第12話 聖形防壁ー鏡力ー【ブダベスト】
シャウラ・レヴォリュシオンは疾っていた。ヴァルプルギスの夜――旧暦数えで4月30日の日没から5月1日未明にかけての夜――悪魔の魔力が限界を越える夜――が、もう明日に迫っているからだ。
今日は、文明崩壊以前の旧暦で数えると、4月29日。
シャウラ・レヴォリュシオンは、涅槃西ブッダガヤ
(本来ならグノーシス中央聖教会で儀式を済ませたかった所だが――いくら相手が腐れ神官と言えど、少々殺りすぎたな。人が足りん)
涅槃西ブッダガヤ仏塔は、数ある聖教会の中でも特に優秀な神官達を抱えることで有名だ。
仏僧団体【
50名程の仏僧で構成される僧伽は、地上で最も強力な神官団体である。
シャウラ・レヴォリュシオンは疾る。砂煙が、舞い上がる。
(これから行う儀式には、出来るだけたくさんの神官がいる。今からでは、僧伽に協力を求めるしかないだろう。時間に猶予さえあれば、ツテを使うことも出来たのだが…………)
そこまで思考し、シャウラ・レヴォリュシオンは、自分を叱咤した。もしもああだったらと、実存し得ない仮定に想像を遊ばせて何になる。大事なのは、自分に今できることを、必死に行うことだ。
シャウラは、疾る。もう何も考えない。心が、済み渡ってゆく。我が消え、シャウラは神仰そのものとなる。
全ては真の
涅槃西ブッダガヤ仏塔は、特異な形状を成していた。
ブロック状の石が半円状に積み上げられた、ドーム状の人造建築。
グルリと周囲を石垣で囲っている。
入口には、大人十人程の間を開けて地面に埋め込まれた、二つの石柱。
その上部を、三つの石棒が、等間隔に貫いている。鳥居だ。
シャウラは、鳥居の入口に右手を侵入させてみる。が、予想通り、弾かれた。
「痛いな……」
紫に腫れ上がった右手を、擦る。血が、左手にべたりと付着する。
シャウラは、大声を放つ。涅槃西ブッダガヤ仏塔の深奥にまで、内部反響を繰り返して音が届く。
「グノーシス中央聖教会改め、
沈黙。しばらくの後、結界が解かれる。圧力が、消えた。
シャウラは鳥居を潜り、涅槃西ブッダガヤ仏塔の内部へと足を踏み入れた。
涅槃西ブッダガヤ仏塔カピラヴァストゥ(仏陀の聖域間)。
神グノーシス中央聖教会大司祭シャウラ・レヴォリュシオンと、涅槃西ブッダガヤ仏塔第27代目仏陀デーヴァ・マハーヴァイローチャナが対峙していた。
デーヴァ・マハーヴァイローチャナは、仏陀のような外観の老人だ。蓄えた髭が唯一の違。
(まるで仏陀そのものだな。釈尊降臨。この世の救世主たりうるのか)
デーヴァ・マハーヴァイローチャナの顔には、浅い笑みが張り付いていた。まるで、シャウラの心の内を見透かすかのような、そんな笑み。シャウラは、神経が氷りつくような感覚に襲われ、慌てて用件を口にした。会話に意識を注力することで、心の動揺を鎮めようとしたのだ。
「単刀直入に言います。
「良いでしょう」
蓄えた髭をさすりながらマハーヴァイローチャナが言う。シャウラは、その返答の明快さに呆気に取られた。ここまで唯唯諾諾と了承してくれるとは思いもしなかった。柔和な面のまま、マハーヴァイローチャナがシャウラに告げる。
「ただし」
マハーヴァイローチャナはシャウラと顔を対面させたまま、右の親指で背後の暗闇を差す。闇に揺らめく、大小違えた五つの影。僧伽を率いる五人の
マハーヴァイローチャナは、笑顔を崩さない。柔和、しかし芯のある声で、シャウラに告げる。
「五大悟天。彼らに認められたらね」
涼しい顔で、マハーヴァイローチャナの声を受け止めるシャウラ。神グノーシス中央聖教会の大司祭としてこの状況、例え不安だろうとも虚勢を張らねばならない。マハーヴァイローチャナは、シャウラのその対応に満足そうに頷く。
(涅槃西ブッダガヤ仏塔第27代目仏陀デーヴァ・マハーヴァイローチャナ……どこまでも見透かした態度を取る男だ。心を、読んでいるのか? どこまでも見透かした態度を取る男だ。怖いな)
デーヴァ・マハーヴァイローチャナはただただ笑っている。
シャウラは、一切の起伏無きその酷薄な笑みに、寒気を覚えた。
(この男。一体俺にどんな試練を課そうと言うのだ…………)
冷や汗が一滴、シャウラの額から地面に流れ落ち、ピチャンと音を立てる。涅槃西ブッダガヤ仏塔第27代目仏陀デーヴァ・マハーヴァイローチャナは、ただただ笑っている――――
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