塀の前にしゃがみ込んで銃を撃っていた。

何かが、歪んだ。

グレーは悟った。歪んだのは自分の視界の方だ。凄まじい音の集合体が、頭上で交わり合っている。味方側と敵側の弾丸やレーザーが、飛び交っているのだ。

どうしようもなく身体中が熱い。恐怖のせいだろうか。隣にいた兵士が、塀から頭を出した瞬間、後方に吹き飛ばされていった。その振動で身体がビリビリと鳴る。

どうしてこんなことになったんだっけ。ぽつんと浮かんだ疑問だった。生きるか死ぬかという時に疑問が浮かぶなんてどうかしているのに、それは脳内にこびりついてしまう。自分はなぜこんなことをしているのだろう。

「死にたくない」

声は戦場に飲み込まれて自分にさえ聞こえない。


その時、頭上から柔らかい声が降ってきた。それは何度も、グレーの名を呼んだ。グレーの視界がぼんやりし始める。忘れられない戦禍の光景が、自分から遠ざかっていく感覚がした。

グレーは目を覚ました。身体中に、びっしょりと汗をかいていた。グレーの顔に被さる影があった。スカイが涙を目にいっぱい溜め込んでいる。

「またかよ、何を泣いているんだ」

呆れたように息をつけば、スカイは急いで涙を拭った。

「大丈夫?起きられる?」

スカイはこれ以上泣くまいと唇をギュッと引き結びながら、それだけを何とか言葉にした。

「大丈夫?」と泣いている人間に尋ねられて、大丈夫じゃないと言えるわけもない、とグレーは思った。そうでなくても、人に本音をぶつけられはしないが。

「お前って結構泣き虫なんだな」

グレーは、からかったわけではなくただ単に正直な感想を述べたのだが、スカイはにへりと笑った。その、ふやけたような気の抜けた笑い方は悪くないなと、グレーは一瞬思った。

スカイは、今まで泣いていた人間とは思えないほど早くいつものスカイに戻った。「おはよう、今日も蒸し暑いね」、「またリンネちゃんきてくれたらいいな」、そんな取り留めもない呑気なことを、伸びをしながら話し始めるのだ。グレーはこの人間のことがますますわからなくなる。


「うっわ、汗だくじゃないか」

スカイは急に押し黙った、と思ったら,朗らかに言った。

「もう夏なんだし,水浴びでもしようか」

嫌がるグレーの車椅子を押しながら、スカイは外に出た。太陽がギラギラと光を放っている。光がグレーの白い髪や衣服を通り抜けて肌に入り込んでくる。

「清潔にしておかないと、病気になってしまうかもしれないよ」

スカイは底の深いバケツを見つけて、家の中に戻って水道で水を汲んできた。

その間、グレーは、雄大な自然に驚いていた。蝉や虫たちが元気に鳴いている。よく目を凝らしてみると、家の奥側の森の方に小さなウサギや鳥がいるのが見える。

人間が争って、いくら傷つけられても自然は勝手に治っていく。最も強いのは自然なのだ、と感じた。

 スカイが戻ってきた。バケツ一杯に透明な水が溜まっている。ちゃぽんと音を立てながら、太陽に当てられて揺れている。

「いやあ、ものすごく暑いね」

と汗を襟元で拭きながら、自然な動作でグレーの服に手をかけようとする。

「何をするんだ、自分でやる」

いくら数ヶ月を共にした相手でも、他人に自分の肌を見せるのは我慢ならなかった。相手に対して無防備になれば、その分危険も大きくなる。それは、身体でも精神でも言えることだ。

「だけど、君は」

できないだろう、と言いかけて、スカイは言葉を止めた。それは今のグレーに対する最大の侮辱の様な気がした。グレーは震える手で、数十分もかけてやっと肌を外に晒した。スカイは、グレーをゆっくりと車椅子から地面に降ろした。予想外の軽さだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る