22
リンネの寝顔に目をやると、まだ涙の筋が残っていた。グレーはそれを自身の指で拭う。
グレーは、幼い頃に教えてもらった神話を思い出した。
まだ髪も黒く、体も自由だった頃、温かいベッドに入って母親の柔らかい声が奏でる物語に心を奪われていた。話が中盤になると、母親は急に声色を変えた。天使様の物語に入った所だった。
「この世界にはたくさんの宇宙があって、ある天使様は世界中の死期が近い人を天の神様のところまで連れていってくださるのだけれど、その天使様には一つ、とても困ったところがあるのよ」
小さかったグレーは母に向かって、なになに?と話の続きをせがんだ。すると、部屋の暗がりから急に父親が出てきて、怪談を話すようにおどろおどろしく囁いてきた。
「なんと、その天使様は実は人間のことが大嫌いでね、綺麗な魂を持っている人を、神様に捧げるために無理やり天に連れていっちゃうのさ!」
小さなグレーの身体に衝撃が走る。父親は悪戯っぽくケタケタ笑いはじめ、母が父を叱った。
「子供に話すのはそっちじゃないでしょう!」
「だけど、こっちが元々の方じゃないか」
今思えば、きっと天使様にまつわる神話は二パターンあったのだろう。一つは、子供向けのもので、もう一つが、父が言った怖い方だ。そして、その怖い方が、本当の神話だったのだ。
グレーは当時天使様のことが恐ろしくなったあまり、しばらくは一人でトイレに行けなくなったことを思いだした。
天使様。五つの内のその一つだけがなぜそれほど人間を嫌っているのは定かではないが、幼かった頃のグレーは、その天使様を恐ろしいと思うだけだった。嫌いになったのは、もっと後だ。
グレーは、計画を頭の中で反芻していた。相変わらずうまくは眠れない夜中も、太陽が昇りかけてスカイの朝食を作り始めた時も、ベッドの側でスカイの細い身体を拭いてやる時も、ずっと考えていた。なすがままで一言も喋らないスカイに、絶対に助けてやるからなと強く言葉をかけた。弱気な本音が表情に現れてはいなかったかと心配したが、そもそもスカイは目も開けないので、杞憂だった。
そして今夜もおかゆは一匙も減らなかったし、スカイはベッドに横たえられ毛布をかけられて、死んだように眠りについている。しかし、一つだけ変わったことがあった。グレーの瞳だ。グレーはいつもするように、眠ったスカイの側でじっとしていたが、頭はこれ以上にないほど回っていた。どうすれば天使を出し抜けるのか。どうすればスカイを助けられるのか。どうすればまた失わずに済むのか。頭の中にあるのはそれだけで、グレーはそれが、自分が長年望んできた状況だということにさえ気づかなかった。今まさに、グレーは戦場のことも悪夢のことも、あの少年のことも頭から追い出すことができていた。
・丘の上の元軍人から老爺への手紙
【
今までありがとう。
病人の看病なんてしたことがなかったから、色々世話になった。
後数日で聖の日が来る。
戦争のおかげだなんて書くのは本当に嫌なんだが、
おかげで傷つけることについてはよく知っている。
やれることは全てやった。
計画も練った。
天使と戦うのは初めてで少し緊張している。
・・・冗談だ。
笑えないか?
じゃあな。
生きていたら、改めて礼を言いに行く。 】
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