第10話 禁じられた聖槍【ロンギヌス・ランス】
「これは、これは、シャウラ・レヴォリュシオン大司祭様。ようこそお越しになられました。グノーシス中央正教会には、シャウラ様が大司祭に就任されてから、真実の規律が隅々まで張り巡らされるようになったと聞いております。腐敗の温床は、やはり正されないと」
「当然のことをしたまでです。私は、褒められるようなことは何もしていません。主の御心のままに、働いたまでのこと」
「そこがシャウラ様の立派な所なのです。大司祭の地位を利用して教会を私物化しても誰も文句を言えないのに、組織の腐敗を是正するという仕事を誠実に果たしたんですから。自らの不利益になり得る仕事でも一切躊躇せずに当たり前のようにやり遂げるなんて、なかなかできることじゃありませんよ」
「いや、いや。それほどのことでもありません(謙遜しながらも得意気な表情)」
エデン東聖教会。大司祭室。
木製の四角机を挟み、木製の椅子に座り対面する二人の男がいる。
グノーシス中央聖教会大司祭シャウラ・レヴォリュシオンは、エデン東聖教会大司祭エル・フェン・リトに緊急の用件を携えて対談をしにきたのだのだった。
エル・フェン・リトは、スウェーデン人の血を引く50歳の男だ。禿頭。ローブ上の白い司祭服を、筋肉が盛り上げている。鋭い目付きと相まって、質実剛健な印象を見るものに与える。
シャウラ・レヴォリュシオンは、フランス人の血を引く22歳の青年だ。金髪のショートヘア。ローブ上の白い死祭服の下には、無地の、白いタイツ。武錬用の軽装だ。道中、糞悪魔に襲撃された場合、動きやすい恰好であるかいなかは命の是非に直結する。タイツを、恐ろしく鍛えられた筋肉が、その筋さえも浮かび上がらせていた。切れ長の眼は、涼やかな余裕に満ち溢れている。たくましくも、爽やかな美丈夫だ。
「災難でしたな。黒い死神の一件は」
「フッ、これも天啓ですよ。エル大司祭。おかげで、組織改革が捗りました」
「ふむ、それもそうですな。結果論とは言え、あのソレイユが死んでくれて、私も胸が空く思いだ。黒い死神には、感謝せねばなるまいな」
「ですが、多くの血が流れました。黒い死神は、必ず断罪されねばなりません」
「うむ、その通りだ」
13の聖戦士の死体と、血の海に佇む黒死焔山。瞼の裏にフラッシュバックする悪夢。
シャウラは、湧き上がる黒い感情を押し殺す。努めて、冷静を保とうとする。
(憎悪は人間を地獄に導く。冷静になれ。冷静な人間が、いつの時代も勝ち残る)
黒死焔山がソレイユ・バッドボーイを殺害してから3日。
ソレイユの後を継いだシャウラ・レヴォリュシオンは、副司祭の時分から考えていた組織是正の方策を、大司祭に就任したその日の内に実行した。
信頼出来る部下に汚職者達の名前を伝え、一斉急襲。処刑し、大司祭権限で部下達を要職に付ける。信徒達のための新たな法を定め、歓迎される。
グノーシス中央聖教会はまさにシャウラ・レヴォリュシオンの時代を迎えたのだった。が、そんなことはどうでもいい。シャウラの目的は別の所にあるのだから。
(組織の腐敗の是正など片手間の暇潰しなんだ。7万人程度の人口を統治したからといって、人類が救済される訳ではない。プロパトール様をこの世に降臨させ、悪魔をこの世から駆逐し尽くしたときに、初めて人類救済の第一歩を踏めるのだ)
グノーシス中央聖教会、ひいては全聖教会の目的は至高神プロパトールの降臨、及び悪魔の駆逐である。
(だが今は、早急の危機に対処しなくてはならない。今年も、糞忌々しい季節がやってきたものだ……)
シャウラの表情に、陰が過ぎる。心中を察してか、エルがシャウラに語りかけた。
「今日は4月27日――――もうすぐ、ヴァルプルギスの夜ですな。シャウラ様」
「…………そうですね」
ヴァルプルギスの夜とは、4月30日の日没から5月1日未明にかけての夜のことである。
ヴァルプルギスの夜では、全ての魔なる力が活性化する。過去、ヴァルプルギスの夜に起きた魔災(ヘルヘイム)は、そのどれもが悲惨な記録を残している。
シャウラは、真剣な表情で、エルに告げる
「そのことで、相談に参りました」
「何でしょうか」
「ロンギヌスの槍を、私に貸して頂きたい」
「よいでしょう」
シャウラは、拍子抜けした。こんなに容易くエデン東聖教会の至宝の貸与を了承するとは、思ってもみなかった。場合によっては、シャウラはどんな要求でも飲む覚悟でことを申し出たのだ。
「よいのですか?」
「よいのです。レッドシールドが死に、槍の遣い手がとうとう一人もいなくなりました。もはや、ロンギヌスの槍は、この教会には宝の持ち腐れなのです。 武神(ゴッドアームズ)の異名を持つシャウラ殿なら、人格的にも、実力的にも、申し分ない。喜んで、ロンギヌスの槍をお貸ししましょう」
「……感謝します。エルどの」
「では、少しお時間を。守護結界を、解かねばなりませぬので」
椅子を立つ、エル・フェン・リト。その背に、鋭く放たれる、シャウラの美声。
「セィラ・ホリィについてだが」
エルの背が、ビクリと震えた。ゆっくりと、シャウラを振り向く。無表情、だが、怒気を秘めている。シャウラは、平然とその無表情に問いかけた。
「セィラ・ホリィは、どんな少女だった?」
「……少し、知恵遅れの気がありましたが、頭が弱い分、心が強い少女でした。まるで、天使の子でしたよ。純粋な心を、余りに純粋過ぎる心を持った少女でした。地獄にあって、あんなに純粋な少女が生まれるのかと、私は驚愕せずにはいられませんでした。無限の愛を、秘めた少女です。この地獄には、持て余す程のね。神様は、時々人知を越えた采配をお振るいになる。この地獄に、どうしてあんな純粋な少女が生まれてきたしまったのだ! 神よ! そんなに人類に地獄を見せたいか! 恐ろしい……セィラ・ホリィが穢れてゆくことが恐ろしい。この地獄にあって、赤子のまま育ったようなあの少女がどうしてまともに生きられよう! その証拠に、見ろ! セィラ・ホリィは黒い死神に連れ去られてしまったではないか! これではまるで地獄に堕ちるために生まれてきたようなものではないかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ! アアッ! 糞ッ! 糞ッ! 糞がッ! 今頃セィラ・ホリィの身体は黒い死神に弄ばれ、○○○も×××も△△△も奥の奥まで底の底まで頂の頂まで蹂躙されて、少女の秘密が全て暴露されてしまったに違いない。聖女の証を失い、ただの純粋な少女に堕ちたセィラ・ホリィが、どうして地獄を生きていけようかッッッッッ!!!!!!!!! 死ぬことだけが救いだ。心までもが堕ちる前に、シャウラ様。どうかセィラ・ホリィを殺して下さい。あの少女を、昇天させてやってください。エル・フェン・リトは、腹をも切る覚悟です。このお頼みを、どうかお聞き届け致して下さいますよう心よりお頼み申し上げます。シャウラ様。どうか・・・・どうかッ!」
「元より殺すつもりだった。裏切り者に生きる価値はない。エルどののお頼み、このシャウラ・レヴォリュシオンが謹んでお受けいたしましょう。顔を上げて、笑って。エル殿」
「シャウラ様……! 感涙感謝致しまする……っ」
シャウラ・レヴォリュシオンとエル・フェン・リトが、微笑みと共に抱き合う。エルが、シャウラの胸を涙で濡らす。シャウラは、その頭を優しく撫でた。冷酷な笑みを浮かべながら。
(セィラ・ホリィ。貴様を殺す。黒死焔山。貴様も殺す。裏切り者には、死を。背教者には、残酷な死を。磔刑だ)
シャウラは、憎悪を瞳に燃やした。
焔山の背におぶられたセィラ・ホリィが、「くしゅん」と可愛らしいくしゃみをする。
呼気が、焔山のうなじを撫でた。鼻水が、後ろ髪を接着する。
セィラは、顔を赤らめて、焔山に詫びる。
「ごめんなさい……」
「いい、気にするな」
焔山は、本当に気にしていない。セィラは、遠い空を見上げた。
(エル・フェン・リト大司祭様が、心配しているのかもなぁ……)
セィラは、純粋な少女である。死んだ方がいい。穢れなき天使のまま。
焔山は、密かにそう思っていた。
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