グレーは頑張って眠ってみようとした。目を瞑り、まだ戦争という字も書けないほど幼かった頃に暮らした町を、思い出そうとした。家族とよく朝ごはんを食べた、穏やかな湖畔の小さなカフェの思い出。

しかしその想像はすぐに、残虐な光景に乗っ取られてしまうのだ。グレーは目を開けた。光のかけらさえ見えなかった、黒く塗りつぶされた闇は、耳鳴りがするほどしんとしていて、どこにも逃げ場がないように思える。グレーは震えだした体を、自らの両腕で抱き掻いて、泣き叫びたい唇を、青くなるほど噛み締めた。

見たくないものほど見えてしまう。奴の死体も。目の前で子を殺された母親の、ゆっくりと歪んでいく目も。銃弾の雨の中を突撃してくる、まだ少年だった敵兵達も。グレーは今日も、目を閉じていることができなかった。

その時、ベッドの方で毛布がさわさわ音を立てた。ただの薄っぺらい布切れが、スカイが上体を起こしたために折り畳まれる。グレーは暗闇なのをいいことに、じっとスカイの方に目を向けていた。いつも幸せそうなスカイがひどく羨ましくて、取って代わりたいとさえ思った。

 スカイは、暗闇の中でもグレーの瞳を真っ直ぐに捉えていた。そして片手で自身の涙を袖に染み込ませる。スカイはしばらくの間ずっとそうしていた。次第に顔を袖で擦る動作が大きくなってくる。涙が止まらないのだ。 

呆気にとられたグレーは車椅子を、何とかベッドのある辺りに近づけた。

「・・・もしかして、泣いているのか?」

聞くかどうか十分悩んでから、グレーは尋ねた。スカイは何度も自身の掌に爪を食い込ませていた。それでも感情の流動は止まらないようで、顔を掌で覆い隠してしまう。

「ごめん、君のせいじゃないんだ」

ごめんと何度も繰り返しながら、とうとうスカイは、わっとベッドに泣き伏してしまった。グレーは手探りでベッドの柱を掴むと、それを手で辿っていきながら、スカイの気配に、やっと触れた。グレーは自分が何かしたのかと今日1日を振り返ってみたが、これといった心当たりはなかった。あるいは、もう人の心を傷つけてもわからなくなってしまったのだろうか。

スカイの肩をさすってやりながら、グレーは、自分のことを怪物のように思っていた。



また別のある昼下がり,スカイとリンネはテーブルにつき、話していた。グレーは相変わらず少し離れた窓際で目を閉じている。スカイはリンネに連れられて市場に買い物に行ったことを思い出していた。丘を降りてしばらく降った先の、左右にずらりと並んだ屋台の間にも、ぐったりとした人間が溢れている。汚れた砂が風に舞ってさらさらと流れてきた。腐りかけの食べ物の匂いに、スカイは鼻を押さえた。衛生状態が良いとは言えず、値段もフェアとは言えないその市場が、人々にとっては生きるための頼みの綱だ。スカイは愕然とした。彼は物不足で悩んだことなど、人生において一度もなかったのである。

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