15

グレーの閉じられていた瞼が、ぴくりと痙攣した。頭の中で彼の最後の微笑みが映っていた。目を開ける。グレーの足先が震えた。何度も会いたいと願ったあの少年が、微笑みつつこちらをじっと見ている。現実の世界に、いる。

その目は昔と同じように、優しかった。すすめ、と少年は口元だけで囁いた。


気が付くとグレーは、市場の入り口にいた。目の前には左右にずらりと屋台が並んでおり、絶望や苦痛に満ちた顔ばかりが、忙しなく行ったり来たりしている。グレーのぼろぼろの身体は車椅子にすっぽりと収まっていた。岩肌のごつごつした鈍い痛みも、嘘のように綺麗さっぱり消え去っている。どうやって岩の山を降りきって入り口までたどり着いたのだろう。

下半身不全が精神的なもので、命の瀬戸際というイレギュラーな状況になったために動くことができたのだろうか。それとも不思議な力がグレーを助けてくれたのか。本当のところはわからなかったが、グレーはあの少年が自分の頭をわしゃわしゃと掻き乱した感触を、指が髪を梳いた時のささやかな音まではっきりと、思い出していた。

 人々がたてる砂埃が目に入るのが少々面倒だったが、グレーは車椅子のまま市場の砂道を進んでいく。注目を浴びるかと思っていたのだが、人々はグレーに目もくれなかった。低い座高のせいで気づかなかったのか、それとも戦争で五体満足でなくなってしまった人間がちらほら見られるからなのか。その訳を深く考えるのはやめた。

しばらく進むと、腐臭のする魚屋と雑貨屋の間に、見るからに怪しいテントが張ってあるのを見つけた。つい、入り口前の木製の看板を目で追ってしまうと、グレーはハッとした。【祈祷/神に助けをいただく地】。

胡散臭いと思いながらも、もうそのテントを見なかったことにはできなかった。

 夜明け前のような紫のテントを潜ると、そこには厳しい顔をした老人達がいた。みんな一斉にグレーを睨みつけるも、道を開けてくれる。グレーはきんと耳の奥で金属音がして顔を顰める。老人達は皆黒いローブを着ている。グレーは通されるままに進んだ。一番奥に、この中でも一番皺だらけの老爺が座っているのが見えた。老爺は鉄の椅子に座ってテーブルについていて、目の前には白い水晶があった。老人達は円形になって二人を取り囲む。これでグレーはどこにもいけなくなった。テントの中は美味しいチーズのような、素敵な香りがした。

「入って良いと言われたか?恩知らずのたわけ者め、恥を知れ」

老爺は見かけによらずハキハキとものを言った。グレーは少しムッとしながら耳の穴に指を突っ込んだ。耳鳴りが強くなってきたのだ。

「誰も止めなかったぞ。俺が入ってきても」

グレーは老爺の後ろにもいる老人達を軽く睨んでみる。怯む老人も、さらに睨んでくる老人もいた。彼らにはこの、頭の割れそうな耳鳴りがしないのだろうか、とグレーは質問したくなった。老爺はグレーが苦しげに頭を押さえていることに、ニヤリとした。

「ひどい耳鳴りがするんだろう、よかったな」

周囲の老人達も、くすくす笑い始める。おめでとうと笑顔を向けてくる老人さえいる。グレーは冷や汗を流しながら、呻いた。言い返す余裕もなかった。

「神様がお前に力を貸してくださるというサインだよ」

老爺は片手をスッとあげる。老人達のざわめきが一瞬にしてとまる。すると、グレーの脳内に何者かの声が直接響き始めた。それは耳鳴りに代わってグレーの頭をぎゅうぎゅう締め付ける。

声は話を始める。

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