寒波は止まず②

「無かった事にされてしまうのなら、弟に体を返せないです……何か良い方法とか」

「そんなの、相手の話が通じるか次第だ。冗談抜きでわからない」

「例外という方々は何が目的なのでしょうか……」


「──……パノプティコンって知ってるか」

「聞いた事無いですね……」


 パンオプティコンとも呼ばれる全ての部屋を監視できる、実際の刑務所で採用されていたシステムの事だ。衛生や日照といった欠点はあったが、誰かがその機能を応用させて『1つの街を除いて、世界の全体は刑務所だ』と認識できる街を作ってしまった。


「監視されてた俺達側が知る事は無かったが、『ある日』を境に街は沈没して、世界が一変したんだよ」

「沈没……もしかして、海面上昇ですか?」

「正解だ」


 その街に住んでいた奴らこそが『例外』。『クレシャルフ家』と呼んでいる、神格以上マジの神以下の危険人物共だ。目的なんて知らないし、教えてくれる筈もない。


 願っているとしたら、監視されていた俺達が気づかないまま暮らせる日常が欲しいくらいだ。


「クゥ……」

「……ん、なんだこの犬。話聞いてても分からないだろ。飼い主の元に戻りな」

「ワンッ」


 やけに人懐っこいな。中型犬くらいか?昔飼っていた犬に似ていて可愛らしいな。撫でるくらいならバチは当たらないだろう。


「黒くて可愛い犬ですね。こんな所に犬がいるなんて……」

「「………………」」


「……おい、まさかと思うが……北風か?」

「ワン?」

「ま、そうだよな……」


 サングラスもただの魂が乗っていると感じさせてくれる。

 寂しくなりすぎなんだよな、あーあー。変に信じるのをやめればいいのにな。


「あの、向こうにいるのって……」


 グレイスが指を指した向こうには、植物状態で動かなくなっていた筈の北風がいた。いつも通りの警戒心の無い彼で合っているが……


「あ、ご主人! 探してたっスよ〜、どこ行ってたんスか」

「ニストさんと一緒に探してたんですよ。そんな聞き方も良くないと思いますが……」

「北風、もう体調は治ったのか」

「もうピンピンしてるっスよ〜、……ご主人、危ないっス」


 後ろで唸っていた黒い犬を軽く蹴り飛ばす。唖然としていたグレイスを横に、腹部を狙って蹴り続ける。北風を押さえつけて離しても、犬は弱々しく威嚇を続けていた。


「ほら、見てくださいっス! あいつご主人の事威嚇してるんスよ!? あんな馬鹿な犬は──」

「北風、黙れ」


「は、はぁ……?」

「………………」


 犬は威嚇をやめて黙り込み、北風は困惑する。

 本物は見つかったみたいだな。


「グレイス、犬の手当てしてくれ。──北風はもっと従順で心優しい奴で、俺の為に下手でも飯の為に狩りを学んだ奴なんだが」

「で、でもあの犬──!」

「そうやって、グレイス達を悪者に仕立て上げたんだよな?」

「……あー、コイツの魂抜くのに手こずったんだけどー」


 雪の様に白かった髪は黒く溶け落ち、深く掘られたみどりの瞳が覗き込む。彼女の唇は薄く閉じられ、その表情からは不敵な微笑みが滲み出ていた。黒く染まった髪は、彼女の内なる闇を映し出すかのように、煌めく光を一切受け付けない様子だった。


 白い白衣だけが影を受け付け、緑色に発光する魚の尾を持っている。


「こんな狭い国で何する予定だったんだよ」

「ただの研究だよー。後もう少しで完成する筈なのにさー、君達は邪魔するの。やめてくれないー? サンプルに血筋の同じ媒体突っ込ませるのも大変だったんだよー」


「弟を元に戻して下さい……!!」

「えー、感動の再会だよ? あーでも、実験に手伝ってくれたらいいよー。そこのなんだっけ、ご主人って呼ばれてる人」

「……俺を選ぶ理由が無い気がするが」


 彼女の目は輝き、興奮に満ち溢れていた。新しい実験台が目の前に現れた瞬間、彼は喜びに溢れた笑顔を浮かべた。その髪は乱れ、衣服は汚れていたが、それらのことなど気に留める余裕はなかった。


「神格だよー、体が頑丈で拒絶反応の出てきにくい個体だよー? しかも侵攻神でしょー!? 噂では君は死後の世界から2度も脱獄してきたって聞いたよー!!」

「……控えめに言って、死んでくれ」

「私の考えた最強の個体を作るのに丁度良いんだよねー。2人を元に戻すからさ! ね、良いでしょ?!」


 彼女の言葉に驚きと戸惑いが交錯する中、彼は一瞬だけ動揺した表情を見せた。しかし、すぐに冷静さを取り戻し、彼の瞳には怒りと憎悪が宿った。


「お前さんの嘘とエゴに付き合う気は無い。2人を元に戻せよ」

「拒否権無いの分かりながら言ってるの、わかってるよねー?」


「──……今日が人生で最後の日にならない様に、神にでも祈っておくか」


 瞬間、全身の脱力を感じる。瓶の中に魂を入れられたらしい。北風が心配そうに見ていたので、精一杯の笑顔だけでも見せておいた。見えていたかは分からないが。

■■■

──協会裏、畑にある小屋を抜けた先。

 研究所に足を踏み入れると、絶望の波が彼を包み込んだ。重苦しい空気が漂い、暗い廊下は不気味な光に照らされていた。


 目の前に広がる風景は、彼が予想していたものとは異なっていた。壊れた機器や散乱した文書が床に散らばり、研究所全体が荒廃した様子を呈していた。大量のメモや数式、理解も出来ないグラフや表が見えている。


「この実験が成功すれば、あの人に認められるー……!! 師匠の実験を裏付ける正確な情報が得られる……やっと、あの寒波が来るまで、飢饉で大量に生まれたサンプルを入れられる日が来たーー……!!」


 緑色に染まった液体が試験管の中に詰まっている。ドロドロとした、何十人、何百人分魂が重なり合って密度が凄い事になっている。あの中に、俺が入れられるんだ。


「……体の準備はできた、魂も揃ったー! スカルチャ・クレシャルフの名は残らず、師匠の名前だけが残るー……!! さて、実験を開始しよう」


 最後の息吹が彼の身体を抜けると、世界は彼にとって無力で遥か遠い存在となった。時間はゆっくりと流れるかのように感じられ、周囲の音は遠く遠くに遠ざかっていく。


 最後の息を吐き出し、その瞬間に全てが終わりを告げる。彼の存在は闇に消え、重なり合う人の波に揉み消されてしまった。

 


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