12

家の外壁を通り過ぎると、ゴツゴツした岩の下り坂が一面に広がっていた。この丘は岩山の上に成り立っているのだ。

まずは、目下に現れた比較的なだらかな岩に乗り上げた。車椅子が不安定にガタリと揺れ、グレーは軽くよろめいた。そのままピタッと手が止まってしまう。首筋に汗が流れる。見下ろすと、急角度の無数の岩が遥か下まで続いていた。丘の上からは見えるはずの、細々とした市場の建物は、険しい岩に隠れて、グレーからは見えなくなった。

グレーは市場への道のりを知らなかったために、スカイやリンネが大変な思いをして市場から家まで食料を運んでくれていたということを、初めて知ったのだった。そういえば、二人とも丘の家に帰ってきた時には必ず首筋がじっとりと濡れていたっけ・・・。

 グレーは生唾を飲み込んだ。しかし、今更手が震えはしなかった。この時ばかりは、苛烈な戦場で覚えた恐怖を頼もしく思った。両手がゆっくりと、正確な量だけ車輪を回した。0.1歩分だけ進んだ車椅子は、岩に擦れてキキ、と悲鳴を上げた。亀よりもゆっくりと進んでいく。

空には気の抜けそうな、広々とした白い雲が漂っている。グレーにとっては生きるか死ぬかの戦いも、世界にとってはちっぽけなことなのだと思うと、なんだか悔しくなる。

 神経をすり減らして、どうにか三分の一まで進んだ頃だった。ぜえぜえ息を荒げながら、グレーは眩暈を必死に堪えていた。シャツの中は汗でびっしょりになってしまって、頬が燃えるように上気していた。岩の下り坂を、車椅子の車輪を回して進んでいるのだから、無理もないことだった。もしも道ゆく人がいたらグレーが着実に坂を進んでいることに拍手をしてくれるだろう。

「ぐ、うう」

歯を食いしばっても呻きが漏れるが、ここで休むことは出来ない。立ち止まれば一気にバランスを崩して、車椅子から落下して岩に体を打ち付けることは目に見えている。そんなことではスカイを早く助けてやれない、とグレーは思う。

 その時、雲の間からいきなり鋭い光が差してきた。今までの穏やかな空を考えると、その流れは天の悪戯としか思えなかった。

光の直線は、グレーの顔面に入ってきた。思わずぎゅっと目を瞑った拍子に、グレーの体は車椅子ごとがたんと揺れた。ひゅっと喉が鳴って、左半身が宙に浮いた。内臓がぶわりと押し上げられたような一抹の恐怖がよぎった瞬間、グレーの身体が車椅子から離れた。

ナイフのように冷徹な岩に打ち付けて、グレーの全身から血が滲み出す。

ズザザザとそのままなすすべもなく滑り落ちていけば、悲鳴も出ないほどの激痛が襲いかかった。止まろうとして手を伸ばしても、顔を岩の断面に打ち付けるだけだった。グレーの視界が赤くなった。目の中に血が入ったのだ。しばらくするとようやく体は止まった。  

しかし、上半身に広がるじくじくした痛みが収まらず、グレーはうつ伏せのまま立てなくなった。こんな時にまで痛みを感じられない下半身のことは、喜んでいいのか悲しんでいいのかすらわからない。

指を動かす。左が動かない。グレーの瞳から色が消えていく。

 

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