あんたがいるから私は、家でも何かと比べられてホント迷惑してんだよ。全部全部あんたのせいだ」

 言い終わってから、自分が何を言ったのか理解して身体中がぞわりとする。顔を上げることができなくなって、私は歩きだす。とっとと植物を採取して帰りたかった。みなが、私の後ろをずっとついてきているのが気配で分かった。啜り泣いているのも、音でわかった。私はごくりと唾を飲んでいた。息を吐く。胸の中がもやもやと渦巻く。でも、どうしようもない。今更振り返って、悪かっただなんて言えるわけがない。みなが泣いている、私がみなを泣かせたと言う事実に、むしゃくしゃさせられる。

「ごめんなさい」

小さく聞こえた。

「ごめんなさ、ごめ・・・」

鼻をぐすぐすと啜る音、その中で必死に紡がれようとする謝罪の言葉に、いよいよ居た堪れなくなってきて、自分で自分を洗脳したくなる。みなは、本当は全然傷ついていないのだ、嘘泣きをしてるんだ。私に泣かされたってことが広まって、いじめられなくなることを望んでるんだ。そんななんの根拠もない考えを自分の脳みそに押し付けた。そうでないと、この状況が恐ろしくて悍ましくて、耐えられなかった。

 

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